ひっどい雨の中、愛知より青年館までやってまいりまして。
しかも日帰りで夜行バスです。しんどー。


さきほど無事マチネを観て、このあと数時間の空きがあるのでせっかく時間があるならとスマホにてこれを書いております。at ベローチェ。




ご存知、セリ美は夜行バスの常連であるため今回ももちろん夜行バスに揺られて東京駅に早朝到着。


自宅ではこんな事態になっておりますので



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最近は東京駅に着いたら運動がてら歩いて日比谷まで行き、ジョナサンの朝食を食べて化粧をして劇場に向かうパターンでございまして、今回もそのパターンで銀座から銀座線に乗って外苑前に向かったんですが、途中から明らかなジェンヌさんお2人連れが乗り込んできまして。



※追記  奏碧タケルくんと水乃ゆりちゃんだと判明しました。水乃ゆりちゃんの背が高かった!!






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ま、こうなるよね。


たぶん星組の下級生でしょう。
ほんとにねえ、ジェンヌさんってなんであんな妖精感あふれるんでしょうね。


加齢臭と雨で蒸れた混んだ車内が一気に高原フローラル。

セリ美はマスク外して妖精の香りを吸いまくったよね。

前に座ってるおじさんの髪の毛も一緒に吸う勢いで吸ったよね。








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妖精の背後に立たなかっただけ理性が保てた自分えらい。





さて、駅から暴風雨にさらされながら久しぶりの青年館到着。


来たるオーシャンズ貧乏に備えて群盗は観る予定がなかったんですが、「キキちゃんがアホほど色っぽい」という声を聞いた日にちょうど「群盗チケットあるぞよ」という有難い神のお声が聞こえまして、これはもう行っとこう、となりまして。



前楽という有難い日に観させていただくことができました。





描きたいイラストのイメージも出てきたので、絵はまた後日描くとして、いま時間があるのでとりあえずは群盗の感想をば。




えーとね、作品全体のコンセプトはとても好みです。
最近は闇属性のお話が好きなので、とても好きでした。
ほんとはもう1回くらい観たかった…


愛ゆえに憎んで、憎しみゆえに愛して、大切ゆえに傷つけて、傷ついたゆえに愛に枯渇して、みたいな人間のいちばん哀しい部分を描いた作品かなと思います。

しかも、自分では選べない種類の愛、親子愛や家族愛。


気付いたときにはすべてが遅すぎた人間の愚かさ、でもそれでも生きることを選ぶ人間の強さをクラシック音楽で厳かに、ロックやポップスで爽やかに演出してました。




原作読んでないので知らなくて申し訳ないんですが、ちょっと気になったのはとてつもなく急に「盗賊になろう!」という発想が出てきた気がするので、「えっ急に?」とは思いました。

彼らなりの正義の形として盗賊というスタイルでの世直しを選んだんだと思うんですが、それにしたって唐突でした。
もうちょい丁寧に、なぜ群盗になっていったのかの描写が欲しかったです。



あと、学年分布があまりに下級生に偏っているので仕方ないんですが、いやむしろ初めて台詞喋る子やあんなに長い台詞や歌を披露したのも初めての子ばっかりで、すごくすごく頑張ったのはもうよく伝わりました。


ただ、そういう事情を知らない人が見たらやっぱり新人感がすごかったろうと思います。

まだあれだけの台詞を言うまでのスキルに到達してない子もちらほらいたので、ヅカファンとしては当然「いきなりそんなに任されて、よくがんばったよ!!」と思うんですが、ひとつの演劇作品として評価したら演劇スキルのことを言われてしまっても仕方ないかな、という感じです。


ただ、それにしては歌える子が多いのが宙組の強みだと改めて分かりました。
どの子の歌を聴いても「おっとっと」がなかったですね〜。

「この子、こんなに歌えるんじゃん!」というアピールができたことは宙組の教育面でとても得られるものがあったんじゃないかなー。






劇中でいちばんセリ美が

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

と思ったのは、キキはんとじゅっちゃんのデュエダンでした。


あれたぶん、宝塚じゃなければベッドシーンになるようなところよね。


数年ぶりに再会を果たし、燃えたぎる愛を再確認するように踊る2人の表情が素晴らしかった。

官能的でもあり、喜びが爆発しているようでもあり。

どちらかといえばキキはんが官能的、じゅっちゃんが喜び爆発、という感じに見えたかな。



女性側が男性を引き止めて誘うというスタイルは『落陽のパレルモ』でも景子先生が演出しましたね。
色っぽいですねえ。どきどき。



セリ美はいつも思うんですけど、すみれコードで演出に制限がかかるのって、すごくいいことだと思うんです。

愛を表現するのに、抱きしめたりキスしたりっていうのは当たり前であって。

戦争を表現するのに、刺したり撃ったりっていうのは当たり前であって。


そういう当たり前の表現ではなく、宝塚らしい表現方法でいかに美しく体現して、その意味を観客にどれだけ想像させるかが演出家の腕の見せどころなわけですよ。



フランス革命をダンスで表現したように。

王妃の自殺願望を黄泉の帝王とのラブストーリーにしたように。



なので、群盗での2人の激しく燃え上がる愛欲をデュエダンで表現したのはなかなか良かったですよ。

ぜひ演出家の先生がたは、すみれコードでの制限を邪魔くさく思わずに、「それがダメならこれでどうだ!」と飽くなき挑戦を劇団に叩きつけてほしいです。
その辺やっぱりウエクミ女史もさすがなんですよねー。


女性演出家にはそういう強さがあるから好きです。






ここからは個人評。


やっぱり好きなのはまいあちゃんかなー。
ハッスルでもまいあちゃんの可愛さに骨抜きになってたセリ美ですが、地声の低い娘役さん大好きなんです。

一人称「あたい」みたいな役がとってもよく似合う声ですよね、まいあちゃん。


脚本の中にはまいあちゃんがあんなにもキキはんを深く愛してたという表現がないので、あんな血迷ったことしちゃうほど愛するようになった経過をもっと見たかったです。



あとはあられちゃんもさすがに本公演で大きな役つづいてますから、第一声で「あらっ聴きやすいええ声〜」と思ったらあられちゃんでした。変に男役男役した作った声じゃなくて自然にハスキーな明るい声でとても聴きやすかったです。

もっと聴きたいな〜と思う声ですね。



もえこちゃんは今回なんと一足飛びに2番手役ということで、しかも難しい役で、いろいろと経験を積まれたことと思います。

今回のソロ曲ではファルセットも使ってたので、あらまあ裏声も綺麗なのねえ、と感心。


ただ、以前から思ってますが、もっともっと、もっともっと感情を爆発させてほしかった。
生まれながらのハンデを憎んで肉親を憎んで兄を憎んで。

でも最後はすべてが愛に変わってっていう精神崩壊みたいな役なので、その人格障害ぶりと脆さを見せてほしかった。

そしたら群盗という作品がもっともっと闇に包まれた芸術作品に昇華したのになーと思います。


フィナーレナンバーでもそれは同じで、いつもセリ美がもえこちゃんに思うことは


「受け止めるから、もっと来い!!!」


なんですよね。
どこかで読んだ演劇評で、「遠慮が見える」ってありましたけど、まさにそうなんです。

大人しいおっとりした性格が前面に出てしまって、りくやそらさんほど釣りまくれとは言わないですけども、恥ずかしがらずに、やりすぎなくらいやってほしいです。




じゅっちゃんはハッスルのときのソロ曲でも大絶賛しましたが、相変わらずとても歌声が好きです。

今回の役はひたすら受動的なんですけど、デュエダンから最後に向けて急に能動的に変化します。


「セリ美だったら待ってらんないから大学まで押しかけちゃうなー」


とか思ったくらい受け身ですね。
もえこちゃんにも「所詮女」みたいなこと言われてましたし。

あれは原作がそういう描き方なんでしょうなあ。


最後の決意のときはやけにキラキラした清々しい表情をしてたのが印象的でした。

諦めではなく、まるで希望を見つけたみたいな顔でした。


この作品の一大テーマとして
「希望か絶望か」
があるようですが、あの表情を見ると、じゅっちゃんの役は最後に希望を見つけたのかしらー、なんて。

ろくでもない父親でしたけど、それでも最後は父のために泣いてましたね。
あれはどういう感情なんだろ。

セリ美なら愛する人を苦しめた相手はそれがたとえ肉親でも許さないけど…
じゅっちゃんにとっては悪い父親ではなかったのかな。




なんか、ウエクミ女史もおっしゃってましたけど、こうやって観劇後にあーでもないこーでもないって悶々と考えちゃうような作品、いいよね。
昔は「ラストはご想像にお任せ」みたいなはっきりしない物語が嫌いだったんですけど、最近はこういう物語も好きです。余韻があって。


でもあまりにもぼんやりしてるのはイライラしちゃうけどね。






「希望か絶望か」


登場人物たちそれぞれ、どちらで幕を下ろしたのでしょうかね。
そういうのをこうして悶々と妄想するの、なんだかいい時間です。





肝心のキキはんに関してはちゃんと絵を使って描きたいなと思いますので、また後日。


夜に1件用事が入ってるのでまだ気を緩められないんですが、さすがに日帰り夜行バスはしんどい!!

まぶたが勝手に落ちてくるよう!



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