しかも1月1日は当ブログの設立記念日だというのに…
めでたく研4になりました。
「年末年始に仕事すればいいや~」なんつって余裕ぶっこいてたらまんまと寝正月になりましてですね、世間様と同じタイミングで仕事始めをしたらあまりの仕事量にいま泣きながら仕事しております…
しかも寝正月のせいで典型的な正月ボケになり、大スランプでしてね…全然文章が降りてこなくて徹夜確定ですよ。
歯も相変わらず痛いし…
なんでか年末年始っていつも割と波乱万丈で、穏やかで何もないってことがほとんどなくてね。困っちゃいますね。
それでもダイエット協会就寝名誉会長に相応しくない暴飲暴食を見せて「やりきった」感はありましたけどね。
ボン乃セリ美@bonnoserimi
2020年、みんな頑張った!!!
2020/12/26 17:31:38
みんなの分もセリ美が食べるからね!!体脂肪率増やすからね!!
レッツ、ディナービュッフェ!! https://t.co/WWh8eKeKiL
ボン乃セリ美@bonnoserimi
ぐひゃひゃひゃひゃ!!! https://t.co/1esoEfXjqX
2020/12/26 17:43:53
気休めでしょうけど一応ジム通いは続けております…
と言い訳しておく…
そんで2021年の観劇はじめはfffだったわけなんですが、これもなかなかどうしてとんでもねえ作品でして、いまセリ美は混乱の渦中におります。
くーみん、どうやら第2形態に突入したようです。
ビジネス的に言えば次のフェーズ、ってやつね。
誰もが大号泣の美しく切ない悲劇という作風を越えて、SAPAから「演劇の意義」というものを観客に突き付ける作風になったとみています。
SAPA、セリ美の中では「疑問が多く残る問題作」という評価で止まってしまいましたが、fffも観劇直後は同じような感想を抱きました。
「…なにこれ???」
という感想。
悲劇でもなく、コメディーでもなく、伝記作品でもなく、人間以外のものもたくさん登場して、最後もまるでショーみたいな終わり方。
でも、「意味わからん。」で終わらせてしまえない、なんとも言えぬ残る反芻。
まあやの存在の意味、ベートーヴェンが辿り着いた境地の意味、ベートーヴェンがナポレオンやゲーテに憧れて失望した意味、一樹さん率いる天使チームの意味…
とにかく、訳が分からない。
でも、絶対にどこかに隠れている、くーみんが仕込んだ壮大なテーマ。
それを絶対に探り当てて見せる!これはくーみんから我々ヅカファンに叩きつけられた挑戦状なのだ!!!
と妙な意欲が駆り立てられる、果たし状みたいな作品でした。
くーみんが2018年に母校の京都大学で行った講演で、大変貴重なお話をたくさん聞いてきました。
そこで配布されたレジュメには、くーみんが作品を作るときに常に大切にしていることや、自身を駆り立てているものの根源などがみっちり書かれています。
以前にも何度かこの講演内容を書いたことはありますが、またここでその目次だけでもちょこっとさらってみましょう。
講演のテーマは『パンとサーカスの危ない時代に』です。
「パンとサーカス」とは、「大衆に疑問を抱かせないように、真実に気づけないように、パンとサーカスでも与えて満足させて目を逸らさせておけばいい」という風潮のことです。
この大人たちのトラップに疑問を抱け!!騙されるな!!という革命家のスローガンみたいな意味でくーみんは掲げているようです。
序章 「ゆでガエル」
これは、いきなり熱湯に放り込まれたカエルはグエエエエと暴れて死んでいくけど、水に入れられて少しずつ温度を上げていけばカエルは温度が上昇していることに気づけないまま死んでしまうという例えです。
つまり、我々もそうなっていないか?!という問題提起にこの文言を使っています。
地球温暖化もじわじわと平均気温が上がってるから、事の深刻さにあんまり気付いてない人が多いけど、数十年前の平均気温から今の最高気温40度の世界に放り込まれたらそのあまりの違いに驚くはずなのに!
ゆでガエルになっている我々は気付けないでいるのだ!!
という意味ですね。
いま主流になっている風潮、本当に我々のための改善なのか?!改悪じゃないのか?!演劇もそうじゃないのか?!と言いたいのだと思います。
で、「いま主流になっている風潮」という具体例を、このあとに続く第一部と第二部で挙げていく論文になっています。
第一部 ピュアエリアの成立と「悪」の行方
ピュアエリアとは、「悪が一切存在しない無菌室」みたいな意味です。
〇〇ハラスメントという言葉が多岐にわたって存在して、いろんなストレスや苦痛から自分を解放しよう!という動きが盛んで、子供も大人もとにかくストレスフリーになることが善とされている事態を説明している言葉です。
不謹慎な言動や不倫を徹底的に世間から排除して、子供を怒鳴るカミナリ親父や暴力教師という「悪」という存在が消え失せていく。不謹慎だと叩かれた芸能人は「とりあえず謝って自粛する」というのがスタンダードに。
でもその先にある世界は本当に「善」なのか?暴力がなくなった代わりに、言葉の暴力(SNSいじめなど)が誕生したではないか!結局「悪」は消滅などしないのだ!「目に見えにくい悪」というタチの悪いものに変化しているだけなのだ!ということですね。
それならば、「悪」を「悪」としてしっかり可視化したり認識しているほうがよほど人間の精神は健全でいられるのではないか?という提案をして、第二部に続きます。
~~幕間~~
第二部 物語のアトラクション化と、これからの物語
映画でも舞台でも、昨今人気を博す物語というのは、まるでジェットコースターのようだ、と。
乗っている時は適度に心地のいい刺激が適度な感覚で与えられてそれなりに「ああ、楽しい!」と思えるけど、見終わった後には何も残らず、中毒性だけはあるけど栄養価は低い「ジャンクフード」のようなものになっていると感じているそうです。
観る前と観た後で違う自分になっていた、みたいな影響力が無いと厳しめに批評しています。
主人公が定期的に苦難に襲われ、定期的に乗り越えていく、誰が見ても分かりやすいストーリー。ストーリーを自分なりに嚙み砕いて頭で読み解いていくような、「観念的」な要素が少ない、と。
昨今のエンタメは、
「ただ椅子に座っているだけで物語が『ここが気持ちいいんでしょ~』とばかりにこちらの快感ポイントを撫でさすってくれるから楽だな~、という受動的な見方しかできない」
ものと表現しています。
そうなった理由としては、インターネットやスマホの普及により、大衆が気軽に自分発信で自作のエンタメや動画を発信できるようになった背景が大きいとしています。
それにより、産業も変わっていった。
以前は「流行は産業側が生み出し、消費者に与えるもの」だったけど、大衆が発信権を持ったことで立場が逆転して、「消費者が流行を生み出して、産業がそれに合わせて動く」時代になり、好まれる物語も消費者が「これ、いいよね~」と発信するものが主流になった。
それが、「物語のアトラクション化」ということですね。
いわゆる、俗っぽくなった、ということなのかな。
そんな時代を迎えて、物語の役割ってこれからどうなっていくの?と。
昔は、一部の選ばれし才能を持った人間が魂の叫びから生み出した文学作品や映画、演劇から観衆は様々な観念や価値観を自分たちの頭で考えてそれぞれに感じ取って人生に活かして、「人生観が変わる」ような体験をしていたものだけど、「観てる最中は気持ちいいけど、観た後に何も残らないような物語」って人類にとって本当に必要なものなの?本来の「物語の役割」ってもっと違うんじゃない?と。
・様々な価値観を知り、認めること
・人生の辛苦を肯定すること
・「悪」を可視化して自分の中にも存在する「悪」を吐き出すこと
この3つをくーみんは「物語の本来の役割」として挙げています。
不倫したり愚行に走ったり裏切ったり、物語に登場するいろんな人物を見て「人間ってそういうところ、あるよね」と認めて、主人公たちを襲う苦労を見て「人生ってどうにもならないつらいこと、あるよね」と「人生はつらいもの」と肯定して、どうしようもない悪役を見て「コイツどうしようもねえな!でも自分の中にも悪は少なからず存在するんだよなあ」と自分の悪をたまには日に当ててホコリを叩くことで、自他それぞれの悪を少し許しやすくなったり、必要以上に傷つかなくなる。
物語というものを見たり読んだりすると、このような効能があるはずなんだ!と。
(そういう演出家に、私はなりたい)というくーみんの揺るがぬ強い信念がレジュメの最後に書いてあるように思えた講演でした。
このレジュメはあまりにも壮大で、もはや優秀な大学生の卒論としても遜色ないほどの大作なので、セリ美みたいなもんにはまだまだ読み解けていない部分がたくさんあると思います。
でも、いま改めて復習してみると、fffは「人生の辛苦を肯定した末に待つ歓喜」がテーマになっている作品だと気付くことができました。
このレジュメの最後の文。
苦労は辛く、時に生きる希望を失いそうになることもある。それでも、それらを「感じる」ということそのものがあってはならないことだと自分を責めずに、命の営みとして何とか受け入れてきちんと感じる過程を経たのちに、人はいつしかまた未来に向かって歩き出すのだろう。
とあります。
まさに、fffはこのようなラストシーンに仕上がっています。
かといって、セリ美はまだ「そうか!完全に理解したよくーみん!やっぱりあなたの作品は素晴らしい!ブラボー!ベートー勉!!」という次元には到達できていませんで、正直言って
「多様な価値観を認めて人生の苦労を受け入れたのちに、人はまた歩き出せる」なら、今も昔も自殺者はいないし戦争も起きてないしセリ美も虐待されてないよなあ…
という反論はあります。
でもその一方で、過酷な人生を生きて、その中で涙を流すほど爆笑したり人の情に助けられた瞬間をつなぎ合わせながら生き延びて逞しさを手に入れて、「今日が一番幸せ!」と言える今の強いセリ美を手に入れたという実感もあったりします。
それがfffのラストシーンとリンクしないでもないです。
そしてまた、何かを生み出すクリエイターとしては、精神が激しくかき乱されるような辛苦の中に身を置いているほうが神経が常に研ぎ澄まされていて、いいものが生まれやすいということもセリ美はクリエイターのはしくれとして実感もしています。
日々平和で安穏としている中で、どうして魂の叫びが刻まれた傑作が生まれようか。否。
セリ美がまだ実家で暮らしていて、毎日生きるか死ぬかの瀬戸際にいたときのブログをいま読むとかなりキレキレで、過去の自分に嫉妬するくらいです。
あのとき、どうしてあんな表現や価値観が生まれたのか、自分でも不思議です。
辛苦から解放された今はずいぶん文章も考えも平凡になったもんだな~~でもやっぱ平和がいいよね~~と思ったりしています。
だって、
「非凡で華やかだけど地獄のような人生と、地味で平凡だけど穏やかで平和な人生とどっちがいい?」って神様に言われたら、多くの人が後者を選ぶと思うんだよね~。
くーみんの生育環境やバックグラウンドはご本人もあまり語らないし、よくわからないのでなんとも言えないのですが…
くーみんが掲げる「人生の辛さ、理不尽さ」とか、「それを乗り越えての全能感・悟り」みたいなのって、ん~~ちょっと実感がこもってないっていうか…
くーみんがそういうドラマチックな生き方に憧れて書いてる、という感じがあるんですよねえ、なんとなく。
それならば、おとぎ話性がある『月雲の皇子』~『神々の土地』の5大悲劇期のほうがくーみんに合っている気がして。
あんまり「人間とは!」「人生とは!」みたいに説教臭いものじゃないほうが、逆に真実が見えるような気がするんですよねえ。
同じ、音楽家の人生を描いた『翼ある人びと』とfffは何が違うのか…
もうちょっと深く考えて考察してみる必要がありそうです。
でも、まさにくーみんがレジュメで力説している
ストーリーを自分なりに嚙み砕いて頭で読み解いていくような、「観念的」
な物語に仕上がっています、fff。
起承転結があって、最後はこんなオチです~という分かりやすい構造では全然ないです。
まさに「観念的」。
そして斬新。賛否がどうであれ、なにごとも挑戦や変化はすごく大切なことです。
セリ美もどんどん新しいことに挑戦していくミズさまを敬愛しているし、セリ美もそうありたいと思いながら生きています。石橋叩きまくるセリ美は失敗がすごく怖いけどね。
こうして「あれって一体何だったん??」と日がな一日悶々と考えさせることが、アトラクション化していない、本来の役割を全うしている物語であるとするなら、まさにくーみんの狙い通り、思う壺ですね。
今のセリ美は仕事をしながらもずっとベートーヴェンやゲーテのことを調べたり演出の細部を思い出したり、次回観劇で確認すべきポイントを整理したりしています。
こんな作品、久しぶりですね。
くーみんの「してやったり」のニヤリ顔が脳裏にチラつきます。
どうにかもっと考察を深めて、「くーみん!解ったぞ!!!」と、この果たし状に勝利で応えたいと思っています。
でも、それよりも何よりもまあやの大暴れにもうセリ美は完敗です。土下座です。一生ついていきます。まあやの裾に口づけを…!!まあや万歳!!!
では、おやすみなさい。
ひと眠りしたらまた徹夜です。
でもセリ美は耳も聴こえるし暴君の親からはもう解放されてるから、頑張れる!
今年も自分らしく独自路線でやっていきますので、よろしくどうぞ~
東京の息子(娘)にも会いに行きたいから母さんがんばるよ…


コメント
コメント一覧 (10)
なるほど…そういう感じなんですね。 ff f…。わたしまだマイ初日を迎えられてなくて、来週なのです。
心してかかろうと思います。
劇場でセリ美さまに会えないかなぁ。
お会いしたいなー。
わたしが長いヅカ歴の中で初めて堕ちた方は.彩凪翔さんです。
昔から知ってるけど特に…でしたが、壬生の時の土方さん役がめちゃカッコ良かったのと、舞台化粧ではない素化粧の時の美しさにノックアウトされました。
あの方は日本物の舞台化粧と素顔がダントツ美しいですね。洋物の時より。
壬生もナマで何回か観てたのにその時は気づかず、昨年秋の終わりくらいに魅力に気づき、ファンになったと思ったら、退団発表され…。ファンクラブ入りたいけど、もう入れてくれないみたいだし、切ないったらありゃしないです。
ふーーーーーむ………なるほど…………
要するに、今のところ「fff」は“難解”と、こういうことでしょうか?
昨年、スカイステージで各演出家がゲスト(歌劇団外の人)を招いての対談番組を放送してたんですが(多分過去番組の再放送)ウエクミ回はですね、一言で言って
「この人、変わってんな〜〜〜」
というカンジ。もっとも生田大和回でも同じように感じましたから、演出家として特別に異色な個性 というワケでもないんでしょうけれど。演出家もそれぞれの人生を生き、プライベートでの出来事や体験が絡み合い、創作の源となるのでしょうから、ウエクミ先生もまた、次に向かう途上ってことでしょうかね。
それより何より、「fff」は東宝のチケットがゲット出来るかどうか が大問題ですよ😁
お尋ねの件ですが、そうです。森下信雄さんが書かれた「元宝塚総支配人が語る「タカラヅカ」の経営戦略」。1冊目の方です。セリ美さんがお手伝いされたのは、2冊目でしょう?
2冊目は装丁も夢々しい宝塚っぽいものになってましたね😁
1冊目も内容にファンが知らない舞台裏のことが含まれていて、なかなか興味深く、博多座の大階段について、宝塚歌劇のために用意された と書いてありましたよ。確か。
さて、今月は東宝「アナスタシア」
コロナに負けない完全武装で行って参ります!
<(`・ω・´)
喪中なものでお祝い言葉は割愛させて頂いて、今年もよろしくお願いいたします。
ウエクミ作品、手ごわそうだと思って先にプログラムを入手して読んで、せっせと妄想を膨らましております。マイ初日は、17日ですので、当日楽しみにしております。その後、19、21日と観て終わりです。見るたびに発見のある作品だろうと期待しております。感染拡大が気になるところですが、あのトップコンビの見納め、どうか無事に上演されますようにと祈るばかりです。
”表情”お読み下さって嬉しいです。プロのライターさんに褒めて頂けると、嬉しくって舞い上がっちゃいます。てへ。今年も、セリ美さんのブログや、皆様のコメントを読ませていただくことを楽しみにしております。
どうぞ、皆さまよろしくお願いいたします。
爆音が少々苦手ですが(心臓に悪い・・・)、中身がいっぱい詰まっている内容で消化しきれないものの、「すごい!(気がする)すばらしい!(気がする)」。幸いなことにあと2回観ることができますので、じっくり考えようと思います。
小林一三先生は、宝塚歌劇を「子供からお年寄りまで」楽しめるものとして作られたんでしたっけね。そう思うと、ウエクミ作品は難解で、母や友人を連れて行かなくてよかったと思いました。5組あるわけだし、座付き演出家も複数いるわけだし、いろんな作品があっていいよなあと思います。
この公演で、やっとやっと真彩ちゃんの魅力に気が付きました。遅すぎた・・・。多くの人が絶賛するのをやっと理解したー。
現時点でいろいろ発表されています。宝塚大劇場も心配ですが、東京宝塚劇場の公演が無事に行われることを心から祈ります。
2021年を清々しくお迎えのことと思います。2021年おめでとう!fffの初日おめでとう!牛の親玉…懐かしい。
今年は観劇回数の増加に悩んでみたいですね。
「子供からお年寄りまで」楽しめるピガール狂騒曲と違って、fffはくーみんからの挑戦状なのですね。マイ初日&楽は2月なので、パンフレットで予習したいです。
「fffは『人生の辛苦を肯定した末に待つ歓喜』がテーマになっている作品だと気付くことができました。」
セリ美さんのコメントは、ベートーヴェンの音楽そのものですよね。ベートーヴェンの最後のピアノソナタ32番は、怒涛のような辛苦から始まり、その後、「第九歓びの歌」の旋律をはらみながら祈りと救済の世界に入り、最後にベートーヴェンさんの魂が天国の扉を開ける瞬間を感じます。
2020年12月16日はベートーヴェンさんの250歳の誕生日なので、今年の12月15日までは250周年ですね。
ミュージックイズマイライフの弾き語りをする望海さん、実力がありながらトップへの道のりは平坦ではなかった。ベートーヴェンと望海さんをくーみんがどのようにシンクロさせているのか。
くーみんの「翼ある人びと」は大好きな作品なので、音楽家の描き方の違いも気になります。
おとぼけ男爵さん、月刊「たる」1月号に掲載されたストーリー読みましたよー(^。^)
セリ美さんの妄想から、おとぼけ男爵さんがシャンパンの泡がはじける洒脱な作品に繋げられるなんて、人生は面白いですね。
皆さまのご健康をお祈りしています。
おおおおおなんとなぎしょですか!!
しかも退団発表直前に沼堕ちとは…!!!
わかりますわかります、これまでだってずっと見ていたのに、思わぬところに突如マンホールの穴が出現するんですよね~~
セリ美もミズさま堕ちのとき、同じでした!
宙組に来てからもずっと見ていて、「ふ~~ん、水夏希さんねえ」くらいにしか思ってなかったのに、ある日突如ドボーーーーーン。
2番手といういちばんオイシイ時期だったので、堕ちてからは追っかけ甲斐がありましたけども、堕ちた直後に退団発表されちゃうとねえ~…
でもセリ美も結局最後までミズ会には入らなかったので、とにかくチケット枚数を増やすことにヅカ資金をすべて充てられました。死ぬほどミズさまの男役姿を観られて本当に良かったと思っています。
この状況じゃきっともうお茶会も入り出もないし、あとは全力でチケット枚数を増やすのみですよ!フェアウェルもあるのかどうか…?
シルクロードでなぎしょめっちゃ出てきますから、それはそれは観甲斐があります!チケット確保に本気出していきましょう!お芝居でもゲーテすごく素敵ですよ~!
おお、やはり森下さんの著書でしたか!ビジネスの視線も混ぜつつ、なかなか表に出てこない宝塚の内情が知れてとても興味深い本ですよね~。
博多座の大階段、見たかったなあ。。
fffはもうね…良くも悪くもとにかく難解、人によっては「大トンチキ」と酷評する人もいるかもしれません。
悲劇なら悲劇に、伝記なら伝記にしてくれればいいのに、なんとも起承転結の分かりにくい、結末も「どういうこと??」となる作品です。
でも、ベートーヴェンとくーみんの脳内をどうにか理解しようと、観劇後にいろんな方向からアプローチしたくなるのは間違いないです。
そういう観劇後感を持たせることをくーみんが狙いとしているなら、まさに狙い通り。
ひたすら悶々と考え続ける日々が訪れます。
演出家とか作家とか、すべての登場人物の関係性や人物像を頭の中で妄想して展開していく仕事の人なんて、もはや変態ですよね。架空の人物を自分の脳内で作り出して、苦難を味わわせたり恋に落としたり…一体何を妄想してんだって思います。リスペクトも含め。
生田くんの初ショーは発展途上って感じだったので、宝塚の歴史に名を残すであろうだいきほという偉大なトップコンビの退団作品としては、ちょっと物足りないかなあ…
関東はついに緊急事態宣言でちゃいましたが、アナスタシアが無事に最後まで公演できますよーに!!!
fff、もう手ごわいのなんのって…SAPAもだいぶイッちゃってましたけど、過去最高にイッちゃってる作品ですね、fff。
ベートーヴェンなんてそれほど脚色しなくたって充分ドラマチックな人生なのに、あえてあのようにとんでもない演出をしたのだろうなあと思うと、その目的を意地でも探り当てたくなります。
まさに、「観るたびに発見のある作品」であることは間違いないですね。
セリ美も基本的に公演プログラムは買わない派なんですが、今回ばかりは購入して熟読しています。くーみんがクラシック喫茶で働いていて何か感じるところがあったというベートーヴェンの音楽というものももっと知りたくなりました。
そうして、人の知的欲求をこれでもかこれでもかと刺激してくることこそがくーみんの狙いだったかのと思うと、まさに術中という感じですね。
このコメント欄の常連さんたちとみんなでひっそりとやりとりしているこの空間、いいですよね。ツイッターだといろんな人が見てるから書けないことも多いし。
今年もみんなでワイワイやりましょう!
おおお、なんと、1/5、一緒でした!!ご挨拶したかったですなあ!!
私もかなり爆音ニガテです。。ずいぶんドカンドカンバンバン鳴り響いてましたよね…
特にまあやがピアノに乗って登場するときにほっっっそい声で静寂の中歌い続けている中、急に響いた銃声がすごく恐怖でした。
次回からあの場面、心構えをしっかりして観なければ…
セリ美もあと4回あるので、その間に自分なりの答えを見出したい!!
まあやは本当に本当にすごい娘役です。
あんな娘役、もう二度と出てこないだろうなと思っています。
ショーでの香港の場面、まあやが男役さんたちをはべらせてラップを披露してセリ美はもうあまりのまあやのかっこよさに泣いてしまいました…
天下のだいもんですら「私のために踊りなさい」と見せてしまうあの貫禄…
でもだいもんにそっと寄り添うこともできる娘役芸。まあや、サイコーです!!
そうそう、座付きの演出家があんなにたくさんいて、固定のスターさんがいて、1年ずっといろんな新作が観られる劇団なんて日本では宝塚くらいでしょうから、いろんな種類の作品があっていいですよね。
諸行無常、すべてのものは変化していくのがこの世の常ですから、宝塚作品もどんどん新しいことにチャレンジしていってほしいですね。批評を恐れずに。
大劇場でのウエクミ作品は『神々の土地』以来ということで、鹿の親玉ならぬ牛の親玉になってみました。『神々の土地』、素晴らしかったですね…何度でも見たい作品です。
ベートーヴェンの音楽に乗せた思いを自分なりに少しは理解できてきたかなあ…
お恥ずかしながらセリ美はクラシック音楽には全然教養がありませんで、まじょるか魔女さんの解説を唸りながら読みました。だいもんの舞台人生とベートーヴェンの生きざまを重ね合わせているのでは、という見方にも唸りまくりです。
特にベートーヴェンの音楽はあまりにもポピュラーになっているので、「ああ、あれでしょ」と思ってしまって余計に自ら聴く気にならなかったのだと思います。
フィギュアスケートもそこそこ好きなので、ベートーヴェンの音楽はそこでもよく使われているのでそこもまた改めて聴く機会を失っていた要因だなあ。
学生時代にクラシック喫茶でアルバイトしていたことでブラームスやベートーヴェンの作品に繋がったというくーみんのエピソードを知って、セリ美もピザハットなんかで働いてないでそういう教養が増えるバイトすれば良かったな~なんて後悔したりしています。雨の夜の配達で派手にコケたりしたなあ…
今年もこのコメント欄で皆さんとひっそり楽しいやりとりしましょうね!