こんにちは。皆さん悲しみの朝をお迎えになったことと思います。
きっと緊急速報的なものも夜にあったのでしょうが、セリ美は地上波を見ないので、朝起きてからヅカ友さんからのLINEでこのことを知り、大変心がえぐられました。
有能な舞台人の自殺に関しては、以前にもこのブログで見解を書いたことがありました。
http://bonseri.club/archives/24069393.html
この時はまだコメント欄を開放していたので、様々な意見交換の場にもなり、勉強になりました。
竹内結子さんや三浦春馬くんの生育環境や性分などはまったくもって存じ上げなかったのですが、今回はかなり共感を持って見つめ続けていた人だったので、割と「他人事じゃない」感が強いです。
前にも書いたことがあるかもしれませんが、セリ美が今までいろんな宝塚作品を観続けてきた中で、最も共感できる人物はルドルフです。
母は誰もが賞賛する美しさで母に心酔している人も多くて、どこへ行っても「お母様、素晴らしいですね」「あの素晴らしいお母様を支えてあげるのよ」と言われ続け、でも肝心の母親は自分を見てくれていない。愛してくれない。
子供に興味が無いわけでもないけど、子供の成長や心情を慮ることよりも、「自分の感情」「自分の立場」「自分への賞賛」がなにより優先。
子供はそんな母親の本性にずっと前から気付いていて、「あなたのことが大切」と言葉で何度言われようが「この人は噓をついてる。正確には『あなたのことは自分の次に大切』でしょ?」と見抜きます。
特に愛情深い性格の子供は、どんなに存在を無視されようが、愛されなかろうが、親を喜ばせるためならなんでもします。自分の人生をも犠牲にします。
それでも、こういう人種はやっぱりこちらを向いてくれない。
この人はいま目の前で私が死んでみせても、悲しむよりも「なんで私をこんな目に遭わせるんだ!!」と憤怒するであろうことも悟り、絶望します。
「子供を失った悲しみ」<「可哀想な私」
こういう感情しか持てない生き物なんですね。
そんなはずはない!子供が死んで悲しまない母親なんかいるもんか!!と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これがいるんです。本当にいるんです。信じられないかもしれませんが。
だって、自分のお腹から出てきた子供を放置して殺したり彼氏と一緒になって虐待して殺しちゃう母親いるじゃないですか。
「あんなおかしいのは人類のごく一部」と思うかもしれませんが、実は実行に移さないだけで多くの母親が潜在的にこういった素質を持っているとセリ美は思っています。
セリ美は子供を産みませんでしたが、もし産んでいたらセリ美もきっとこの人種になってました。
その中でも特に悪い条件がすべて揃ってしまうと、子供の心の傷は最悪のところまでいきます。
・母親が、一人の人間として賞賛されやすい立場(美貌、仕事面など)
・母親自身が思春期の大切な時期に親からの愛情をまともに受けられていない
・母親がとても脆い性格、もしくはとても無神経で鈍感な性格、もしくは安直な性格
・子供の性格がとても繊細で感受性が豊か
・父親はあまり頼りにならない、もしくはシングルマザー
こんな感じの条件がすべて揃ってしまうともう子供の人生はかなりハンデがきつくなりますし、「この世で最も味方であるはずの母親にすら愛されなかった自分は生きる価値のない存在である」と刷り込まれます。
この価値観が強力にこびりついてしまって、生きることへの執着や楽しみを失います。
史実のルドルフがどうだったかは分かりませんが、『エリザベート』でのルドルフの心情はこんな感じで「もう…生きるあてもない…」に至ったのだと推測します。
母親に愛されない自分に存在価値を見出せないっていうのは本当に本当に本当によく解ります。
そういえば今の自宅に引越ししてまだ間もない先週、セリ美の母親から大きな段ボールで荷物が届いたんですね。
それを見た瞬間セリ美は気が付きましたが、母の自宅に残っていたセリ美の荷物を全部送り返してきたんですね…
たった数年前まで、セリ美も母からの愛情を諦めきれず、「今度こそ愛してもらえるかもしれない」「今度こそ…」と何度も何度も母からの愛を得ようと努力を続けていたんですね。
もちろん遠征と兼ねてますが、もう70歳にもなる母が東京で一人暮らしをしている様子を見に行ったり、独りで食べるご飯も寂しかろうという意味もあって、ご飯を作ってあげて一緒に食べたり、一緒に遊びに出掛ける相手をしたりするために、母の自宅に泊まることがよくあったんです。
そのために、着替えとか化粧水関係とかのお泊りセットを置いていたんですね。
でも、ある時に母から「あんたの家は愛知にあるんだからいい加減にしろ、東京にそんなに頻繁に来るな、東京で遊び歩いて何考えてんだ」と怒られ…
観劇しながらも仕事は毎日やってるんですけどねえ…むしろ週休0日でやってるので、普通の会社員より労働してるような気がするんですが…汗水たらして働くことが「仕事」だと思い込んでいる70歳の母には「パソコン1台で仕事をする」ということが理解できなかったのかもしれません。
まぁ観劇回数が多いのは否定しませんけど、自分のお金だし、仕事もしっかりやってるし、なにより母の家に行っているのはなにも宿泊費を浮かせるためというわけではなく、母が助かるかな、と思ってやっていただけで。。。
そういう、子供からの愛情をいつもいつも突き放す人なんですね。「実家に入り浸るダメ人間など要らない」とでも思ったんでしょうかねえ。
で、そういう仕打ちを何十年も受け続けて「そんなに私のことが気に入らないなら、目の前からいなくなりましょうか…?死ねば満足ですか…?」という思いが根底にずっとあるので、絶望感がまた襲ってくるわけです。
それでも私には、私を愛してくださるたくさんの友人や読者さんたちがいらっしゃるし、仕事でも「あなたにやってほしい」と求めてくださる方がたくさんいるので、「あんなダメ母になどいちいち振り回されてはいけない!!」と思い直し、歯を食いしばって立ち上がるんです。
母のせいで要らぬ苦労をたくさんしてそんな風に這いつくばりながら一生懸命生きてるセリ美に、「邪魔」と言わんばかりに荷物を送り返す母。。。
置いてあったのは下着とか靴下、ハンカチ、部屋着くらいで高価な衣類なんて何もないし、そんなに邪魔ならひっそり捨ててくれたっていいのに、わざわざこれ見よがしに送り返すそのやり方。
まるで「私の人生から出ていけ」と言わんばかりですよね。
セリ美の何がそんなに気に入らないのか、もうさっぱり分からなくてねえ。
嫉妬なのかな、なんて思ってますけど。
とにかく、「私はあんたのことが気に入らない」というのを全身全霊で表現してくるわけです。こちらがいくら歩み寄っても、「近寄るな」ばかり。
警察のお世話になったこともなく、自分の力で仕事を見つけてこうして立派な家も買って平和にやってるのに、まるでセリ美が犯罪者かのように、「あんたの存在が迷惑だ」とアピールしてくるんです。
そんなに嫌われてしまう理由を一生懸命想像してみるとやっぱり嫉妬しか思いつかないんですけどね。
自分より若いとか、自分より苦労なく生きてるとか、娘に負けてるものがあることが許せない、そんな感情なのかな、と。
そうじゃないと説明がつかないことが多すぎて。
初潮を迎えた娘にナプキンも買い与えず、ブラジャーなども買わず、汚らわしいものみたいに扱うというエピソードは毒親あるあるですが、「女になった娘に自分が負ける」という深層心理なのかな、と推測します。
だから、娘に対して拒絶反応を出す母親というのは、娘のことを「娘」として見ているのではなく、「女」として見ているのだろうと思いますね。
せめてそんな醜い自分を認めてくれたらまだいいんですけど、こういう怖い人間は自分を「立派でまともな人間」だと信じ切ってますから、自分にそんな醜い感情があること自体を受け付けず、「こんなに立派な私を敬えないバカなお前が全部悪い」になるわけです。
聖子さんがセリ美母と同じとは言いませんが、なんとなく、「娘よりも自分のほうが大切」という人なのかな、という気がします。
そうじゃなきゃ娘の結婚式に母親が来ないってのはあり得ないからなあ。
アイドルとしての聖子さんが天才的で唯一無二であることはセリ美も充分知ってますし、国民みんなのためにアイドル松田聖子を命を懸けて演じてくれたことは本当に表彰モノであることは重々解っています。
でもそれと、「母親」としての生き様はまったく別のもので。
母親としての資質や覚悟が備わるような環境で生きてこれなかったのに、容易に子供を産んでしまった、しかも運悪くそれが女の子だった、こういう「悲劇の条件」が揃ってしまって、沙也加ちゃんやセリ美のような闇が構築されていったような気がしてなりません。
それでも、セリ美の見解としては、「身内以外に自分を大切に思ってくれる人をたくさん作ったり、自分にしかない才能を見つけてそれが評価されれば生きる意味は見出せる」と思って生きてきましたし、セリ美自身がそれを証明してきたという自負もあります。
「親で苦労した」という面で沙也加ちゃんとセリ美は全く同じで、加えて「自分の努力によって自分だけの世界を構築できた」という面でも共通していたので、いつもセリ美は沙也加ちゃんを見るたびに「お互いここまでよくがんばった!!あとはお互い楽しく生きようね!!」なんて勝手に思っていました。
母親のいない世界で自分らしく生きる道を見つけてくれた、ああ良かった、お互い親ガチャハズレチームの生きる目標になろうね!とばかり思っていたので、沙也加ちゃんの選択は本当にショックでした。
いや、死を選んだ理由は本当はまったく別のところにあるかもしれないし、特に理由もなく「死んでしまいたいな」って思いながら生きてる人がいることも知っていますので、本当にこれは想像でしかないですけどね。
まぁ様やねねちゃんをはじめ、多くのOGさんたちと仲良くしてくださり、彼女たちの人間性の高さや舞台への姿勢に敬う気持ちを持ってくださり、「自分も生まれ変わったら宝塚に入りたい!」と言ってくれていた沙也加ちゃん。
そうして仕事で知り合った素晴らしい仲間や友達にも恵まれ、なにより舞台女優として確固たる賞賛を集めて「私の生きる道」を見つけて、深い深い闇に光が差したんだなあ、と思ってばかりいたので。。。
何度も言いますが、今回の理由に母親の存在は全く関係なかったかもしれないし、こんなのは全部セリ美の妄想でしかないんですけどもね。
生きることへの執着が無くて、「別に明日死んでもいいや」って絶望感を抱えて生きてる人って、いつでも死ねる準備OKなんですね。あとは勇気だけで。
「恐怖」がストッパーになってるだけなので、沙也加ちゃんや春馬くんたちが「あ、今なら逝ける」ってフッと恐怖を感じなくなった、まぁ「ゾーンに入った」と言っていいのかな。
そういう瞬間に衝動的に動いてしまう。だから計画性なんて無いし遺書も無いし、「死んだらみんな困るだろうなあ、今日初日なのに」なんて考えてたらこのチャンスを逃してしまう。
沙也加ちゃんもホテルの高層階から雪景色の美しい街並みを眺めて、「ああなんて綺麗なんだろう、今なら怖くないや」ってこの絶望感からの別れを決意したのかな、なんて想像します。
前にも書きましたが、セリ美は自殺肯定派です。
シシィも「私の命は私だけのもの」と絶唱しますが、自分の命をどう扱うかは自由だと思っています。
他のものは誰かに奪われてしまうかもしれないけど、この命を生かすか殺すか、その決定権だけは自分が持っていると思っています。物理的に誰かに殺される状況にない限り。
武士みたいに「敵の手にかかるくらいなら自分の手で」とプライドを守る決断をするのも自殺ですし、「天皇陛下バンザーーーイ!!」と飛行機で敵の船に飛び込んでいくのも自殺ですし、防空壕に逃げ込んだ先に敵兵が入ってきて手榴弾のピンを外すのも自殺。
楠木正行のように、死ぬと分かっていて敢えて生きる道を選ばなかったのも自殺です。
このような「名誉の死」と呼ばれるものも、現代の自殺も、みんな同じです。
沙也加ちゃんだって、自分なりに「名誉」を選んでの自決だったのかもしれないし、この世に「良い自殺」も「悪い自殺」もありません。
ただ、小学生や中学生など、これから社会に出たら全く違う世界が待っているのに早々に諦めてしまうのは「なんと勿体ないことを」と思います。時期尚早。
でも、ある程度生きて、何十年か生きてみて、「うん、こんなもんか」と知った上での「お別れで御座います」は、選択の自由です。
セリ美の周囲にはなんだかやけにうつ病患者が多くてですね、入院してしまうレベルの人もいたりします。
彼らの生き地獄を生で見ていると、「うん、もう楽になっていいよ」と思うのも真実です。
閻魔大王様がいるとかいう「日本式の地獄」では、いろんな刑が用意されていて、断崖絶壁だかに架刑にされて大量のカラスに肉や内臓を食べられ続けて、とてもとても苦しくて痛くて、「ああ、ようやくそろそろ死ねる…」と思った瞬間に体が瞬時に元に戻り、また一からカラスに食べられ続け、永遠にそれが繰り返されるという刑があるそうなんですね。
もしくは、人を食べてしまう野生の熊って、死肉が美味しくないことを知っているので脳みそや急所になる心臓だけは食べずに、死に直結しない肉や内臓だけ食べて、食べながらも猫がおもちゃで遊ぶように人間を叩きつけたりして遊びながら、人間が意識を保てて死なないギリギリのところで何時間も楽しみながら食べていくそうなんです。
重度のうつ病持ちの人はそんな感じです。
24時間、ずーーーっとカラスに食べられ続けて、熊に遊ばれ続けて、「頼むからもう楽にしてほしい」と願いながら、それでも鬱への理解が薄い人から「死んじゃダメ、ゼッタイ」と言われ続けながら泣きながら生きてるんです。
お風呂に入ろうとすると恐怖で失禁してしまう、とかそんなのたうちまわっている姿を真横で見ていたら、「もう楽になりな、よくがんばったね」と言いたくなるのが人間として当然です。
もし沙也加ちゃんがそんな気持ちで35年生き続けてきたのなら、「おつかれさま。よくがんばったね」という気持ちでしかないです。
「ご両親やお友達が悲しむじゃないの!!!」なんて口が裂けても言えないです。
誰かを悲しませないためにカラスに食べられ続ける人生を選べ、なんて言えるわけがないです。
人は誰かのために生きるんじゃなくて、自分のために生きてるわけですから。
今生が生き地獄なら、「現役、引退しまーす!」って引退したっていいじゃない。生涯現役が美徳だなんて、誰が決めた?
自分で「ここまで!」って線を引くことの何がいけない?
専科に行って定年まで頑張るのか、「今だ」と決断してピークの時に退団するのか、そんなの自由です。
だから、セリ美は沙也加ちゃんの選択にひどくうろたえましたが、その選択を尊重します。
「なんで…?!」なんてことより、普通のお母さんに普通に愛されなくても、しっかり自分の生きる道を自分で見つけて、こんなに素晴らしい才能を見せて素晴らしい作品をたくさん残してくれた奇跡に、ただ感謝するばかりです。
ついこの前、帝国劇場での「王家の紋章」で初めて沙也加ちゃんを観て、「外部のミュージカル界のヒロイン役者は沙也加ちゃんがいれば安泰だ」とその実力の高さと圧倒的な天性の華に舌を巻いていたセリ美ですが、たった1回でも沙也加ちゃんの舞台姿を観られて本当に良かったです。
35年もよく頑張りました。
来世なんてものがあるとしたら、今度はお互い普通に愛してくれる両親のもとに生まれようね。
平凡でもいいから、美人でなくてもいいから、才能なんて無くてもいいから、する必要のない苦労をせずにいられる家庭に生まれ落ちようね。
今回の選択の理由はセリ美が知る由もないけど、勝手にいろいろ推測して申し訳ない。
沙也加ちゃんと生きたたくさんの役者仲間やお友達が少しでも早く沙也加ちゃんの選択を受け入れられるようになりますように。
沙也加ちゃん、ありがとう。おつかれさま。
きっと緊急速報的なものも夜にあったのでしょうが、セリ美は地上波を見ないので、朝起きてからヅカ友さんからのLINEでこのことを知り、大変心がえぐられました。
有能な舞台人の自殺に関しては、以前にもこのブログで見解を書いたことがありました。
http://bonseri.club/archives/24069393.html
この時はまだコメント欄を開放していたので、様々な意見交換の場にもなり、勉強になりました。
竹内結子さんや三浦春馬くんの生育環境や性分などはまったくもって存じ上げなかったのですが、今回はかなり共感を持って見つめ続けていた人だったので、割と「他人事じゃない」感が強いです。
前にも書いたことがあるかもしれませんが、セリ美が今までいろんな宝塚作品を観続けてきた中で、最も共感できる人物はルドルフです。
母は誰もが賞賛する美しさで母に心酔している人も多くて、どこへ行っても「お母様、素晴らしいですね」「あの素晴らしいお母様を支えてあげるのよ」と言われ続け、でも肝心の母親は自分を見てくれていない。愛してくれない。
子供に興味が無いわけでもないけど、子供の成長や心情を慮ることよりも、「自分の感情」「自分の立場」「自分への賞賛」がなにより優先。
子供はそんな母親の本性にずっと前から気付いていて、「あなたのことが大切」と言葉で何度言われようが「この人は噓をついてる。正確には『あなたのことは自分の次に大切』でしょ?」と見抜きます。
特に愛情深い性格の子供は、どんなに存在を無視されようが、愛されなかろうが、親を喜ばせるためならなんでもします。自分の人生をも犠牲にします。
それでも、こういう人種はやっぱりこちらを向いてくれない。
この人はいま目の前で私が死んでみせても、悲しむよりも「なんで私をこんな目に遭わせるんだ!!」と憤怒するであろうことも悟り、絶望します。
「子供を失った悲しみ」<「可哀想な私」
こういう感情しか持てない生き物なんですね。
そんなはずはない!子供が死んで悲しまない母親なんかいるもんか!!と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これがいるんです。本当にいるんです。信じられないかもしれませんが。
だって、自分のお腹から出てきた子供を放置して殺したり彼氏と一緒になって虐待して殺しちゃう母親いるじゃないですか。
「あんなおかしいのは人類のごく一部」と思うかもしれませんが、実は実行に移さないだけで多くの母親が潜在的にこういった素質を持っているとセリ美は思っています。
セリ美は子供を産みませんでしたが、もし産んでいたらセリ美もきっとこの人種になってました。
その中でも特に悪い条件がすべて揃ってしまうと、子供の心の傷は最悪のところまでいきます。
・母親が、一人の人間として賞賛されやすい立場(美貌、仕事面など)
・母親自身が思春期の大切な時期に親からの愛情をまともに受けられていない
・母親がとても脆い性格、もしくはとても無神経で鈍感な性格、もしくは安直な性格
・子供の性格がとても繊細で感受性が豊か
・父親はあまり頼りにならない、もしくはシングルマザー
こんな感じの条件がすべて揃ってしまうともう子供の人生はかなりハンデがきつくなりますし、「この世で最も味方であるはずの母親にすら愛されなかった自分は生きる価値のない存在である」と刷り込まれます。
この価値観が強力にこびりついてしまって、生きることへの執着や楽しみを失います。
史実のルドルフがどうだったかは分かりませんが、『エリザベート』でのルドルフの心情はこんな感じで「もう…生きるあてもない…」に至ったのだと推測します。
母親に愛されない自分に存在価値を見出せないっていうのは本当に本当に本当によく解ります。
そういえば今の自宅に引越ししてまだ間もない先週、セリ美の母親から大きな段ボールで荷物が届いたんですね。
それを見た瞬間セリ美は気が付きましたが、母の自宅に残っていたセリ美の荷物を全部送り返してきたんですね…
たった数年前まで、セリ美も母からの愛情を諦めきれず、「今度こそ愛してもらえるかもしれない」「今度こそ…」と何度も何度も母からの愛を得ようと努力を続けていたんですね。
もちろん遠征と兼ねてますが、もう70歳にもなる母が東京で一人暮らしをしている様子を見に行ったり、独りで食べるご飯も寂しかろうという意味もあって、ご飯を作ってあげて一緒に食べたり、一緒に遊びに出掛ける相手をしたりするために、母の自宅に泊まることがよくあったんです。
そのために、着替えとか化粧水関係とかのお泊りセットを置いていたんですね。
でも、ある時に母から「あんたの家は愛知にあるんだからいい加減にしろ、東京にそんなに頻繁に来るな、東京で遊び歩いて何考えてんだ」と怒られ…
観劇しながらも仕事は毎日やってるんですけどねえ…むしろ週休0日でやってるので、普通の会社員より労働してるような気がするんですが…汗水たらして働くことが「仕事」だと思い込んでいる70歳の母には「パソコン1台で仕事をする」ということが理解できなかったのかもしれません。
まぁ観劇回数が多いのは否定しませんけど、自分のお金だし、仕事もしっかりやってるし、なにより母の家に行っているのはなにも宿泊費を浮かせるためというわけではなく、母が助かるかな、と思ってやっていただけで。。。
そういう、子供からの愛情をいつもいつも突き放す人なんですね。「実家に入り浸るダメ人間など要らない」とでも思ったんでしょうかねえ。
で、そういう仕打ちを何十年も受け続けて「そんなに私のことが気に入らないなら、目の前からいなくなりましょうか…?死ねば満足ですか…?」という思いが根底にずっとあるので、絶望感がまた襲ってくるわけです。
それでも私には、私を愛してくださるたくさんの友人や読者さんたちがいらっしゃるし、仕事でも「あなたにやってほしい」と求めてくださる方がたくさんいるので、「あんなダメ母になどいちいち振り回されてはいけない!!」と思い直し、歯を食いしばって立ち上がるんです。
母のせいで要らぬ苦労をたくさんしてそんな風に這いつくばりながら一生懸命生きてるセリ美に、「邪魔」と言わんばかりに荷物を送り返す母。。。
置いてあったのは下着とか靴下、ハンカチ、部屋着くらいで高価な衣類なんて何もないし、そんなに邪魔ならひっそり捨ててくれたっていいのに、わざわざこれ見よがしに送り返すそのやり方。
まるで「私の人生から出ていけ」と言わんばかりですよね。
セリ美の何がそんなに気に入らないのか、もうさっぱり分からなくてねえ。
嫉妬なのかな、なんて思ってますけど。
とにかく、「私はあんたのことが気に入らない」というのを全身全霊で表現してくるわけです。こちらがいくら歩み寄っても、「近寄るな」ばかり。
警察のお世話になったこともなく、自分の力で仕事を見つけてこうして立派な家も買って平和にやってるのに、まるでセリ美が犯罪者かのように、「あんたの存在が迷惑だ」とアピールしてくるんです。
そんなに嫌われてしまう理由を一生懸命想像してみるとやっぱり嫉妬しか思いつかないんですけどね。
自分より若いとか、自分より苦労なく生きてるとか、娘に負けてるものがあることが許せない、そんな感情なのかな、と。
そうじゃないと説明がつかないことが多すぎて。
初潮を迎えた娘にナプキンも買い与えず、ブラジャーなども買わず、汚らわしいものみたいに扱うというエピソードは毒親あるあるですが、「女になった娘に自分が負ける」という深層心理なのかな、と推測します。
だから、娘に対して拒絶反応を出す母親というのは、娘のことを「娘」として見ているのではなく、「女」として見ているのだろうと思いますね。
せめてそんな醜い自分を認めてくれたらまだいいんですけど、こういう怖い人間は自分を「立派でまともな人間」だと信じ切ってますから、自分にそんな醜い感情があること自体を受け付けず、「こんなに立派な私を敬えないバカなお前が全部悪い」になるわけです。
聖子さんがセリ美母と同じとは言いませんが、なんとなく、「娘よりも自分のほうが大切」という人なのかな、という気がします。
そうじゃなきゃ娘の結婚式に母親が来ないってのはあり得ないからなあ。
アイドルとしての聖子さんが天才的で唯一無二であることはセリ美も充分知ってますし、国民みんなのためにアイドル松田聖子を命を懸けて演じてくれたことは本当に表彰モノであることは重々解っています。
でもそれと、「母親」としての生き様はまったく別のもので。
母親としての資質や覚悟が備わるような環境で生きてこれなかったのに、容易に子供を産んでしまった、しかも運悪くそれが女の子だった、こういう「悲劇の条件」が揃ってしまって、沙也加ちゃんやセリ美のような闇が構築されていったような気がしてなりません。
それでも、セリ美の見解としては、「身内以外に自分を大切に思ってくれる人をたくさん作ったり、自分にしかない才能を見つけてそれが評価されれば生きる意味は見出せる」と思って生きてきましたし、セリ美自身がそれを証明してきたという自負もあります。
「親で苦労した」という面で沙也加ちゃんとセリ美は全く同じで、加えて「自分の努力によって自分だけの世界を構築できた」という面でも共通していたので、いつもセリ美は沙也加ちゃんを見るたびに「お互いここまでよくがんばった!!あとはお互い楽しく生きようね!!」なんて勝手に思っていました。
母親のいない世界で自分らしく生きる道を見つけてくれた、ああ良かった、お互い親ガチャハズレチームの生きる目標になろうね!とばかり思っていたので、沙也加ちゃんの選択は本当にショックでした。
いや、死を選んだ理由は本当はまったく別のところにあるかもしれないし、特に理由もなく「死んでしまいたいな」って思いながら生きてる人がいることも知っていますので、本当にこれは想像でしかないですけどね。
まぁ様やねねちゃんをはじめ、多くのOGさんたちと仲良くしてくださり、彼女たちの人間性の高さや舞台への姿勢に敬う気持ちを持ってくださり、「自分も生まれ変わったら宝塚に入りたい!」と言ってくれていた沙也加ちゃん。
そうして仕事で知り合った素晴らしい仲間や友達にも恵まれ、なにより舞台女優として確固たる賞賛を集めて「私の生きる道」を見つけて、深い深い闇に光が差したんだなあ、と思ってばかりいたので。。。
何度も言いますが、今回の理由に母親の存在は全く関係なかったかもしれないし、こんなのは全部セリ美の妄想でしかないんですけどもね。
生きることへの執着が無くて、「別に明日死んでもいいや」って絶望感を抱えて生きてる人って、いつでも死ねる準備OKなんですね。あとは勇気だけで。
「恐怖」がストッパーになってるだけなので、沙也加ちゃんや春馬くんたちが「あ、今なら逝ける」ってフッと恐怖を感じなくなった、まぁ「ゾーンに入った」と言っていいのかな。
そういう瞬間に衝動的に動いてしまう。だから計画性なんて無いし遺書も無いし、「死んだらみんな困るだろうなあ、今日初日なのに」なんて考えてたらこのチャンスを逃してしまう。
沙也加ちゃんもホテルの高層階から雪景色の美しい街並みを眺めて、「ああなんて綺麗なんだろう、今なら怖くないや」ってこの絶望感からの別れを決意したのかな、なんて想像します。
前にも書きましたが、セリ美は自殺肯定派です。
シシィも「私の命は私だけのもの」と絶唱しますが、自分の命をどう扱うかは自由だと思っています。
他のものは誰かに奪われてしまうかもしれないけど、この命を生かすか殺すか、その決定権だけは自分が持っていると思っています。物理的に誰かに殺される状況にない限り。
武士みたいに「敵の手にかかるくらいなら自分の手で」とプライドを守る決断をするのも自殺ですし、「天皇陛下バンザーーーイ!!」と飛行機で敵の船に飛び込んでいくのも自殺ですし、防空壕に逃げ込んだ先に敵兵が入ってきて手榴弾のピンを外すのも自殺。
楠木正行のように、死ぬと分かっていて敢えて生きる道を選ばなかったのも自殺です。
このような「名誉の死」と呼ばれるものも、現代の自殺も、みんな同じです。
沙也加ちゃんだって、自分なりに「名誉」を選んでの自決だったのかもしれないし、この世に「良い自殺」も「悪い自殺」もありません。
ただ、小学生や中学生など、これから社会に出たら全く違う世界が待っているのに早々に諦めてしまうのは「なんと勿体ないことを」と思います。時期尚早。
でも、ある程度生きて、何十年か生きてみて、「うん、こんなもんか」と知った上での「お別れで御座います」は、選択の自由です。
セリ美の周囲にはなんだかやけにうつ病患者が多くてですね、入院してしまうレベルの人もいたりします。
彼らの生き地獄を生で見ていると、「うん、もう楽になっていいよ」と思うのも真実です。
閻魔大王様がいるとかいう「日本式の地獄」では、いろんな刑が用意されていて、断崖絶壁だかに架刑にされて大量のカラスに肉や内臓を食べられ続けて、とてもとても苦しくて痛くて、「ああ、ようやくそろそろ死ねる…」と思った瞬間に体が瞬時に元に戻り、また一からカラスに食べられ続け、永遠にそれが繰り返されるという刑があるそうなんですね。
もしくは、人を食べてしまう野生の熊って、死肉が美味しくないことを知っているので脳みそや急所になる心臓だけは食べずに、死に直結しない肉や内臓だけ食べて、食べながらも猫がおもちゃで遊ぶように人間を叩きつけたりして遊びながら、人間が意識を保てて死なないギリギリのところで何時間も楽しみながら食べていくそうなんです。
重度のうつ病持ちの人はそんな感じです。
24時間、ずーーーっとカラスに食べられ続けて、熊に遊ばれ続けて、「頼むからもう楽にしてほしい」と願いながら、それでも鬱への理解が薄い人から「死んじゃダメ、ゼッタイ」と言われ続けながら泣きながら生きてるんです。
お風呂に入ろうとすると恐怖で失禁してしまう、とかそんなのたうちまわっている姿を真横で見ていたら、「もう楽になりな、よくがんばったね」と言いたくなるのが人間として当然です。
もし沙也加ちゃんがそんな気持ちで35年生き続けてきたのなら、「おつかれさま。よくがんばったね」という気持ちでしかないです。
「ご両親やお友達が悲しむじゃないの!!!」なんて口が裂けても言えないです。
誰かを悲しませないためにカラスに食べられ続ける人生を選べ、なんて言えるわけがないです。
人は誰かのために生きるんじゃなくて、自分のために生きてるわけですから。
今生が生き地獄なら、「現役、引退しまーす!」って引退したっていいじゃない。生涯現役が美徳だなんて、誰が決めた?
自分で「ここまで!」って線を引くことの何がいけない?
専科に行って定年まで頑張るのか、「今だ」と決断してピークの時に退団するのか、そんなの自由です。
だから、セリ美は沙也加ちゃんの選択にひどくうろたえましたが、その選択を尊重します。
「なんで…?!」なんてことより、普通のお母さんに普通に愛されなくても、しっかり自分の生きる道を自分で見つけて、こんなに素晴らしい才能を見せて素晴らしい作品をたくさん残してくれた奇跡に、ただ感謝するばかりです。
ついこの前、帝国劇場での「王家の紋章」で初めて沙也加ちゃんを観て、「外部のミュージカル界のヒロイン役者は沙也加ちゃんがいれば安泰だ」とその実力の高さと圧倒的な天性の華に舌を巻いていたセリ美ですが、たった1回でも沙也加ちゃんの舞台姿を観られて本当に良かったです。
35年もよく頑張りました。
来世なんてものがあるとしたら、今度はお互い普通に愛してくれる両親のもとに生まれようね。
平凡でもいいから、美人でなくてもいいから、才能なんて無くてもいいから、する必要のない苦労をせずにいられる家庭に生まれ落ちようね。
今回の選択の理由はセリ美が知る由もないけど、勝手にいろいろ推測して申し訳ない。
沙也加ちゃんと生きたたくさんの役者仲間やお友達が少しでも早く沙也加ちゃんの選択を受け入れられるようになりますように。
沙也加ちゃん、ありがとう。おつかれさま。
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。