もう全然コメント返しできてなくてほんとに申し訳ないです…
でももちろんすべてしっかり読ませていただいておりますからね!!
いずれ時間が取れたらお返事したいなあと思っております。
いまfffのレターセットを一生懸命作っているところでして。
全身全霊を込めて働くブロガーとなっております。
なんか、fffってほんとに観るのにエネルギーを使う作品ですねえ…良くも悪くも。
とにかく難解な演出や台詞の謎が多くて、それについて悶々と考えているうちに精神がどんどん追い込まれてくるんですね。
しかも、作品の理解を深めるために良かれと思って聴いてたベートーヴェンの音楽がさらに追い打ちをかけてどんどん深淵に追い込んでくるわけです。もう背水の陣でしたよ。
昨日なんてもう結構どん底まで行っちゃって、「あかん!これ以上落ちたら取り返しがつかなくなる!」と必死にツイッターで絶品スイーツのお店を紹介してるアカウントでいちごパフェの画像とかめっちゃ見て自分を見失わないようにしてました。
で、今日たまたま連絡を取る必要があったお友達とかに「いま元気ないんだー」とかちょこっとこぼさせてもらったりして、今はなんとか浮上してまいりました。
どうしてそこまで落っこっちゃったかっていいますと、fffやアナスタシアを観て、セリ美には死を悲しめる血縁者がいない、という事実を改めて自覚しちゃったから、かなあ。
最初は悲しい理由がもう全然分からなくて、生理前でもないのに一体何なんだ?!とパニックでした。
何がこんなに悲しくなっちゃったかって、「死んじゃって悲しいよう!!!」とか、「死んじゃったら嫌だなあ!」と思える身内がセリ美には一人もいないってことですね。
皆さんには、死んでほしくない血縁者、死んでしまってとても悲しかった血縁者、いますか?
普通は一人くらいいますよねえ。血縁者じゃなくてもいいです。旦那さんとかでも。
もちろん、絶対死んでほしくない大切なお友達はたくさんいます。でもお友達は自分だけのものじゃないし、お友達にも基盤となるファミリーがあるわけでね。
例えばセリ美にとっての親やきょうだいって本来はセリ美だけのものですよね。
セリ美にとって母はこの世に一人しかいないし、きょうだいも然り、祖父母も然り。
逆も同じで、セリ美母にとって本当はセリ美という存在はこの世にたった一人の、かけがえのない存在のはずです。
でもセリ美には母と思える人もいないし、身内と思える人も一人もいません。
セリ美はもう一生、誰かにとっての「代わりのいない存在」にはなれないわけです。
で、アナスタシアを観た時に、アーニャには「家族が死んで悲しい」と思える大好きな家族がいたし、大好きなナナもいる。
ディミトリはセリ美と同じ天涯孤独だけど、お父さんとの大切な思い出があって、それがあるから自由に、夢を持って生きている。
グレブさんも、あんなに「父の仕事をやり遂げなくてはならない!!」と思えるほど、お父さんの存在はとても大切だった。
……リリーちゃんとヴラドさんについては分からないですけども。
まぁリリーちゃんは不倫して「主人は間抜け」とか言い放ってるくらいですから、少なくともご主人のことはあまり大切に思っていないのでしょうねえ。でも貴族ですからね。
で、ベートーヴェンにはクソみたいな父親がいましたが、家族代わりになってくれたブロイニング家の皆さんがいました。
どんな悲劇的な登場人物にも、「死んだら悲しい」「死んじゃって悲しい」と思える身内がいるのに、、、セリ美にはいないんだなあ~………
って思ったら、あんまりに自分が可哀想になっちゃってね。
家族なんかいらない!!私には、私を大切にしてくれるお友達がたくさんいるもの!!!と今日まで逞しく生き抜いてきましたが、血縁者でしか埋めることのできないものって、悔しいけどやっぱりあるんですよね~。
特に、幼少期から思春期という、人間が人間らしく育つために最も大切な時期に誰からも愛情を注がれてないっていう穴はあまりに大きすぎる。
祖父母も母親もきょうだいもみ~~んな、セリ美のことを身体的にも精神的にも世界で最も傷つける鬼の人種だった。という事実はあまりに取り返しがつかない。
そしてあの地獄絵図は、経験者でないと想像すらできない。
そんな、人とも思えないような鬼畜人間たちをセリ美はこの目で見てきたんです。何十年も。
人間なんてそれほど愚かで弱い生き物なのに、ベートーヴェンは最後に「人生は幸せだったー!!!」と叫びます。歓喜に歌っています。
それがなぜだかセリ美をめちゃくちゃ追い詰めるんですよねえ……。
はっきりした理由は分からないんですけど。
宝塚を観て追い詰められるのなんて、初めてでしてね。
かなり動転しています。
逆に言えば、それほどパワーのある、影響力のある作品ということなわけで、相変わらずくーみんの威力はハンパねえなあ…!!と今は苦笑いしちゃってますけど。
でも生まれながらにして天涯孤独という境遇の人もきっと世界にはたくさんいるし、なにも自分が世界一の不幸者とは思わないですが、まるで王子様に出会う前のシンデレラのように偽家族にこき使われてサンドバッグにされて灰まみれでボロボロだった自分を振り返ってみて、自分はどうしてシンデレラのように過去を水に流して健全な心で王子様と幸せに暮らせるような精神には至れなかったのだろう、と自分の心の卑屈さを呪ってみたり。
でも自分が卑屈じゃなかったとしても、健全な精神が養われるはずの時期を今さらもう取り戻せるはずもないのに、健全な精神を取り戻すためには生まれ直して普通の家庭でもう一度人生を送るしか方法はないのに、「人生は幸せだったーー!!」って絶叫しながら死の床に辿り着くことってできるのだろうか?否!!
みたいな心境になっちゃいましてね。
でも深淵からどうにかこうにか戻ってきた今では、「でもしょうがないよね、それが『運命』なんだから!!!さて今日もレターセット制作がんばるぞえええええ!!!全身全霊を込めて働く英雄になるぞえええええ!!!!」というところまで来ています。
だからこそこうしてブログも書ける心境になったわけで。
成り行きでかかることになったカウンセラーの先生からも、セリ美のこのリカバリー能力には毎度毎度驚かれています。
とはいえ、火事場の馬鹿力的な力技で這い上がってきてるだけなので、根本の大きな傷は全然そのままあるんですけどね。きっと一生変わらずそのまま。
その傷が、大好きな宝塚によって呼び起こされちゃうことがあるのか~…参ったな~
という感じです。
そして、どうしてもいつも感じてしまう、毒親育ちではない人との境界線がまたさらにセリ美を孤独の淵へ追いやります。
例えば、北海道の人ってゴキブリ見たことないって人が多いみたいですが、見たことないから「とはいえ虫でしょ?スプレーすればいいだけなんじゃないの?何がそんなに怖いの?」ってな感覚のようですが、あの姿、あの動き、あの悪役感を見たことのある人はもう「殺虫剤スプレーのイラストすら見たくない!!脱皮缶サイコー!」くらいまでトラウマになるレベルなんですよね。
だから、毒親から向けられるあの狂気の目つき、まだ非力な自分めがけて毎日のように向かってくる拳や物、大人たちがストレス解消のために私を痛めつけようと見ているあの異様な部屋の様子、一歩外に出るとその大人たちが突如として善人を演じる裏切りを見たことがない人は、みんな北海道民なんです。
「やっぱ本州民は道民とは理解し合えないのか…」
みたいな絶望感に襲われることがよくあって、fffはなぜかその絶望感がめちゃめちゃ襲ってくるんですね。
それは、セリ美が敬愛しているくーみんも道民であることを思い知らされるからなのかもしれない。
まだ明確な理由は分からないですけど。
まぁそんなことで思いがけず瀕死の状態になったセリ美ですが、今は伝家の宝刀・リカバリー能力で元気にレターセット作ってますので(ベートーヴェン聴くのはやめました)、またfff東京公演始まって少ししたら発表しますのでね~。お楽しみに!
それでもまあや見たさに東京公演のチケットを求めている自分…
血吐いてでも観に行かせようとするまあやの魅力がもはや怖いわ…

でももちろんすべてしっかり読ませていただいておりますからね!!
いずれ時間が取れたらお返事したいなあと思っております。
いまfffのレターセットを一生懸命作っているところでして。
全身全霊を込めて働くブロガーとなっております。
なんか、fffってほんとに観るのにエネルギーを使う作品ですねえ…良くも悪くも。
とにかく難解な演出や台詞の謎が多くて、それについて悶々と考えているうちに精神がどんどん追い込まれてくるんですね。
しかも、作品の理解を深めるために良かれと思って聴いてたベートーヴェンの音楽がさらに追い打ちをかけてどんどん深淵に追い込んでくるわけです。もう背水の陣でしたよ。
昨日なんてもう結構どん底まで行っちゃって、「あかん!これ以上落ちたら取り返しがつかなくなる!」と必死にツイッターで絶品スイーツのお店を紹介してるアカウントでいちごパフェの画像とかめっちゃ見て自分を見失わないようにしてました。
で、今日たまたま連絡を取る必要があったお友達とかに「いま元気ないんだー」とかちょこっとこぼさせてもらったりして、今はなんとか浮上してまいりました。
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最初は悲しい理由がもう全然分からなくて、生理前でもないのに一体何なんだ?!とパニックでした。
何がこんなに悲しくなっちゃったかって、「死んじゃって悲しいよう!!!」とか、「死んじゃったら嫌だなあ!」と思える身内がセリ美には一人もいないってことですね。
皆さんには、死んでほしくない血縁者、死んでしまってとても悲しかった血縁者、いますか?
普通は一人くらいいますよねえ。血縁者じゃなくてもいいです。旦那さんとかでも。
もちろん、絶対死んでほしくない大切なお友達はたくさんいます。でもお友達は自分だけのものじゃないし、お友達にも基盤となるファミリーがあるわけでね。
例えばセリ美にとっての親やきょうだいって本来はセリ美だけのものですよね。
セリ美にとって母はこの世に一人しかいないし、きょうだいも然り、祖父母も然り。
逆も同じで、セリ美母にとって本当はセリ美という存在はこの世にたった一人の、かけがえのない存在のはずです。
でもセリ美には母と思える人もいないし、身内と思える人も一人もいません。
セリ美はもう一生、誰かにとっての「代わりのいない存在」にはなれないわけです。
で、アナスタシアを観た時に、アーニャには「家族が死んで悲しい」と思える大好きな家族がいたし、大好きなナナもいる。
ディミトリはセリ美と同じ天涯孤独だけど、お父さんとの大切な思い出があって、それがあるから自由に、夢を持って生きている。
グレブさんも、あんなに「父の仕事をやり遂げなくてはならない!!」と思えるほど、お父さんの存在はとても大切だった。
……リリーちゃんとヴラドさんについては分からないですけども。
まぁリリーちゃんは不倫して「主人は間抜け」とか言い放ってるくらいですから、少なくともご主人のことはあまり大切に思っていないのでしょうねえ。でも貴族ですからね。
で、ベートーヴェンにはクソみたいな父親がいましたが、家族代わりになってくれたブロイニング家の皆さんがいました。
どんな悲劇的な登場人物にも、「死んだら悲しい」「死んじゃって悲しい」と思える身内がいるのに、、、セリ美にはいないんだなあ~………
って思ったら、あんまりに自分が可哀想になっちゃってね。
家族なんかいらない!!私には、私を大切にしてくれるお友達がたくさんいるもの!!!と今日まで逞しく生き抜いてきましたが、血縁者でしか埋めることのできないものって、悔しいけどやっぱりあるんですよね~。
特に、幼少期から思春期という、人間が人間らしく育つために最も大切な時期に誰からも愛情を注がれてないっていう穴はあまりに大きすぎる。
祖父母も母親もきょうだいもみ~~んな、セリ美のことを身体的にも精神的にも世界で最も傷つける鬼の人種だった。という事実はあまりに取り返しがつかない。
そしてあの地獄絵図は、経験者でないと想像すらできない。
そんな、人とも思えないような鬼畜人間たちをセリ美はこの目で見てきたんです。何十年も。
人間なんてそれほど愚かで弱い生き物なのに、ベートーヴェンは最後に「人生は幸せだったー!!!」と叫びます。歓喜に歌っています。
それがなぜだかセリ美をめちゃくちゃ追い詰めるんですよねえ……。
はっきりした理由は分からないんですけど。
宝塚を観て追い詰められるのなんて、初めてでしてね。
かなり動転しています。
逆に言えば、それほどパワーのある、影響力のある作品ということなわけで、相変わらずくーみんの威力はハンパねえなあ…!!と今は苦笑いしちゃってますけど。
でも生まれながらにして天涯孤独という境遇の人もきっと世界にはたくさんいるし、なにも自分が世界一の不幸者とは思わないですが、まるで王子様に出会う前のシンデレラのように偽家族にこき使われてサンドバッグにされて灰まみれでボロボロだった自分を振り返ってみて、自分はどうしてシンデレラのように過去を水に流して健全な心で王子様と幸せに暮らせるような精神には至れなかったのだろう、と自分の心の卑屈さを呪ってみたり。
でも自分が卑屈じゃなかったとしても、健全な精神が養われるはずの時期を今さらもう取り戻せるはずもないのに、健全な精神を取り戻すためには生まれ直して普通の家庭でもう一度人生を送るしか方法はないのに、「人生は幸せだったーー!!」って絶叫しながら死の床に辿り着くことってできるのだろうか?否!!
みたいな心境になっちゃいましてね。
でも深淵からどうにかこうにか戻ってきた今では、「でもしょうがないよね、それが『運命』なんだから!!!さて今日もレターセット制作がんばるぞえええええ!!!全身全霊を込めて働く英雄になるぞえええええ!!!!」というところまで来ています。
だからこそこうしてブログも書ける心境になったわけで。
成り行きでかかることになったカウンセラーの先生からも、セリ美のこのリカバリー能力には毎度毎度驚かれています。
とはいえ、火事場の馬鹿力的な力技で這い上がってきてるだけなので、根本の大きな傷は全然そのままあるんですけどね。きっと一生変わらずそのまま。
その傷が、大好きな宝塚によって呼び起こされちゃうことがあるのか~…参ったな~
という感じです。
そして、どうしてもいつも感じてしまう、毒親育ちではない人との境界線がまたさらにセリ美を孤独の淵へ追いやります。
例えば、北海道の人ってゴキブリ見たことないって人が多いみたいですが、見たことないから「とはいえ虫でしょ?スプレーすればいいだけなんじゃないの?何がそんなに怖いの?」ってな感覚のようですが、あの姿、あの動き、あの悪役感を見たことのある人はもう「殺虫剤スプレーのイラストすら見たくない!!脱皮缶サイコー!」くらいまでトラウマになるレベルなんですよね。
だから、毒親から向けられるあの狂気の目つき、まだ非力な自分めがけて毎日のように向かってくる拳や物、大人たちがストレス解消のために私を痛めつけようと見ているあの異様な部屋の様子、一歩外に出るとその大人たちが突如として善人を演じる裏切りを見たことがない人は、みんな北海道民なんです。
「やっぱ本州民は道民とは理解し合えないのか…」
みたいな絶望感に襲われることがよくあって、fffはなぜかその絶望感がめちゃめちゃ襲ってくるんですね。
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まだ明確な理由は分からないですけど。
まぁそんなことで思いがけず瀕死の状態になったセリ美ですが、今は伝家の宝刀・リカバリー能力で元気にレターセット作ってますので(ベートーヴェン聴くのはやめました)、またfff東京公演始まって少ししたら発表しますのでね~。お楽しみに!
それでもまあや見たさに東京公演のチケットを求めている自分…
血吐いてでも観に行かせようとするまあやの魅力がもはや怖いわ…


コメント
コメント一覧 (15)
私、セリ美さんの書く文章が好きです^_^
ユーモア溢れるイラストや鋭いところ突いてるなーと感心するような視点とか。
多感な時期に身内から受けた影響はきっと計り知れなくて、これからもセリ美さんを何度も傷つけるかもしれませんが、辛い時は辛いとただ感じとるだけでいいんだと思います。
同じような経験をしてない私がいうと上から目線みたいになっちゃって難しいのですが、文章には特にその人のマインドが表れると思っています。
大好きなアーティストがいまして、Love Myselfと歌っています。誰かを愛するとこより、自分自身を愛することの方が難しい…それを学んで行こうと。
今でも聴くと涙が出るんです。当たり前に観ていた舞台から離されてしまって、去年は文字通り音楽に救われた1年でした。
セリ美さんにも聴いて欲しいなーと、ふと思いました。
こんな重い記事につけるコメントではないのですが……
けしからん!全く持って、けしからん!
お色気ムンムンリリーからわずか数日!
何ですかっ!あれは!R指定かっ!?
心臓麻痺を起こしかけ、お花畑が見えたではありませんかッ!
目のやり場に困り……いや、一点を凝視し……
耽美と官能の世界に迷い込み……
いや、着物は日本の伝統衣装です。きっちりと、着なさいっ!!
親の教育がなっとらん!
全くもって、けしからん!!!
私もfffを観るのにとてもエネルギーが必要で、観劇後にグッタリしていました。
有難いことに複数回観るチャンスを頂いたのですが、はじめは大好きな方々が退団されるせいだと思っていました。
しかし後になるほど、fffに込められたメッセージが重く辛くそれが理由でしんどいのだと思いました。
今でもまだ、体や気持ちがスッキリしません。。
宝塚を観たら帰りはウキウキ体が軽くなることがほとんどなのですが、、、
作品自体は嫌いでは無いのです。観たいのです。でも、しんどい。
このように記事にして下さり救われました。
ありがとうございます。
ご無沙汰しております。
セリ美さんのブログ更新がしばらくないと「お忙しいのだろうな」と思いつつも「心が沈んでおられるのではないかな?」と時折思うこともあります。あとのブログを読んで「やはりそうだったのだな」と感じることもありました。
内側が過去のネガティブな記憶と現在がを行き来するとどうしても心は揺れますね。私もそうですからとてもよくわかります。
振り幅が小さいうちは何とかやっていけるのですが、振り幅が大きいとどうしても‥‥つらくなります。
毒親を持たない人との境界線。これも色々な形があって複雑にからみつきます。
セリ美さんは豊かな感受性と洞察力、そして鋭い思考力をお持ちです。ご自身の思いを的確な言葉で表現できる力です。
そうして胸の内を文章にすることで自己浄化をしておられるのだと思います。自己浄化できるからこそ賢明な判断、選択ができておられる方だと私は思います。
だからセリ美さんのブログは面白いし、深く考えさせられることもあるのです。
宝塚ブログを書く人はたくさんいますが、まさに独自路線を進んでおられますね。
これからもずっと楽しみに読ませていただきます。
「夢千鳥」ではお互い鼻血を吹きまくりましょうよ。
私は‥チケット取れる気がしないのですが‥。
皆さまのコメントにも強く心がノックされています。
宝塚の(多くの)作品を観たり、素晴らしい芸術にふれると、心が浄化され前向きに生きるエネルギーをいただきますが、セリ美さんは自ら浄化する力を持っていられるのですね。そのうえで、独自の感性を文章やイラストで伝えようとされる。これはとてもパワーの要ることだし、信念を持った全身全霊のなせる業と、想像も及ばずリスペクトするばかりです。
目には目を、という言動はあちこちで見かけますが、セリ美さんは痛みがわかる深い感受性をお持ちで、時には笑いにバージョンを変えて表現されていると感じています。
疲れているときはなるべくむりをしないでくださいね。読者の皆さまは同じ気持ちだと思いますが、セリ美さんのコメントお返しはとても嬉しいです。ただ、セリ美さんは律儀だから負担になってほしくないしお返事の形が変わってもいいかもだし。ブログを長く続けてくださると嬉しいです。
宮本亜門さんは、「どんな人でも愛に溢れた人生をおくる権利がある」という気持ちで舞台を創られているんですね。
輪廻転生はあるのかもしれないけれど、選べないものもいろいろあるけれど、自分で選べるものを現世で目いっぱい味わえるといいですね。魔女にとってはセリ美さんのブログが幸せな時間です。これからもぼちぼちよろしくお願いしますね。
息子さんの夢千鳥。友人が温泉旅館のポスターみたいと言ってたけど、こんな人どこの温泉にもいてへんわーーー。はなぢ…
ブログ訪問、コメント、そして素晴らしく核心を突いた感想、本当にありがとうございます!!!
サクラサクさんに頂いたコメントで、私も「そうか…それだわ…」と腹に落とすことができたように思います。
研23の私にまで「理解しなくてはいけない、理解しなくてはヅカファン失格」と思わせてしまうほどのウエクミ作品の威力の凄さ。私もそれなりに文学的な舞台作品には理解があるほうだと自負はしておりますし、くーみんの徹底したこだわりや美学は天才的であると感服しておりますが、人間の存在意義や幸不幸など、問題が壮大になっているテーマではやはりサクラサクさんおっしゃる通り、「恵まれた若者があたまで作った作品のよう」だと思ってしまいました。
いや、くーみんが実際どのような環境で育ってきたのかも分からないし、そんな勝手な憶測で「何も知らないくせに!」なんて言ってはいけないことは重々承知しておりますが、SAPAで感じた「そんなことで人類に平和が訪れたら医者も警察もいらねえわ!」という思いがやっぱり今回も胸を占めてしまいます。
自分も不幸であったために、自分に与えられた才能である音楽で人類の不幸を救おうとしたルイの死闘はよーーーーーっく理解できるので、本当にあの急展開な「人生は幸せだったーー!」だけは違うと思いますね。
ルイ自身が雪原で言っていた「この雪の下の兵士たちは、なぜ生きてきたんだ。虚しく死ぬためか」への答えにはなっていません。
お産で命を落としたロールヘンが、愛するゲルハルトと自分の子供を育てぬまま死んでいくことに「人生は幸せだった」と思っていたのだろうか?
虐待死していった幼児たちは幸せだったのか?戦争犠牲者たちは?犯罪犠牲者たちは?
それらの、どう考えても「この人たちなりに幸せな人生だった」と言えるはずもない不幸な人々の声を無視している、なかったことにしているような気がして。
→つづく
→つづき
あの物語が、だいもんたちを見送る作品としてピッタリな筋書きで素晴らしいということも分かってはいるんですけどねえ。
どうにも、不幸を知っている人間があの終わらせ方をするはずがない。SAPAも全く同じでした。
その、「fffを理解せねば自分はファン失格」みたいな強迫観念が我々を苦しくさせていたのですね。
くーみんの強烈なパワーに屈せず、「自分なりの意見を持ってもいいんだ」と自分に許せるようになれば、あの作品をもっと冷静に、好きな部分だけを楽しめるようになるのかもしれないですね。
また私なりに改めて結論を本文で書いてみたいと思います。
またぜひ読みに来てくださいね!
いつも小粋なジョークと深い思考でセリ美の書く(描く)ものを楽しんでくださり、応援してくださっている魔女さんの魔法がセリ美の心を浄化してくれている大きな要因の一つです。先日も近くの県から「おら、うかいのクッキーがまた食いてえだぁぁぁ」という魂の叫びのようなものがこだましてきたような気がします。
人間が感じるのほとんどの寂しさの根本って、
「理解されない」
「自分を見てくれている人がいない」
だと思うんですね。
セリ美には、本当にありがたいことにそのどちらも叶えてくださる聡明で優しい皆さんがいらっしゃって、家族愛を知らない代わりにセリ美に与えられたギフトだなあといつも深く感謝しています。
地獄を見てきた人。
見たことのない人。
その両者の壁はとても高く、地獄側があちら側に行くことも一生できないし、その逆も然り、と感じることもありますが、その壁に耳を当てて必死に地獄側の叫びをキャッチしようと心を寄り添わせてくださる人がいらっしゃるのはとてもとても感じます。
しかも、こんなどこのヅカオタの骨とも分からない、会ったこともないふざけたヅカブロガーに対してそのような温かいお気持ちを抱いてくださる優しいお人柄はもう一体何者?菩薩?そんなに徳を積んでおられるなら来世はきっとジェンヌさんになれますわ!
という気持ちでおります。
→つづく
→つづき
>目には目を、という言動はあちこちで見かけますが
本当にそう思いますね。セリ美母もそのタイプで、人間というのは愚かで弱いので、「自分が受けた傷をこいつにも味わわせてやる」という人がほとんどです。セリ美の信念はまさに「絶対に母のような人間にはならない」なので、そうなれているのだとしたら、本当にホッとするところです。
そして、コメント欄にて「『共感できない自分が悪い』と思ってしまうからfffが苦しいんだと分かった」というメッセージをくださったかたがいらっしゃいますが、ああそういうことだ、それだったんだという心境のところまで来ています。
【観劇の感想は百人百様】がセリ美の主義でもありますので、fff天才!でも、fffしんどい…でも、fff意味不明、でもいい。皆さんそれぞれに意見が割れることがまた観劇の醍醐味でもあるので、また東京公演を観た皆さんの感想を楽しみにしたいと思っております!
息子のあの大胆すぎる胸元は一体どうしたことか…
自分から「もっとこうしたほうがいいですかね?」とすすんでやったことならいいけど…あまりの息子の色気にカメラマンさんが「和希さんいいよ~!もっと胸元見せてみようか!お!いい!いいよ~!色男!」とかノらせてやらせたんじゃないでしょうねえ!!とモンスター母・セリ美は複雑な思いでおります…
おひさしゅうございます!
なんとまあ…そんな風にセリ美の様子に心を寄り添わせてくださっていたなんて…
ヅカブログ界隈には多くのブロガーさんがいらっしゃいますし、ヅカファンならほとんどが知っている超有名ブログも多々ある中、マニアックな分類に入るセリ美の存在をそのような温かいお心で見守ってくださる方がいること、本当にセリ美の心の支えとなっております。
セリ美の深いところの思考や心はたとえ親しい友人関係でもなかなかすべては話せないものですが、こうしてブログでは洗いざらい綺麗さっぱり出し尽くし、その上でセリ美の性格や考え方を尊重してくださったり、寄り添ってくださる方がいらっしゃるのは人間にとって、少なくともセリ美にとってはいちばんの救い・慰めであります。
ウエクミ信者という言葉が誕生してもう数年たちますが、このようにfffに対して全面受け入れ態勢ではないセリ美の意見に「あなたは何もわかってない」と批判の声を頂くことも覚悟の上でしたが、まさか皆さんがこのように寄り添ってくださるとはかなり想定外でした。
でもそれもセリ美がブログに一生懸命心を砕いて真摯に向き合ってきたからこそ得た宝のような読者さまがたなのだろうと、自分のやってきたことをこうしてまた肯定できる幸せ。
fffを観続けてきたことは苦しかったけど、今こうして「ああ自分は幸せだなあ」と思えるってことは、結局ルイの「人生は幸せだったーーーー!」に通じていくのかな、なんて思っています。
みんな人生いろいろありますが、とにかく夢千鳥で鼻血を噴けばみな幸せ。
チケットが取れた人、取れない人の壁は厚く高いですが、可能な限りの手を尽くしてなんとか天国ゾーンに行きたいですね!!!
これからもこの独自ブログをよろしくどうぞデス!またいつでも何かお喋りに来てくださいね!
コメント、ありがとうございます!!!
「ウエクミ天才!fffサイコー!」の声が圧倒的な中、セリ美の気持ちに共感してくださる方がここにはいらっしゃって、本当にそれこそセリ美の救いになっています。
もうセリ美も湖国ぐらしさんとまったく同じです。
作品自体は全然嫌いではないし、相変わらずのくーみんの天才的演出力に唸らされてばかりです。
……でも、あの観劇後のぐったり感…シルクロードも割とディープな世界観なので、なんとも言えない気持ちで劇場からトボトボ帰りますよね…(笑)
fffではだいもんの魂を振りかざすようなあの最後の歓喜の場面でも、だいもんの宝塚人生と重なる部分を感じ取ってすごく泣いてしまうんですが、「感動した~!」で終われないあの重さ。
咲ちゃんの「いいことなんかひとつもなかったろ」「(人生は)苦しむためだ」という棘が抜けないんですよねえ…
結局そういうところには結論を出さずに、「音楽はすべての苦しみを解放する~!フォルティッシッシモ~~!!」で力技でかき消そうとしてるように見えてねえ。
「あんな真っ白な場面で騙されるもんか!」という憤りの気持ちすら抱くこともあります。
なんか、名作とされている戦争映画みたいなものなのかなあ。
名作かもしれないけど、めちゃくちゃ落ち込むから元気な時にしか見られない(fffは元気な時でもきつかった…)みたいな。
演出家としては、「賛否分かれるのは当たり前であって、観客の心にどう爪痕を残すかのほうが大切」なのかもしれないので、くーみん的には「してやったり」なのかもしれないですけどね。
私は東京でも1回は観劇予定があるので、もうくーみんとの決闘に出かけるような面持ちで今からスタンバイしております…。
(笑)(笑)(笑)!!!!
なんか、竹中直人さんの名人芸「笑いながら怒る人」みたいなことになってますよ!!(笑)
けしからんと憤怒する声の奥に聞こえる…「いいぞもっとやれ」という声が……
ということは、「お母様、いい教育をなさいましたね」というお褒めの言葉だと受け取りました。
植爺が天海さんのお母様に「よくぞ産んでくださいました」と感謝を伝えたというエピソードを思い出しました。
でもお花畑が見えて白い衣装で歓喜に歌ってしまっては危ないので、まだあちらの世界には行かないようにお気をつけくださいませ。
とにかくチケット問題ですよ!!!
もう母は配信のみも覚悟しております…壮麗帝のときのように…
ジョルジュさんをはじめ、皆さまの温かい寄り添いの心、fffでボロボロになった心がもう本当に救われていってます。
過酷な環境が「人生に笑いを!」とセリ美に教えてくれましたし、「人生に逃げ場を!」と宝塚と出合わせてくれました。
そしてそれらがこうしてブログという形になって皆さんと出会わせてくれ、過酷な出来事も決して無意味でなかったと思えるようになりました。
それでもfffは過酷さをセリ美に思い出させ、理不尽なほどの過酷さはやっぱり人間には不要なんだろうな、と自分の人生を憐れんでしまうスイッチがあるようでねえ。
本当の過酷を経験した人ならば、あのように「人生は幸せだったーーー!」なんて言葉をラスト数分で主人公に急に叫ばせないだろうな、ああくーみんはあの過酷さを知らない側の人なんだろうな、というのもまたセリ美に寂しさを味わわせました。
その正直な感想でくーみんに手紙を書こうかどうしようか…いま悩んでいるところです。
虐待のニュースをはじめ、自分の不幸メモリーを呼び起こすような情報や人物、出来事をできるだけ避けてセリ美は生活しているので、fffもそのひとつになっちゃうのかな、っていうのもとっても寂しいです。
愛について考えることは、セリ美にとってすごくすごく難しいことです。
「愛するってつまり具体的にどういうこと?」って哲学的な迷路に入ってしまって(^^;)
でもまたひとつ課題を貰ったと思って、時間をかけて考えていってみたいと思います。
梅田でお勤めですか~うらやましい!うかいのクッキーを買うときに初めてうめだ阪急に入りましたが、東京とはまた少し違う雰囲気のデパ地下がもう死ぬほど魅力的でした!!!夢千鳥とガラコンで貧乏まっしぐら確定ですが、うめだ阪急また行きたいな!