連日にわたって京都からお晩です、今日のランチは飴ちゃん2個だったセリ美です。
ひもじいよう。



コメントたくさん頂いておりまして、ありがとうございます。
また自宅に戻ってからゆっくりご返信いたしましますのでね、しばしお待ちくださいませね。





さて今日の旅模様を少しレポしてみたいなと思います。




なかなか昼夜逆転が直らず、朝7時に目覚ましをセットしたのになぜだか起きたら11時でした。おかしいなあ。


「今日は雨だしまぁいいか…」とか思ったら結局ほとんど降りませんでした。

雨用のプランにしてきたのに~




京都って今や日本トップの観光地なので行くところなんて腐るほどありますし、京都通いは数年前から始めていたのでメジャーどころはもうほとんど制覇しておりましてね、そうこうしているうちにセリ美はどうやらマニアックな場所が好きという傾向が判明してきまして。


和歌山旅レポの時も、「和歌山は割と行ってるけど知らないところばっかりだった!」というお声をいただきまして、このブログのように旅も独自路線で攻めていきたいと思う次第で御座います。





新型コロナの影響で宿はガラガラで、20人ほどが泊まれるドミトリールームはセリ美の他に2人ほどしか泊まっていませんねえ。

シャワールームも洗面室もいつ行っても誰もいなくて大変快適です。


街中もガラガラとまではいきませんが、いつもは竹下通りのような人混みになっている八坂神社や四条大橋のあたりも、確かにいつもよりは人が少ない。


明日は土曜日ですけど、やっぱりこんな感じなのでしょうかね。





さて、今日の観光プランを。




京都といえば歴女のセリ美にとってはもう見どころだらけなんですよね。


なので、オシャレな抹茶カフェも雑貨屋も極上のおばんざい屋さんも興味なくはないけど、いちばん興奮するのはお寺だったり遺跡だったりで。


好きなのは飛鳥・奈良時代なので本当は奈良のほうが好きですけど、歴史を身近に感じられるものがたくさん残ってるのは京都なので、友達と一緒ではないときは主に歴史関連の場所を巡ります。





で、今日行ってきた場所は、まず瑞泉寺(ずいせんじ)というお寺。


三条大橋のすぐ脇という、繁華街のど真ん中のビルの谷間にぽつんとあるお寺です。
宿からは徒歩5分程度なので、有難かったです。



この瑞泉寺は、豊臣秀吉の甥、豊臣秀次を弔ったお寺なんですが。



豊臣秀次、皆さんご存知ですか?



とんでもない悲劇の武将です。

シシィどころの騒ぎじゃありませんよ、その悲しい人生。




日本史の中でもかなり異彩を放っている生涯を送った人物なので、歴史好きな方はもちろんご存知だと思いますし、大河ドラマとかによく秀次も出てきます。


ここで、「う~ん、歴史よくわかんない…」という方のためにこのコーナーいきましょう。













歴史小話





歴史が「よくわかんない」ってなっちゃうのは、たぶん人物が多すぎて覚えられないという理由のことが多いと思います。


若い頃はそれでも一度聞けば覚えられたことも、歳を重ねていくにしたがってさらに覚えにくくなりますよね。


でもね、それ記憶力が低下してるんじゃないんですって。

記憶という箱の容量は変わらないけど、入り口が狭くなってるだけなんですって。

だから工夫して箱の中に入れればちゃんと留まってくれます。



ということで、我々がいちばんすんなり箱の中に入れることができるのは…
そう、宝塚ですね。


最近の新しいジャニーズの子なんて顔も名前もグループ名すら覚えられないのに、なぜか不思議なことにジェンヌさんの芸名、愛称、組、学年なんかはスラスラ覚えちゃう。

なんなら出身地や音楽学校入学時の年齢なんかも覚えちゃうわけです。


だから記憶力が低下してるわけじゃないんですね。




ということで、皆さんもそれぞれ歴史人物をジェンヌさんに置き換えちゃいましょう。

セリ美のイメージでキャスティングしていきますが、もちろん皆さんのイメージはセリ美とは別だと思いますので、お好きなジェンヌさんをキャスティングしてみてください。






まず、戦国時代の超基礎編からいきましょうか。


織田信長が登場してくる以前は日本というのは小さな国の集まりみたいなもんで、各地方に各県知事みたいな大名がいて、ひとつの国として細々とやってたんですね。


しかし、だんだんと国盗り合戦が激化していって、「あの国も欲しい、あっちの国ももらっちゃおうぜ」みたいになっていったわけですね。


良く言えば、
「力のある者がのぼりつめることができる、平等な世にしたい」ってことですかね。


たとえば貧乏百姓の家に生まれてしまったら一生貧乏百姓で決定なわけです。
もう、一生ラインダンスから卒業できないの。
組配属から退団まで、ず~~~~~っとロケットしか出られないの。黒燕尾も着ちゃダメなの。ドレスも着られないの。

嫌だよね~~そんなの。



下剋上など望めなかった理不尽な仕組みになっていたそんな日本を、「力のある者がのぼりつめることができる、平等な世に」ということで、
「え?研2なの?でも実力あるならルドルフやらせてみようぜ」という考えの、天下統一を目標にした信長さんが出てきたわけです。



言い方は「平等に」ですけど、つまりは弱肉強食ってことですから、まあどっちもどっちですけどねえ。



そのあと徳川ファミリーが頑張ってくれたおかげでセリ美が生まれ落ちたこの時代は諸問題はあるもののだいぶ平和で有難いことです、ほんとに。

こんな風にふざけた文章と絵だけで細々食っていけるような世の中でほんとに良かったです。




信長さん、セリ美的ビジュアルイメージは『メサイア』のときのちなつさんです。


信長さんはいろんな破天荒な伝説を残していたり、南蛮文化も積極的に採り入れる強い好奇心があったり、「おまえ気に入らないから斬るわ」ってすぐ殺したり、殺した敵の頭蓋骨を盃にしてお酒飲むとか、人とは思えない残虐性もあったりで、たぶんサイコパスだったのだろうなあと想像します。

家臣に変なあだ名をつけて喜んでるしね。

容姿を馬鹿にするようなあだ名なので、今で言ったら完全にいじめとかパワハラですわ。

セリ美なんて絶対「煎餅婆」ですよ。




でもちなつさんみたいに、きっと抗い(あらがい)がたい妙な色気とか魅力があって、人の恨みを買うことばっかやってるのに本能寺で明智さんに討たれるまで誰に殺されることもなく、天下統一の直前まで駒を進めます。

サイコパスって一見すごく魅力的に見えるらしいですからね。


「結果出さなきゃ殺される」というものすごい緊張感の中で家臣たちはすごい力を発揮して、めでたく結果を出したら急に幼なじみのように気軽に接して褒めてくれる、究極の飴と鞭だったのでしょうかねえ。





でも明智光秀が謀反を起こして、本能寺にて無念の最期を迎えます。



ちなみに明智さんに関しては、たぶん計画的な襲撃ではなかったんじゃないかという説が濃厚ですね。


「…あれ……?いま、信長さま襲ったら…いけるんじゃね…?」と行軍途中で気付いてしまって、魔が差したのかなあ?という感じに捉えています、セリ美は。



明智光秀の娘、細川ガラシャの末裔の方の書籍を最近読みましたが、光秀さんはかなり真面目なお方だったようです。

学問のセンスも芸術のセンスもあった、文武両道のお方だったとか。



奥様はひろこさんという人ですが、光秀とは幼少期からの許嫁で、でも嫁ぐ前に顔の皮膚に跡が残ってしまう病気にかかってしまったそうで、こんな顔の嫁など申し訳ないということで、光秀さんとの結婚を辞退すると申し出たそうなんですが、光秀さんは「そんなもの、なんぼのもんじゃい!ワシはひろこと結婚するんじゃーい!!」と結婚したそうなんです。

素敵なエピソードですよね。


なので、光秀さんの人柄は決して悪くなかったと思います。




真面目な武将ということで、なんとなく明智さんはだいもんのイメージかなあ。

ひろこさんはなんとなくまあやじゃないなあ。
小桜ほのかちゃんでどうでしょうか。

「こんな顔で十兵衛(明智さんの名前)さまに嫁ぐなど…」って言ってそうじゃない?




光秀さんは信長さんに実母を殺されてもいますから、「殿…やりすぎですぞ…」という腹に据えかねるものはいくらでも持っていたでしょうから、「本能寺でいま殿は手薄…もし自分がいま襲ったら…たぶん殺せるよなあ…」って思っちゃったんじゃないかなあ~?


信長さんを討った後にすぐ家督を息子に譲って自分は隠居するという旨を告げているので、「ふはははは!ワシがトップスターになるのじゃああああああ!!」という野心からのことではないんじゃないかな、と推察しています。


資料が残っていないのでどの説も確証はないんですけどね。


でもその不明の余白が大きいからこそ、人々の想像力をかきたてて創作の泉になってるんだろうなあと思います。今も大河やってますしね。



そんで、「明智が裏切ったぞおおおおおお」「まじか!!!」という知らせが全国の武将たちに届くわけです。


そのとき、信長さんの家臣であった豊臣秀吉さんは確かうちの息子の実家あたりで戦争中だったんですが、「明智の野郎がやりやがった!」と聞き、








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やっちまったなあ!!!!






となり、「明智のヤロー、殺す!!!!!」と、大急ぎで本能寺方面に向かうわけです。




そのスピードといったら、当時馬と徒歩しかなかった当時で換算すると、とんでもない速さだったそうです。(中国大返し〈ちゅうごくおおがえし〉と言います)


このセリ美的考察は、「信長さまを!!!ワシの大好きな信長さまを!!明智許すまじ!!!」という意味ではなくて、秀吉さんとしては「信長さまの仇という大義名分がある今、いま明智討ったら俺ヒーローじゃね?そんでそのまま俺がトップスターになれるんじゃね?」という下心からだったと思っています。



秀吉さんはねえ…やっぱりどうしても強欲とかゲスいイメージがあるので…
あんまり路線スターさんではイメージ重なる人がいないんだよなあ…

それこそるう組長なら見事なゲスさを出してくれる技巧が期待できそうです。






で、見事にるう組長がだいもんを討ちまして、清須会議に繋がるわけです。


「ちなつさん亡き今、次期トップどーするよ?」という会議ですね。
なんのこっちゃ。


そんで信長さんの孫が正当な後継者だろうよ!!と主張して最終的に秀吉さんが駒を進め、狙い通りに天下人へなっていきます。




でもるう組長にはなかなか子供ができなくてですね、家臣や奥さん(ねねさん)(ここのキャスティングはやっぱりねねちゃんで)のご実家から養子をたくさんもらっていたんですね。


戦国時代においては秀吉さんはなかなかの長生きですが、やっぱりいつ死ぬか分かりませんから、そろそろ次期トップを指名しておかなくてはならない時期になります。

たくさんの養子の中で、秀吉さんの甥にあたる秀次が2番手スターとして頭角を現していくんです。



秀次さん、悲劇の若い武将なのでなんとなく悲劇が似合うれーこちゃんにやってもらいましょう。




天皇家以外でいちばん偉い立場についていたるう組長の役職をれーこちゃんが引き継ぐほど、「ああ、次期トップはれーこちゃんなんだな」ってヅカファン中が思ってた、その時!!!


老齢で子供をもうけるのはもう無理でしょうな~と思われていた秀吉さんに、なんと息子が生まれてしまいます。ねねちゃんの子ではなく、側室だった信長さんの姪っ子、茶々さんの子です。

それが、秀頼さん。



赤丸急上昇中の、ナニーロくんあたりいかがでしょうか。
ナントカアンバサダーの就任、おめでとう!!


これって2025年にトップになってる可能性が高い子を選んだってこと…よね?

花月雪星の面々は、「あ~そりゃそうだろうね~」ってメンバーなんですが、ここにナニーロくんとはかなりの大抜擢!!




まぁとにかく、「甥のれーこちゃんを次期トップに指名しま…」というところまで言いかけていたところに実子のナニーロくんが現れちゃって、るう組長は

「甥のれーこちゃんを次期トップに指名しま………せん!!!!!!」

という感じになっちゃうわけです。


いやそこまで言い切ったわけではなく、「(ほんとはナニーロに全部あげたいケド…もうれーこちゃんにほとんど申し送りしちゃったし…)2人で仲良くやっていってよ」という感じの態度を取り始めます。


でも、側室が息子を産んではすぐに亡くなっちゃうことばっかり続いて、「せっかく農民のワシがトップスターにまで上り詰めたのに…直系の血が途絶えてしまうよおおおお」という深い悲しみの中、生涯の終盤を迎えていたので、ここにきてのナニーロの誕生はもうきっと目に入れても痛くないってやつだったはずです。


だんだんと「まぁ2人で仲良くやってよ」という体裁は崩れ始め、本心が抑えられなくなります。

それ以外にも、「日本はもう全部手に入れたから今度は外国も制圧しちゃおっかな」という大きな気分になって朝鮮に戦争を仕掛けに行って惨敗するとか、晩年の秀吉さんはだんだんと失策を見せるようになっていきます。


よくさ、有名人とか政治家でもいるじゃない?
若い頃はすごい才能だったのに、老いぼれちゃってだんだんおかしくなっちゃう人。

秀吉さんは認知の影響とかもあったのかもしれないですけどね。



そんな血迷ったるう組長がナニーロ可愛さにもう辛抱たまらんということになって、れーこちゃんに意地悪を始めます。


「おいれーこ!おまえ謀反を考えてるんじゃないだろうな!怪しい!怪しいぞ!とりあえずワシに謝りに来い!!」


とかいって因縁をつけて自分の城に来させておいて、「お前なんかと話すわけがないだろバーーーカ!!」と離れに閉じ込めたり、ただの嫌がらせをします。


で、「とりあえずおまえ怪しいから出家しろ!!」といって領地や財産を没収して、高野山で出家させてしまいます。


れーこちゃんはおとなしくすべての命令に従っていましたが、ついに切腹命令が出て、そのまま高野山のお寺で家臣と共に自害してしまいます。享年28歳。




で、更なる悲劇はまだまだ続きます。

るう組長の家臣が、れーこちゃんの首をるう組長のところに持って帰ってれーこちゃんの死を確認したら、今度はれーこちゃんファミリーを全員殺せと命じます。

次期トップは最初からナニーロしかいなかった、れーこなどという人間は存在しなかったということにしたかったのでしょうね。


れーこちゃんの奥さん、側室、子供たち、家臣など合計39名を処刑してしまいます。

その処刑方法はあまりにむごかったらしく、ここに書くとショックを受ける人もいるかもしれないので詳細は自粛しますが…


当時は死刑にもいろいろありまして、最も尊厳が守られるのが切腹ですね。
だから、切腹など許さずにまるで罪人を処刑するかのように39名を粛清したのは常軌を逸していると言っていいと思います。

でも罪人に仕立て上げてでも、ナニーロが正当な次期トップであることを世に洗脳したかったのでしょう。
そんなにもナニーロをトップにしたかったんですね。



処刑された中にはれーこちゃんの子供である幼児もたくさんいましたし、側室になったばかりでまだれーこちゃんに会ってもいなかった10代の駒姫というお嬢さんもその犠牲となりました。



こちら↓が粛清に遭った皆さんです。
お若い方が多いですね。


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ここまでの一族郎党の大虐殺、しかもその理由もほぼこじつけという残酷すぎる事件は日本の歴史では他に例を見ないそうです。





「生まれてきた家が悪かった」そんな言葉でしか諦めのつかない生い立ちは非常に親近感を覚えまして、セリ美はこの豊臣秀次事件を大切に思っています。


この世に生きた意味をきちんと感じながらご他界できたのだろうか…という想いが強く、せめて400年後のセリ美という一人のしがないライターがこうして皆さんのことを忘れないで生きているよ、という気持ちを胸に弔いたいと思い、秀次さんと39名のファミリーが葬られている瑞泉寺に行ってきた、という経緯でございます。




瑞泉寺はまさにその処刑が行われた場所に建てられています。

すぐそこの三条大橋のにぎやかさが信じられないほど境内はとても静かで、華やかさは少ないですが綺麗に掃除してあり整えられていて、ご親切な案内板や興味深い石碑がたくさんありまして、セリ美は小一時間じっくりと見て回りました。

しかも住職がイラストレーターということで、こんな悲劇のファミリーを祀ってあるというのに、ホームページがめちゃくちゃポップなのも素敵。

http://zuisenji-temple.net/




お線香をあげたりろうそくをあげたりしている時にひとりのおじさまも見に来ていらっしゃって、「ひどいですよねえ…(可哀想ですよねえという意味だと思う)」と声をかけられまして、そのおじさまは京都に来るたびに瑞泉寺さんにお参りに来ているそうです。

秀次さんの首が入れられていた石の箱も実物が普通に置いてありますし、歴史を肌で感じすぎるほど感じられる、すごいお寺です。




この秀次さん事件も歴史の流れのひとつであり、そこからなんやかんやあって江戸幕府が開かれ、明治維新が起き、今の令和に繋がっているわけですね。

そういうところが歴史ロマンの醍醐味ですよね~。






で、明日は秀次さんが主に過ごしたという聚楽第(じゅらくだい)という御殿跡を巡ってきたいと思います。二条城あたりですね。


例によって秀吉さんが「れーこなんて人間は存在しなかった!!!」っつって聚楽第も徹底的に壊して消滅させてしまったので、遺ってる物なんてほとんどないんですけどね。

秀次さんと同じ場所に立ってみたくて。








で、今日はもうひとつ行ってきました。

養源院(ようげんいん)というお寺。



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ここもちょっと怖い系のエピソードなので、苦手な方はごめんなさいね。


京都国立博物館とか、三十三間堂のすぐ近くにあるお寺です。




このお寺を建立したのは、大河で上野樹里ちゃんが演じたお江さんです。

お江さんのパパさんである浅井長政さんなども祀られていますね。
養源院という名前は、浅井長政さんのお名前です。


ここは、かなり貴重な遺物が直接見られる非常に興味深いお寺です。




あの風神雷神図を描いた俵屋宗達が描いた絵がたくさん残っていて、そのアバンギャルドなタッチはかなり現代アートに通じるものがあります。




↓これを実際に見てきました。





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アバンギャルドですよね~~~オシャレ~~~

他にも、秀吉さんが長くを過ごした伏見城の部屋がたくさんここに移築されていて、当時そのままの姿で見ることができます。

石川五右衛門がついに捕まったときの鶯廊下も普通に歩けます!

鶯廊下って静かに歩けば歩くほど音が鳴る仕組みになってるので、さすがの石川五右衛門もそれには気付かずに、忍び足で歩いて御用となったそうです。


セリ美も抜き足差し足で歩いてみましたが、見事にきゅっきゅっきゅっと鳴ってしまいました。






で、ここのメインは、血天井です。





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おお…なんとホラー感漂うネーミングでしょうか…こころなしか看板の筆跡もおどろおどろしい…



いやこれもすごく壮大なドラマのある遺物なんです。




時は、秀吉さんが秀次さんファミリーを虐殺して数年後、秀吉さんも病気にてついに天に召され、新たなトップスターの座の奪い合いが始まる、関ヶ原の戦いです。


関ヶ原の戦いは、東軍の徳川家康VS西軍の石田三成という対戦です。


これで家康さんが勝って徳川幕府を開くわけですね。



で、家康さんが勝つためにはいろいろと戦略が必要なわけですね。

その戦略というのは、石田三成率いる西軍の兵力を削ぐために、伏見城に家康さんの家臣を留守番させ、それを西軍に攻めさせて引き付けさせておく、という作戦です。

なので、要は捨て駒です。

ほとんど勝てるはずのない戦だと分かっていながら、家康さん家臣たちは伏見城に残ったわけです。


その大将は、家康さんの乳兄弟、つまり同じ乳母から乳をもらって育った兄弟のような鳥居元忠さんです。

家康さんの右腕くらいの家臣でありながら、親友のような間柄だったと思いますね。



想像するに…きっと鳥居さんは自ら「俺が伏見城に残るよ」と言い出したのではないかなあ…と思います。

関ヶ原の戦いで家康さんが勝てば、天下を治められる。
そのために自分の命を使ってくれということだと思います。


家康さんも、兄弟との今生の別れと理解して関ヶ原に出発したのでしょうね…





で、計画通りに西軍が伏見城に攻めてきます。

伏見城は堅固な城だったのでなかなか持ちこたえますが、兵の数も全然違いますし、基本的には籠城するしかないのでやっぱりだんだんと劣勢に。


信長さんが本能寺で敵に首を斬られる前に自害したように、武士というのはそのプライドを最期まで保ち、敵襲がある前に自害します。

この伏見城での鳥居さんをはじめとする武士たちも同じように、敵襲がある前に次々に自害します。


切腹の作法というのは、最初の一斬りは自分で腹に刀を刺しますが、そのあとは苦しまないように介錯人(かいしゃくにん)と呼ばれる腕のいい武士が首を斬り落としてあげます。

ここで腕の良くない介錯人だと綺麗に首が落ちずに意識が残ったままになってしまい、非常に苦しんでしまいます。
なので、介錯人には腕のいい武士が選ばれます。


先ほどの秀次さんも切腹の際には自ら家臣たちの介錯を務めたようですが、秀次さんは刀の鑑定をするほど刀には精通していたようなので、きっと腕が良かったのでしょうね。




しかし、最後に残る大将の介錯人はいません。全員既に死んでいるからです。

そのあたりも大将はつらいですよねえ…間違いなく苦しむんですから。




で、この伏見城内で自害した家臣たちは300名以上。


普通ならばそのあとに味方がそのご遺体を葬り、弔ってくれるのですが、このときは関ヶ原の戦い真っ只中です。

味方は全員関ヶ原にいますので、ご自害された皆さんのご遺体は関ヶ原の戦いが終わるまでその伏見城内に残ったままになりました。

ご遺体が味方に葬ってもらえるまで、約2か月ありました。


すごいことになっていたでしょうね…



血の海となった廊下に2か月もご遺体の血液などが染み込み続け、洗っても洗っても落ちなくなってしまいました。


その廊下板は関ヶ原の戦い後、しばらく伏見城にしまわれていたそうなんですが、お江さんが家康軍のために命をかけて戦ってくれた家臣たちを弔うために、あえてこの板を養源院の天井板に使ってほしいと申し出たそうで、今もこの天井板がそのまま残っています。

その「血天井」ということですね。



まぁ「養源院」で調べていただければ画像出てきますが、だいぶ普通に血の海です。



これは別にセリ美がオカルト趣味というわけではなく、この大将であった鳥居さんの跡であろうという血痕がこの血天井に残っているんです。

介錯人がいなかったということで他の家臣たちとは違って首も繋がっているので、だいぶしっかりと全身が魚拓みたいに残っています。

「ここがお顔、これが右腕、これが刀…」とスタッフのおばちゃんがまぁそれは親切に説明してくれます。



さすがに400年も経っているのでくっきりハッキリ!というまでではありませんが、説明を受けているうちにだんだん分かってきます。

目の位置とかも、なんとなく分かります。


しかも、鳥居さんは以前の戦で脚を銃撃されて片方の脚が曲げにくかったそうで、その血痕も片脚だけ曲げて、もう片脚はピーンとまっすぐに伸びていました。


鳥居さんの血痕以外にも手形などがたくさん残っています。これはかなりくっきりと。





なんか、歴史上の人物ってなんとなく実感がないじゃないですか。

存在した確証があるから教科書にも出てくるんでしょうけど、それでもなんとなく映画の登場人物みたいな感じで。


でもこうしてご遺体の血痕を見ると、私と同じ素材でできた人間で、本当に存在していたんだ…とすごくリアルに感じることができました。



鳥居さんも秀次さんと同じで、鳥居さんの存在があったから家康さんが関ヶ原の戦いで勝てたわけだし、そのおかげで江戸幕府ができ…と2020年のバレンタインデーの平和に繋がっているわけです。


そう思うと、鳥居さんのご遺体の跡に向かって感謝の念が溢れてきます。

これが、セリ美が歴史好きな理由かもしれませんね。




「生きるって何だろう」と真剣に考えながら生きていると、秀次さんや鳥居さんのように激しく短く生きた人たちとなんとなく共鳴できているような感じがする、というのかな。




なんとなくホラーっぽい観光レポになっちゃって、苦手な人はごめんなさいね。

でもこれが目をそらしてはいけない、日本の歴史だと思うんです。



暗い面だけではなくて、彼らにもきっと笑い合う日々はあったはずだし、それぞれに個性があったはずで、趣味もあったはずで。

そういうのを想像するのもとても楽しいですね。

ジェンヌさんのキャスティングも楽しいですしね。




京都は何千年間も日本の首都だった、非常に貴重な場所です。

もちろん普通の観光もすごく楽しいですけど、やっぱりセリ美は歴史上の偉人たちに感謝を述べながら、その存在をリアルに感じられる遺跡巡りが好きですね!




鳥居さんのことを忘れていないセリ美というしがないライターが400年後を生きていますよ…

と思いながらお寺を出たら可愛い猫ちゃんが居眠りしていて、400年前もきっと武士たちは昼寝する猫に目を細めて喉を撫でていたんだろうなあ…とまたロマンチックな気持ちになりました。





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で、宿に戻って京都在住の読者さんとお喋りタイムを過ごし、自炊。









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ヒガシマルさん、今日もうどんスープ美味しかったよ…潤花ちゃんありがとう…





では明日は秀次さんの聚楽第と、行かれたら美術館へ!

そしてバスに乗っていよいよ自宅へ帰りますので、更新はまた近いうちに~~






あ!親子劇場が途中になってる!早く完結させなきゃ!!










養源院のスタッフのおばちゃんが「あんまりこれ言うと住職に怒られるんやけど、これが鳥居さんの目で、これが首で…」と楽しそうに説明してくれました…