画家を目指した途端、すっかり女ったらしになってしまった息子、そら。


「美人画を描くにはいろんな女性を知らなきゃいけないから」

とかなんとか言い訳してたけど、なにもあおい先輩やきゃのん先輩にまで手を出さなくても…どんだけストライクゾーン広いのよ!!
いや素敵な先輩だけども。


じゅっちゃんの荒れようを見たら、母さんもう居ても立ってもいられなくって…

焦点の合ってない目でひたすらランプを掃除してたけど、あれはなんだったのかしらねえ…



画家を目指すそらを頭ごなしに怒ってもいけないわと思って、菊坂の草餅でも一緒に食べて前のような可愛いそらに戻ってもらおうと、庭で火を起こしてる時にそらの部屋から着物の端切れを頂戴したら、それがそらの宝物だったなんて…

切り裂きジャック





切り裂きジャックを捕まえに行きたくなるほどショックを受けてしまったそらに早く謝らなくっちゃ!!!


でも、どこへ行ったらいいか分からないわ……



そういえば!今日近所の公民館でキキ先輩がお茶会をやってるって聞いたわね。

なにやら皆さんでオススメのお菓子を持ち寄って、キキ先輩的ナンバーワンを決めるとかなんとか。

よし、行ってみよう!!







あ、ここね!!!










キキ斗亜ネット様お茶会






こんにち………



「そんなお菓子、つまらないわ!!!!退屈よ!!!!!」

「わんわん!!」



ちょ、ちょっと、一体どうしたの?!?!
お茶会なのにこんなにすごい気迫でやってるの?!?!

キャンディーちゃんまであんなに怒って…



「もっと完璧なお菓子が欲しいの!!!」

「それではもちもちカリカリのクレープはいかがでしょう」



……あれ???

あのクレープ持参してる人、そらに似てない……?

もうちょっと近くで見てみよう……


あっ!!!目が合った!!!


「ちょっ、そら…」


ああっ!!!逃げた!!!!




「そら!!!待って!!!母さんね……」

「ちょっとそこのあなた!!!」

「……は、はい?わ、わたし…?」

「そうよ!そこのみすぼらしい装いのあなたよ!」

「あ、あの、いまちょっと取りこんでまして…」

「その手に持ってるもの、何?」

「…え?あ、ああ、お茶会に手ぶらじゃアレだと思って菊坂の草餅を…」

「くさもち???それは一体なんなの?美味しいものなの?」

「菊坂の草餅は美味しいのよ~。あとにする?いま食べる?」

「いま頂くわ!!」

「わんわん!!」



し、しまった…つい癖でいま食べるかあとにするか聞いてしまった!!
ああ…そらを完全に見失ってしまったわ……



「こ、このお菓子は…!!!!これよ!!!これが私の求めていたお菓子なのよ!!!」

「わんわんわんわん!」

「んん~~ん、もう我慢できなぁ~~い♡」

「くぅぅぅぅ~ん♡」


あああああ!!!キキ先輩!!!!なぜドレスを脱ぐの?!?!

そ、そんなにおみ足を露わにして…!!!

キャンディーちゃんまで自分でドレス脱いでるわ!!!



「ちょ、ちょっと…!年頃のお嬢さんとわんちゃんがそんな恰好したらいけないわ!早くこの服を!」

…んん?ずいぶん真っ黒な服ね…妙に不気味な感じのする……



「私は草餅のメシアになるぅぅぅ~~!!!!!」


な、なに?!急にキャラ変しちゃったわキキ先輩?!?!
草餅のメシアってどういうこと?!





……ハッ!!!

こんなことしてる場合じゃないわ!!早くそらを追いかけなくっちゃ!!
キキ先輩ならなにか知ってるかしら??


「あのう、つかぬことをお聞きしますが、うちのそらがどこに行ったか知りません?」

「人間のいちばんの不幸は支配なんだ。」

「え?ああ、そうなんですかねえ…」

「でもそれよりもっと不幸なのは、親子が分かり合えないことだよね。僕が教えてあげよう。切り裂きジャックは一人じゃない、ってことをね」

「で、うちの子はどこに?」

「とりあえず米菓ストリートの221B号室へ行ってごらん!」

「ありがとう教授!!」




…え、教授?なんで私いまキキ先輩のことを教授って呼んだのかしら…

とにかく、米菓ストリート221Bへ急がなくっちゃ!!!!















はい、妙に人気の親子劇場でした。


アナスタシアでもあんなキャラなのにアドリブ場面引き受けてましたし、ジョンソン先生はもちろんだし、キキちゃんいつもご苦労様です。

笑いのセンスがいいっていうのもなかなか大変ですなあ。

息子のクレープ公爵が最後にいつもメルシーとかなんか一言いいますが、どうやらその息子の一言をしっかり受けてくれてるようで、そんなところにもほんとに感心してしまいます。


確か初日開けて翌日は


息子「ボナペティ!」(召し上がれ!)

キキ斗亜ネット様「召し上がらないわよ!!」


という掛け合いがあったようです。

事前に打ち合わせをしてたのかどうか分かりませんが、基本形は


「メルシー!」

「退屈だわ!」


だと思うので、翌日からいきなり変えてきたあたりが息子含めてやっぱすごいなぁ、と。

デリシューの貴重な見どころです。







さて、昨日のブログはこの「特急乗るなら宝塚増やす」を始めて以来最高に怒っている記事でした。

もしかしたら、あの場面がお好きな方から「そんなに嫌いならもう観に来ないでください!」ってクレーム入っちゃうかな…と覚悟はしていたんですが、意外にも「そうだそうだ!」「よく言ったセリ美!」みたいな声のほうが多く、ツイッターでもいいね数が多かったので、ネガティブな感想を言いづらかった皆さんの代弁になったようで良かったです。



でももちろん、「作品や生徒さんへの感想は百人百様」というのは軸にしっかり持っておりますので、「あの場面好きなんですけど!」というご意見も全然アリだと思いますよ!

セリ美だって再来週あたりには意見が変わってるかもしれませんしね。

それが観劇行為の面白いところですので、いろんな意見を楽しみたいですよね。





さて、昨日の「野口くんはもうちょっとレビューというものをしっかり学んだほうがいい」というのを解説するためにこんな説明をしようと思って温めていたのにすっかり失念していたネタがあったので、追記したいと思います。





まもなく東京での幕が開く、桜嵐記。

SAPA、fffとちょっと難易度の高い作品が続いていたくーみんですが、桜嵐記ではそれ以前の作風に戻り、「これよ!!これなのよ!!!」と大絶賛の声がたくさん聞こえてきていますねえ。


舞台演出家はクリエイターですから、いろんな挑戦があるのは絶対に必要なことですし、宝塚が107年も存続し続けているのは「変わり続けているから」だと首脳陣も言ってますし、挑戦はとても大切なことです。


どんな作品を作ろうが、いちばん大切なのは、演出家の根底に宝塚や生徒さんへのリスペクトを感じられるかどうか。

宝塚という世界に唯一無二の素晴らしい文化への敬意や愛があれば、多少のトンチキや攻めもファンはそこまで怒らないはずなんです。



野口くんの作品からは、そういうものがあまり感じられない。

血のにじむような努力を続けて入学を勝ち取り、入学してからはあの軍隊のような厳しく理不尽なルールを生き抜き、入団してからも自分の芸の研鑚だけを考えてプライベートをすべて捧げて清く正しく美しく生きている素晴らしい人たちと共に仕事をしている、というリスペクトが。



白井鐵三先生や酒井澄夫先生、岡田敬二先生の作られてきたレビューをちゃんと見ていたら、あんなものを作るはずがないんですよ。


ジャニーズのコンサートばっかり行ってないで、少しは宝塚の勉強をしろ!!!!




あ、ついまた暴言になってしまう……

そうじゃなくて、なぜ野口作品がなぜダメなのか、しっかり論理的に説明しようと思ったんだ。




そうそう、くーみんの話ね。

くーみん大好きなセリ美は、2018年に京都大学で行われた、当時ウエクミ茶と呼ばれた講演会に行ってきたんですね。他に観劇も無いのに、それだけのために泊まりで。


もう本当に興味深い講演で行って本当に良かったと思いましたし、「くーみんの脳内、どうなってんの?!」と皆さんが思う疑問の答えが少しだけ見えたような気がしました。

くーみんの根底にはこんな想いがあって、こんな夢や信念があって宝塚で必死に働いてくれているのね!というのがたくさん詰まった講演でした。


そして、そこでもらったレジュメがもう「出版したほうがいいんじゃないの?」と思うほどの素晴らしい完成度で、くーみん作品を観るたびにこのレジュメを取り出してセリ美は答え合わせのようなことをしていて、大変お世話になっています。


「無断転載禁止」とも書いてないですし、くーみんも講演で「まぁツイートは常識の範囲内で…」と言っていたので、多少は引用させてもらっても大丈夫かな、と。

ぜひこのレジュメを使って野口作品の問題点をあぶりだしてみたいと思います。




まず、この講演ではテーマが3つありまして、こんな感じ。




IMG_1803






これがレジュメの表紙ですね。

この「第二部」に注目です。



「アトラクション化する物語と、これからの物語」です。



アトラクション化する物語って??



少しレジュメから引用してみます。





この数年にヒットした映画のいくつかを見て全てに共通する私の感想は、物語を見たというよりも体感型アトラクションに乗った気分がしたということだ。
どれもだいたい、終わって冷静になれば、「え?話はそれだけ?テーマは?」とツッコミたくなるのだが、見ている間は終始、快感のツボを押されているような体感的な楽しさが続く。例えばノリのいい音楽を大音量で聞いて体がついリズムを取ってしまうような生理的な楽しさだ。見終えて残るのは、遊園地のアトラクションと同じ「あ~楽しかった~」という余韻で、物語を見る前と見た後で違う自分、みたいな影響は少ない。

従来のエンターテインメントは、娯楽でもある程度の文学性があり、ストーリーを頭で読み解く観念的な要素が大きかった。最新のエンターテインメントからは、文学的な物語構造はなくなり、ストーリーに込められたテーマを読み取らせることよりも、断片的な「萌え」というリビドー的刺激剤をコラージュして理屈でなく生理で人を興奮させる体感的なものになっていて、視覚や聴覚を通じて体感的に気持ちよくなるようにできている。




レジュメではこれら「アトラクション的物語」の近年の代表作を思いっきり明記してあって、まぁつまりは批判してるわけですけど、
(〇〇ランドとか、シン・〇〇ラとか、〇の名はとか、〇〇〇を止めるなとか)そういう潔さも男気があってセリ美はとても好きです。


物語って、見てるときは「わぁ~楽しい~」って思うけど見た後に何も残らないような存在じゃなくて、見た帰り道に悶々と考え込んでしまうような存在であるべきなんじゃないの?ってことをくーみんは言ってるわけです。




はい、まさにこれです。

これが野口作品。アトラクション的ショー。


観てるときは「わぁ~綺麗~」「この歌知ってる~」なんですけど、帰り道に「あの場面の曲って…」とか、「あの場面の意味って…」とか、自分なりに咀嚼しながら帰るなんてことはできないんです。


「従来のエンターテインメントは、娯楽でもある程度の文学性があり、ストーリーを頭で読み解く観念的な要素が大きかった。」


とありますが、まさにそういうことです。
宝塚でのお芝居はもちろん、ショーだって演出家なりに思い描いているモチーフやテーマなどがあり、なぜこの組にこのショーを作ったのか、なぜこの場面をこの生徒にやらせたのか、という意味が絶対あるんです。


セリ美が激怒している例の場面も、「観念的」であることが重要で、観客に想像させてドキドキさせることが「色気」とか「妖しさ」なんじゃないの?

SMクラブの恰好した人たちが鞭持って女性たちをしばきたおして、その鞭を受けた女性たちが、あああああんと官能的な表情を浮かべる、だなんてあまりにも安直で不潔な演出。


作るほうも観るほうも想像力が必要ないんだったら、もうエンターテインメントの意味なんてなくなってきます。
「潜入!日本の地下に眠る秘密SMクラブの実態!」とかいうYoutubeでも見てればいいんですよ。



そういう文学性も想像性も野口作品には感じることができず、非常に程度が低い。
この舞台に立つために血と汗と涙を流し続けてきた清廉なタカラジェンヌがわざわざやる意味がない。

この清廉な生き物がやるからこそ、世界のどこでも見られない最高峰のエンタメになっている仕組みを、あまりにも分かっていない。


くーみんも宝塚の古典作品を片っ端から勉強しているようですが、野口くん、アンタそういうことしたことあんの?って思っちゃいますね。
もし「しっかり見てきたわ!」と言うのなら、才能ないから宝塚にはいないほうがいい。

107年の歴史をしっかり学んできているのなら、あんな仕上がりにはならないはず。




くーみんの挑戦作「BADDY」も、とんでもないショーだったと思います。
でも、くーみんの根底に「宝塚」がしっかり息づいているので、あんなトンデモ設定でもファンはすんなり受け入れ、なんならもう大熱狂したわけです。


一方で、デリシューはアノ場面以外はかなりスタンダード。
シャンソン歌って、どんどん生徒さん使って、パステルカラーの衣装着て、キンキラキンの中詰めで。
それなのに、「退屈…」。
そりゃシャーロックもキキ斗亜ネット様も退屈して頭抱えちゃうわ。



キャーーーってアトラクションに乗って「もう一回乗ろうよ!!」って言えるほど、ヅカファンの古参はもう単純ではありません。
お若いお嬢さんや新規のファンの皆さんならアトラクションも新鮮に感じると思いますが、セリ美はもうシャンソンも死ぬほど聴いてるし、キンキラキンもたくさん観てます。


セリ美は、
野口くんなりにシャンソンをどう料理するのかが見たいわけです。
デリシューは、美味しいイチゴをただ切って並べただけ。じゃあ次の場面は?って期待してたら、今度は美味しいメロンを切って並べただけ。次は桃を…
っていうショーですね。



そうじゃなくて、「えっ、イチゴがこんな風に変わるの?」が見たいわけですし、それがあなたが宝塚にいる意味でしょうよ!



まかぜを名パティシエに見せた場面なんかもありますが、野口くん、あなた自身が全然名パティシエじゃないですよ。
切って並べるだけならセリ美にでもできます。




歌劇団内から「アトラクション化する近年の物語に疑問を感じている」なんて提言が出てるのに、その同僚であるあなたがそのアトラクション勢の筆頭になってどうする!

これまで演出助手として一体何を学んできたのか、もうちょっと見つめ直したほうがいいですね。







古参ババアのねちっこい愚痴かもしれませんが、「ファンの声をしっかり聞く」歌劇団さんですから、頼みますよ!












そもそもねえ、うちの息子なんていう天才的ショースターがいるのに単独で使わないとかいう愚行が許せないんだよあたしゃ!!