有難いことに遠征も再開できまして、でも仕事量は変わらないので相変わらずバタバタした日々を送っております。


本当は遠征再開の記事を書く気満々でいたんですが、どうも日本にネガティブな空気がずっとはびこっており、元気にレポを書く気力が湧かず…

セリ美なんてふざけてなんぼのブロガーなのにねえ。

ふざける気力が湧くまでもう少しお待ちくださいね。





さて、先日もまた一人、才能溢れる若者が命を絶ちました。

しかも、理由がまったくもって不明で兆候もまったく無かったという最大のモヤモヤを残して。



有名人というものはその人がどんなに人気者であってもアンチゼロの人なんてきっと一人もいないでしょうし、必ず自分を否定する声にぶつかるでしょう。

だからほとんどの有名人がネガティブな気持ちに支配される瞬間の経験があるだろうな、と想像します。



たいして有名でもないこんなセリ美にだってきっと否定者はどこかにいるだろうし、運悪くアンチボイスを目にしてしまうこともあります。

でもブロガーなんて本人の気持ちひとつで、明日にだって引退することができるお気楽な立場ですから、俳優さんたちが抱えるプレッシャーや責任感とは比べ物になりません。



有名になるってことはすごいリスキーなことですので、そのリスクを背負いたくなければ有名にならずに地味にひっそりと暮らすのがいいんですけど、そのリスクを凌げるほどの達成感や楽しさがそこにあるから、芸能人になったり文化人を目指したりするわけですよね。


セリ美だっていちヅカファンとして発言もせず絵も描かず、ひっそりと東京と兵庫を行ったり来たりするだけなら、アンチボイスを目にして悲しんだり怒ったりせずに済むわけです。

でも、たくさんの読者さまに「セリ美いいぞ!」と言っていただける喜びって、自己肯定にすごく活きているので、今となってはセリ美の生きる活力のメインを占めています。




でも、三浦春馬さんはその生きる活力が闇に呑み込まれてしまったわけで。

別にふざけてるわけじゃなく、セリ美のイメージ的には、「ゆこ~うよ~ふた~~りで~~~~」と閣下に誘われて、そのまま死の接吻をしてしまったのだろうな、と想像します。




危うい人って、なんとなくその言動を見てると「大丈夫かなこの人」って思ったりしますが(必要以上に元気とか、すごくへりくだる人とか、対面時と文面でイメージに乖離がある人とか)、三浦さんに関しては誰もがその危うさを感じていなかった。
これが今回の大きなショックに繋がっているわけですね。


うつ病でもなく、生きる目的が無いわけでもなく、孤独でもなかった(少なくともお友達はたくさんいたようですね)。


それでも生きることを諦めざるを得ないような、耐えがたい何かがあったわけですよね。




セリ美ごときが考えたって真実が分かる可能性はゼロですけど、それでも考えることをやめられなくて。




プロレスラーの木村花ちゃんの場合を考えてみても、このコロナ騒動で世界がネガティブな空気に覆われていることも多少の要因のひとつにはあったのかなあ…なんて。

嫌でも自宅でスマホ等を見る時間が増えて、友達と美味しいもの食べて談笑してすっきりすることもできず、ウイルスを故意にまき散らす悪い輩に苛立って、それに対するみんなの怒りの声がSNSにたくさん溢れていて。


この世に正義はないのか、と絶望するようなことばっかり目にします。





実はセリ美も先月とても嫌なことがあって、絶望していました。
読者様や友人たちの見事な言葉で今は立ち直りましたが。




セリ美を追い詰めに追い詰めた母に、孫が産まれると人づてに聞きましてね。


たった一人の娘を何十年も傷つけ続けて正しい愛情の一つも注がなかったあの人でなしに、孫が…と。

これから可愛い可愛い初孫の成長に大フィーバーして最高に幸せな老後を送るのかと思うと、因果応報などこの世にはない、母には最高な人生がこのあと待っていて、セリ美はいつまで経っても母にされたトラウマから解放されない余生を送るのか…とね。





その件もあって悶々する日々を送る中、気付いたんです。


母にされたことはネグレクトとか虐待とかいろんな表現があるけど、要は「いじめ」だったんだ、と。


木村花ちゃんもSNSいじめに遭って人生を諦めた。
他にも、たくさんの若者たちがクラスメイトなどのいじめで人生を諦めていますね。

セリ美も、加害者が母親だったというだけで、これは紛れもなく「いじめ」じゃないか!と気付きました。

この世には子供をいじめる親っていうのがいるんですよね~。
謎すぎますよね。

ストレス発散のためのいじめをするにあたり、まぁ我が子っていうのがいちばん手っ取り早いですもんね。




いじめって、加害者の中で本気で反省する人なんてほとんどおらず、なんならいじめたこと自体綺麗さっぱり忘れちゃう人も多くいるようです。

でもいじめられたほうは一生その傷に苦しめられて。

嵐の二宮さんや松潤なんかもいじめ経験があると語っていて、今頃いじめた側の人間は「俺、二宮いじめてたんだぜ!」なんつって武勇伝として自慢して歩いてるのかと思うと反吐が出ますよね。



いじめ被害者が苦しんでる間も、加害者は今日もどこかでヒャッハーーー!と人生を謳歌しているわけです。セリ美の母含め。




理不尽ですよね~~。





しかも、悪意のあるいじめのほうが多少はまだマシで、「自分は正しいことをしている」という正義の気持ちでいじめる人のほうがタチが悪いですよねえ。

それがまさにSNSいじめに顕著に出るな~と感じます。


「みんなに代わってこいつを成敗してあげる!」
「こいつのやってることが良くないと思うからみんなを代表して自分が注意してあげる!」


という気持ちで強い言葉を投げかけているように思います。
自分がいじめをしている自覚など1ミリもないわけですね。むしろ善行をしている感覚なのだと想像します。

宝塚界隈のSNSでもよく見かけますね。劇団が直接怒るべきことを、なぜか「私が劇団に代わって注意してあげる!」っていう。


もちろん、叩かれて当然の人もいますけども、多くのことは「成敗する権利のない人」が自分のストレス発散のために「成敗ごっこ」を楽しんでいるという図式のように思います。


セリ美の母も「自分は娘のためを思って、正しいことを叩き込んであげている」という自覚ですから、いまだにセリ美のことは「出来の悪い娘」としてため息をついているわけです。

「正しいことを叩き込んであげている」ことが、どうして入浴や洗濯を制限する理由になるのかいまだにさっぱり解りませんけども。
彼女の脳内ではイコールになっているのでしょうね。このあたりに狂人ぶりがうかがえます。




とにかく世界は、こんなに理不尽なことばっかりなわけです。

コロナだって中国が最初に適切な処置を行っていれば、こんな大混乱にはならなかったし、志村けんさんも岡江久美子さんも今も元気に活躍されていたでしょう。
琴ちゃんもカレーさんも予定通りに満員御礼でお披露目公演が行われていたはずです。



つまり、コロナも戦争もそうですけど、多くの人にはなんの罪もないのに加害者の犠牲にさせられていくわけですね。



神も仏もない。
そんなことはもうずっとずっと前から解りきっていることではあるんですが、SNSの発達や未曾有の
災害やウイルスの蔓延で、神も仏もないことが更に突き付けられる。

そういうことに、繊細で真面目な人ほど耐えられなくなっていく。

そういった感情が三浦さんにもあったのかなぁ、というのが今の時点でのセリ美の答えです。




こんな救いのない世界をこれ以上見ていられない、そういう思いはセリ美もすごくすごくよく解ります。

でも、死ぬ恐怖とか、これからきっと待っているであろう楽しいこととか、自分が死んで迷惑をおかけしてしまう皆さんの存在とかがブレーキになってくれるわけです。

あとは、美しいものや美しい人たちだけを
できるだけ視界に入れておこう、汚くて醜いものは見ないように目をつぶろうと努力することでなんとか命を繋いでいる感じです。





記念すべきセリ美の観劇生活再開の第一弾となった、ミズ様出演・オギー演出のミュージカル『BLUE RAIN』。
親殺しを題材にしたロシア文学『カラマーゾフの兄弟』を母体にして韓国で作られたミュージカルを日本版でオギー演出で、という作品です。

そこで、こんなような台詞がありました。




人の心の中には、黒いオオカミと白いオオカミが住んでいる。

黒いオオカミは乱暴でネガティブな感情、白いオオカミは慈愛に満ちたポジティブな感情。

2匹のオオカミは毎日壮絶な戦いをしている。

あなたはどちらのオオカミに餌を与えたの?どうか黒いオオカミを育てないで。





誰の心にも、黒いオオカミはいるわけです。

でも上手に白いオオカミだけを育てられる人もいるわけで。

運良く温かい家庭で生まれ育ったり、批判を浴びることの少ない環境で生きることのできる人は、白いオオカミの育て方を知らず知らずのうちに覚えます。


そのどちらも得られなかったセリ美は、常に留意して努力していないと、うっかり黒いオオカミにばかり餌を与えようとしてしまいます。
なぜなら、白いオオカミへの餌の与え方を知らないから。




だから、いつだってミズさまという真っ白な存在を視界に入れたり、宝塚という美しいものを見ていたり、温かい友人たちに囲まれていないといけないわけです。

気を抜いたらすぐに黒いオオカミを育てようとするので。




三浦さんは、難病の役を演じたり、ドラァグクイーンの波乱な人生を演じることで、人生を前向きに逞しく行く抜く姿を役から学んできたと思います。

どうか、そのことから白いオオカミの育て方を覚えてほしかった。

難病の役やドラァグクイーンの役から、観客に何を伝えようとしていたのだろう。
結局生きることをやめてしまったのなら、その伝えてきたことも意味がなくなってしまう。


人間の黒い感情に触れたくないならSNSなんて全部すぐ辞めて情報源を全部シャットアウトすれば良かったし、俳優の仕事に携わっていることで生きる気力が失われてしまうなら、すぐにでも仕事を辞めて田舎のほうにでも行ってのんびり過ごしたら良かった。

それらの選択肢はあったはずなのに、すべてを無にしてしまう死を選んだことが正解だったとはやっぱりどうしても思えなくて。



でも一方で、「もう何も見たくない」という気持ちも痛いほど解って。




「ワイドナショー」で古舘伊知郎さんが言ってたけど、自殺者の中には、別に死にたいわけじゃないという人もいて、単に「生きたくない」という理由で仕方なく死を選ぶ人はいるというのも、よ~~っく解る。

そこに明確な理由なんてなくて、只々「生きたくない」という感情があるというだけ。


それもよく解るけど、でも仕事でやりがいを得たり友達との交流が楽しいという白いオオカミも絶対いたはずで。


ALS(筋萎縮性側索硬化症)によって死に向かっていく役を演じたときに、生への執着を感じなかっただろうか。
あれだけの才能のある役者さんですから、そのときは「絶対に生きるんだ」という強い執念を感じながら演じていたはずです。


それを思い出してほしかったです。
彼にはまだ逃げ道があったと思うから余計に。





自殺は親不孝だとか天国に行けないとかいろいろ聞きますが、そんなことは全部嘘っぱちだと思っています。
私が自殺したってうちの母は悲しんだりしないしね。「世間様に私が後ろ指さされるじゃないか!」って怒り狂いはすれど。

だったらプライドを死守して切腹していった多くの武士たちや爆弾を抱えて防空壕で自決していった皆さん、日の丸特攻隊の皆さんもみ~~んな親不孝で地獄行きになっちゃうしね。



だから、そんな理由ではなくて、「自分自身のために」黒い感情から逃げ出してほしかったです。

人生は思いもよらない方向に転がりますから、そこに賭けてみてほしかった。


セリ美だってまさか自分がヅカブロガーになって自分のお茶会したり週刊誌に載ったりするなんて、思いもしなかったです。

マウスでプルプル描いたしょーもないイラストがヤフートップの記事に出るだなんて、一ミリも思ってなかったです。


そんな思いがけない出会いに希望をもって、いまの道から逃げてほしかったです。





三浦さんの死で、「自分は生きるんだ」という方向にいろんな人が少しでも舵を切れていたらいいな。セリ美も含め。

とりあえず早くコロナが終わって少しでも平和な世界線に辿り着けますよーに。



ご冥福をお祈りいたします。