あがた新公主演おめでと~~!!
本公演での役柄もなんか遠山の金さん的なにおいがするので、楽しみですねえ。
さて、いわくつきの冬季オリンピック2022も終わり、日本は過去最多のメダルとなりましたね。
セリ美が大好きなフィギュアやスキージャンプで不可解な事件が連発し、「なんだかなあ」という気持ちはありますが、でもみんなこの日に向かって心血を注いで練習してきて、目指した目標に手が届いた人や次の課題が見つかった人など、いろんなお土産を抱えて次の目標にもう目を向けていらっしゃると思うので、どんどん新たな挑戦に向かう姿にセリ美も勇気をもらっています。
日本男子フィギュアは、
羽生くんは4Aへの挑戦
昌磨くんは過去最高難度プログラムへの挑戦
鍵山くんは初めての五輪メダルへの挑戦
ということで、みなさん「挑戦への意欲的な姿勢」が強く見えて素晴らしかったですねえ。
エキシビションでは最終的にあのパンダがオイシイところ全部持ってっちゃったのも良かったですし、それを解説してくれたのが町田さんというのもすごく良かったです。
まっちー、めっちゃ好きなんですよね~。ほんと貴公子の哲学者。
セリ美は日本人男性が黒燕尾を着ることを許可していないんですが、まっちーのみ許可証発行しています。ぜったい似合うもん。
「挑戦」というキーワードは、お恥ずかしながらセリ美もいつも意識している言葉でして、なんならこのブログも挑戦のひとつでした。
宝塚歌劇なんていう100年以上も続いている根強い日本文化というジャンルで、既に有名ブロガーさんもたくさん活躍されている中で、公の立場として意見を書いてみたり公演レポを書いてみるというのは、意外になかなか身の引き締まる緊張感のある作業です。
いつもふざけたことばっか書いてますけど、どこかに落ち度はないか、誰かを傷つけていないか、実は隅々まで考えながら書いていたりします。
セリ美なんてブログ村とかにも登録してないし、SEOや「ポチっとお願いします」的なアクセス数が伸びるような工夫も何もしてないし、広告収入も得てないし、「みんなで宝塚楽しもうぜ!」という気持ちだけでブログを書いているだけのしがないライターですが、周囲を見てみるとすごい数のフォロワーを持つ宝塚ブロガーさん、たくさんいますよね~。
あんまり他所様のブログを読まないセリ美ですが、ツイッターとかでたまにお見かけする感じだとけっこう皆さん歯に衣着せぬ意見をガンガン書いていらして、「すごい勇気だな~~」と驚くことが多くあります。
宝塚に限らずどんなジャンルでも、人気ブロガーとしてたくさんの読者さんを持つブロガーさんって、ものすごい鋼メンタルじゃないと続けられない、とよく言われます。
誰かを傷つけることなんてどこにも書いてないのに、重箱の隅の隅まで何の落ち度もないのに、読者数の母数が増えれば増えるほど謎クレームみたいなコメントをどうしても入れられてしまうわけです。セリ美も経験者ですからその現象はよく分かります。
↓↓有名なこれ、言い得て妙ですよね。
批判なんて、しようと思えばどんなものにでもできてしまいますからね。
どんなに真っ当なことを書いていても、攻撃してくる人っていうのは絶対に現れるものです。
オリンピックの話に戻りますけど、羽生くんが製氷作業のお手伝いをしたら「あざとい」「狡猾」なんてびっくりするような批判が一部から出たというじゃないですか。
お手伝い行為が「あざとい」なら、オリンピックを手伝ってくれるボランティアの皆さんもみんな「あざとい」だし、世界中のボランティアさんたちが全員「狡猾」になってしまいますねえ。
自分の闇から湧いてくる悪意を生きるエネルギーに変換して、人の頑張りや精気を吸血鬼みたいに吸い取って生きてる人種、セリ美は身内にたくさんいますので、そういう連中が「それっ!獲物がいたぞ!」っつって羽生くんに飛びかかってるんだろうなあということが目に浮かびます。
聡明な羽生くんなので、どうかそんな餓鬼みたいな連中のしょーもない攻撃など安倍晴明みたいに華麗に振り払って、毎日を元気に楽しく生きてほしいです。
そしてブロガーの話に戻りますけど、とあるブロガーさんがクレームばっかり入れてくる人に腰を据えてじっくり「なぜそんなことをするんですか?」と冷静に訊いてみたら、答えはこうだったそうです。
「目立つようなことをするから」
ただそれだけの理由なんですね。
大阪のメンタルクリニックでの放火事件の犯人も、自宅から出てきたメモに「どうせ自殺するなら死ぬ前に目立ってやろう」というような記載があったそうですね。
羽生くんを引きずり下ろしたい連中も根幹に「目立ってる奴らが妬ましい」という思いがあるんだろうなあと推察します。
人間の、「目立ちたい」とか「目立ってる人が妬ましい」という感情って何なんでしょうねえ。
きっと、若年期や青年期に、すごく叶えたかったのに叶えられなかった欲望、もしくは心がボロボロになるまで傷つけられた過去があったのかなと想像します。
親に愛されたかったのに思うように愛されなかったとか、大好きだった友達や異性から酷い仕打ちを受けたとか、いじめに遭ったとか。
「自分はこんなに可哀想な人生を送らされてるのに、コイツらは日の当たるところでみんなに愛されて妬ましい」という気持ちから、吸血鬼になってしまったのでしょうかねえ。
サイコパスのように、生まれつきの加害者っていうのもごく一部いるとは思うんですが、多くの加害者は元被害者なんだろうと思うんですよね。
我が子を虐待してしまう母も、実は虐待されて育っていた、とか。
自分が小さい頃に受けた傷を、「この痛み、誰かにも味わわせないと気が済まない」というダークサイドに堕ちてしまう人と、「こんな悲しみは誰にも味わわせたくない」というヒーローサイドにレベルアップできる人に二分されますね。
この分かれ道を決める要因って、何なんでしょうねえ。
理性の強さ?周囲の助け?努力?
…全部、かな。
人生の岐路、分かれ道、なんてよく比喩で言いますが、この分かれ道って、左右に分かれているんじゃなくて、上下に分かれているんじゃないかとセリ美はいつも思っています。
ヒーローサイドは昇り階段だから、「うわーしんどそう」って思って、ダークサイドは下り階段だから楽なんです。
ダークサイドに行ったって結局その深い悲しみが癒えることなんてないのに、苦しい時には昇るエネルギーが無いから下に流れてしまうほうが楽なんですよね。
見るからに大変そうだけど、面倒くさそうだけど、でも1段ずつ昇った先には絶対に「昇って良かった~!!」っていう新しい景色がある。
でも、「この暗い下り階段の先には何も無いんだ」なんて解ってる人はほんの一握り。
だから楽なほうの下り階段に流されてしまう人のほうが圧倒的に多いんだと思います。
「今は昇る気力が無いからとりあえず下ろう…」ってどんどん下って行けば行くほど、昇り階段からどんどん遠ざかって、気が付けばもう取り返しのつかないところまで来てしまう。
それこそが人間という生き物のいちばんの弱点だとセリ美は思っています。
ほら、よく言うじゃないですか。
結婚してすぐは旦那の世話焼きも嬉しい作業だから何でもやってあげちゃって、そうすると男は単純だから「やってもらえるもの」って思うようになっちゃって、途中で「私も忙しいしもうちょっとやってもらえないかな」って旦那に言っても「疲れてるから」とか「やり方が分からない」とか「俺がやっても子供が満足しない」とかで不機嫌になられて、奥さん側ももう言うのも面倒くさくなって「自分でやったほうが早いし揉めなくて済む」ってそのとき楽なほうを選んじゃって、お互い中年になった時には一人ではなんの家事もできないおっさんが出来上がっていた、みたいな。
奥さんが具合悪くて寝込んでるのに「俺のメシは?」って訊いてくる、みたいな。
っしょーもな!!!!!!
勝手に買えよ!!!!!
なんなら奥さんの分も食べやすいもの買ってくるとかしろよ!!!!!
こんな風に人間ってそのとき自分が楽なほうを自然と選んでしまうんですよね。
でも、その先を考えれば、その選択が正しいわけがないのに、自分も疲れてるからつい「もういいや」ってなっちゃう。
「もういいや」の先に「時が解決」なんて待ってないんですけどね。
まぁそんなことで、人間って嫌なことや辛いことに直面した時に自然と下り階段を選ぶ性質があるわけで、どんどん下り階段を選んでしまってついに人生が全然楽しくなくなっちゃって、あとは階段のてっぺんで光り輝いてる成功者を自分のいるところまで引きずり下ろすことを生きる目的にしちゃうわけですね。
そういう心理構造で、羽生くんみたいなキラキラした若い成功者、スーパースター、圧倒的な善を見ると、その善と精気を吸い取ってやろうと暗闇で目を光らせる餓鬼がどうしても発生してしまうわけですが、セリ美の周囲にもそういう連中はいましたし、こうして有難いことにそれなりに読んでいただけてるブログを書いてると、「セリ美とかいう目立ってる奴、どうにかして失脚させたい」と目を光らせてくる人が自然発生してしまうことももう受け入れているので、とにかく「階段下からの石投げ攻撃など華麗によけて、自分の挑戦に全力を注ぐ」と決めています。
でも、「妬む気持ち」って決して悪い面ばかりじゃない、とも思っています。
セリ美と同じ分野、文章を書く人の中で絶賛されている人を見るとやっぱり嫉妬します。
ツイッターでめっちゃバズってるツイ職人さん見ると悔しい気持ちも湧きます。
でも、その嫉妬心を「もっと、もっと私も頑張らなくっちゃ!!」というエネルギーに変換しているので、嫉妬の気持ちも否定せずに大切に持っておこうと思っています。
これまでに、セリ美茶の開催、メディアからの取材、地域誌への掲載など、ボン乃セリ美としていろいろな挑戦をしてきましたが、今はまだコロナのこともあるのであんまり能動的な挑戦ができないので、今のセリ美の挑戦は「健全な生活習慣の構築」なんですね。
ライターっていうのはどうしても夜間の静かな時のほうが執筆がはかどるので、数年間ずっと昼夜逆転生活でした。
でも昼夜逆転って思っていた以上に体に負担がかかりまして、自律神経がたぶんどうにかなっちゃったんですね。
いろんな体の不調が出始めて、こりゃいかんと思ったけど、習慣ってなかなか直らないじゃないですか。
ついお菓子食べちゃうとか、つい必要以上に耳かきしちゃうとか、深夜2時までスカステ見ちゃうとか、贔屓の写真爆買いしちゃうとか。
なにかすごく大きなきっかけが無いと根性だけでは習慣って変わらない、っていうことで、一念発起してマンション購入&引越しを決めたわけですね。
そんで紆余曲折あってようやく今の家に出合い、この環境なら朝の散歩も絶対に続けられるという確信があり、散歩はもう日課になりましたし、その散歩道にあるおキツネさんとの仕事も自分で見つけられた。
それで生活環境が整ったら仕事の風向きもなんか良くなって、割のいい仕事をいま頑張っている、というところです。
フリーライターなんて安定などあり得ないですけどね。
仕事の挑戦、私生活での挑戦、いろんな挑戦のカタチがありますけど、やっぱりどうせ生きるなら、一度しかない人生、何かに挑戦することを常に自分に課して、その成果物によってどんどん成長していく自分でいたいものです。
ということで前説が長くなりましたが(毎度のことですわ)、仕事もそっちのけで今日も本題に入りましょう。
我々にとって挑戦、と聞けば音楽学校の受験ですよね。
今年の受験生はそろそろラストスパートに入り、面接のレッスンなんかも大詰めでいま緊張感を高めている時期かなと思います。
今年でセリ美も研24になり、こうしてブログをやっているおかげでいろいろな出会いを頂いてたくさんの素敵なヅカ友さんと仲良くさせてもらっていますが、そうなると中には「娘が音楽学校を受験するの」っていうヅカ友さんなんかともチラホラ出会います。
以前は、「受験資格があって羨ましいな~セリ美が中学生だったらどうしてたかな~(妄想に突入)」くらいに思ってたんですが、お嬢さんが受験に挑むというヅカ友さんを何人も見てきて、当事者になってみるともうそれはそれは恐ろしいことなんだと知りました。
たった4回だけしか与えられていないチャンスの中で、全国40位以内に入らないといけない、もし一次でソッコー落ちたらとても恥ずかしい、応援してくれる人がいればいるだけその人たちに合わせる顔が無い、なんて謝ったらいいんだろう…というそのプレッシャーって、国民に期待されまくってオリンピックに出たアスリートと変わらない怖さがあると思うんですね。
今回、不運な目に遭った高梨沙羅ちゃんが自分を責めに責めて、国民の皆さんにずいぶんと謝罪して、みんなに「もう謝らないで」って言われてましたけど、その4回のチャンスの中で全国40位に入ることができなかったら、そういう心境になってしまうわけです。
しかも、ラストチャンスならなおさら、周囲の友達は続々と推薦で大学への内定をもらったり、2月にもなれば合格をもらって残りの高校生活を謳歌してたりするわけです。
そんな中、自分だけはとりあえず滑り止めで大学受験をしながら、3月末のその日までプレッシャーと闘わなければいけないという孤独。
中には、大学受験なんてする時間すらもったいない、音校受験にすべての時間とエネルギーを注ぎたい、とあえて退路を断って挑むような根性あるお嬢さんなんかもいらっしゃいます。
さらに言えば、4回の中で初回は最終面接まで行ったのに2回目は二次で落ち、3回目は一次で落ち…みたいな不思議な現象もあるみたいなんですよね。
いちばん実力の低かった初回がいちばん評価が高くて、レッスンを積めば積むほど評価が下がっていく…なんて、普通の受験ではありえないことじゃないですか。
それくらい、音校での合格基準って「運」の要素が強いわけで。
羽生くんが「報われない努力ってあるんだな」って寂しそうに笑ってましたけど、残酷ながら、どんな事象にも運はつきもので。
だからこそ、余計に怖いわけですよね。
偏差値や模試みたいに、タカラジェンヌには「ここまで行けばほぼ叶いますからね」って基準が明確にあるわけじゃないですもんね。
2度目も3度目も不合格をもらって、それでも4年間ずっとモチベーションを切らさずに毎日毎日レッスンをしなければいけない。
同級生のみんなが「帰りにマック寄ってこー」とか、「彼氏できたのおおおおお!!」とか「原宿にパンケーキ食べ行こうよ!」とか「BTSのオンラインミーティング当たったあああああ!!」とかやってるのを尻目に、「じゃあねー」と毎日毎日遅くまでレッスン漬け。
年頃の女の子が友達と遊びたくないわけないですよね。
そういう誘惑もみんな我慢して、模試も偏差値も無いような、運が天国と地獄を左右するような怖い怖い挑戦。
そういう誘惑や怖さを乗り越えて、「私は挑戦します!!」って宣言できる強さを持ってないと、スタートラインにも立てないようなとんでもない挑戦なんですよね、音校受験って。
もうね、なんならセリ美は、受験します!ってスタートラインに立っただけでもう半分タカラジェンヌやん、と思っています。
その覚悟や努力って、現役タカラジェンヌとほぼ同じ心持ちですもんね。
もし落ちても恥ずかしくないように周囲の友達にも誰にも打ち明けずにこっそり受けよう…とか、「私なんて受かるわけないし!あくまで記念受験だから!」って言い訳をしてから受験するでもなく、何からも逃げずに「わたし、やりますっ!!」と挑戦を表明してスクールに通ってライバルたちと切磋琢磨して、みんなの応援をプレッシャーではなくエネルギーに変換して試練の場に立てるって最高にかっこよくてクレバーで、セリ美は心から尊敬しています。
運がかなり左右する挑戦だから、願っていた結果にならないこともきっとある。
20倍なんだから、むしろ受かったほうがラッキーと言えるような挑戦です。
でも、結果よりプロセスのほうが宝だって言うじゃないですか。
音校受験もまさにそれで、受かればラッキーだけど、それよりも「自分はあんな難しいことに全力でチャレンジしたんだ!」っていう経験値は絶対に人生の宝物になるんですね。
あんな難しい挑戦に恐れずに立ち向かっていったんだから、そのあとの人生のあらゆる挑戦や試練でも絶対に乗り越えられるだけの強さになるわけです。
セリ美も毒親からの支配というとても苦しい足かせを、どんな時も諦めずに「絶対に抜け出してやるんだから!!!」といろんな友人の手助けや応援、ミズさまからのパワーチャージによって、乗り越えました。
そのおかげで、いまどんなに苦しい状況になっても、ものすごく腹が据わっています。(苦しいよううって一旦は落ちるけど……)
「あんな地獄を自力で抜け出したんだから、もう何も怖くない」という境地に辿り着くことができました。
足かせをはめられていても絶対に楽なほうに逃げずに、とても大変で面倒くさいけど、昇り階段だけを見て歯を食いしばって一段一段踏みしめてきたおかげだと自負しております。
まさに瀬奈じゅんさんも、スクール開校にあたってこう仰ってますね。
瀬奈さんはずば抜けた才能とスター性と運によって見事タカラジェンヌになり、トップスターにまでなられたお方ですが、きっと当時同じスクールにいた友人たちの中には合格を手にすることが叶わなかった子もいたでしょう。
そのお友達も、今では受験という大きな挑戦を人生の財産にして立派な人生を送られているはずです。
瀬奈さんはそれを知っているから、「音校受験は素晴らしい宝物になる。受験を検討している皆さんに自分もそのお手伝いがしたい」という思いで、元トップスターさんでは珍しく、スクールを開校されたようです。
瀬奈さんが面接レッスンとかしてくれるならセリ美もぜひ年齢詐称して入校したいんですけどね…
「もっと声張る!!!」とか「さっきも言ったよね?!同じこと何度も言わせない!!」とか叱られたいよね………
もっと言うならミズさんに叱ってほしいんだけどさ……
もう生活態度から喋り方から歩き方から何からすべて叱ってほしいんだ……
ミズさんのあの論理的で隙のない言い方で…
それで最後に「やればできるんだから!また来週がんばろうね!このおなかも引っ込めようね!」って肩に手をポンって置かれて褒められたいの……
(最近ミズさんにツイで度々いいね頂いちゃってこのブログがどうかバレてませんようにってお祈りしてるんだ……この気持ち悪いブログがバレたらもうセリ美は死にます…)
なぜか変態っぽい方向に話が変わってきてますけど、とにかく「宝塚音楽学校を正々堂々と受験する」って、もう最高にクレバーでクールでロックで、セリ美は40代半ばのババアですけど、10代の受験生の少女たちを大尊敬しております。
挑戦するだけでもこんなに怖くて勇気のいることなのに、何度も受験して何年もモチベーションを保って、「最後まで走り抜く」ことがどんなに大変なことか、苦労の多かったセリ美は誰よりも理解していると自負しておりますので、音楽学校受験生の少女たちよ、「こんな怖いことに挑戦するわたし、すげーだろ!!!!」って自信満々で受験を楽しんできてくださいませね!!!!!
がんばれーーーーーー!!!!!!!!!!
もし人生やり直せるなら?って言われたらセリ美はちゃんと勉強がんばって有名大学の文学部入って歌劇編集部受け直すなァ…
そしてジェンヌさんたちをデレデレ見ながら取材するんだ…夢のようよ…


本公演での役柄もなんか遠山の金さん的なにおいがするので、楽しみですねえ。
さて、いわくつきの冬季オリンピック2022も終わり、日本は過去最多のメダルとなりましたね。
セリ美が大好きなフィギュアやスキージャンプで不可解な事件が連発し、「なんだかなあ」という気持ちはありますが、でもみんなこの日に向かって心血を注いで練習してきて、目指した目標に手が届いた人や次の課題が見つかった人など、いろんなお土産を抱えて次の目標にもう目を向けていらっしゃると思うので、どんどん新たな挑戦に向かう姿にセリ美も勇気をもらっています。
日本男子フィギュアは、
羽生くんは4Aへの挑戦
昌磨くんは過去最高難度プログラムへの挑戦
鍵山くんは初めての五輪メダルへの挑戦
ということで、みなさん「挑戦への意欲的な姿勢」が強く見えて素晴らしかったですねえ。
エキシビションでは最終的にあのパンダがオイシイところ全部持ってっちゃったのも良かったですし、それを解説してくれたのが町田さんというのもすごく良かったです。
まっちー、めっちゃ好きなんですよね~。ほんと貴公子の哲学者。
セリ美は日本人男性が黒燕尾を着ることを許可していないんですが、まっちーのみ許可証発行しています。ぜったい似合うもん。
「挑戦」というキーワードは、お恥ずかしながらセリ美もいつも意識している言葉でして、なんならこのブログも挑戦のひとつでした。
宝塚歌劇なんていう100年以上も続いている根強い日本文化というジャンルで、既に有名ブロガーさんもたくさん活躍されている中で、公の立場として意見を書いてみたり公演レポを書いてみるというのは、意外になかなか身の引き締まる緊張感のある作業です。
いつもふざけたことばっか書いてますけど、どこかに落ち度はないか、誰かを傷つけていないか、実は隅々まで考えながら書いていたりします。
セリ美なんてブログ村とかにも登録してないし、SEOや「ポチっとお願いします」的なアクセス数が伸びるような工夫も何もしてないし、広告収入も得てないし、「みんなで宝塚楽しもうぜ!」という気持ちだけでブログを書いているだけのしがないライターですが、周囲を見てみるとすごい数のフォロワーを持つ宝塚ブロガーさん、たくさんいますよね~。
あんまり他所様のブログを読まないセリ美ですが、ツイッターとかでたまにお見かけする感じだとけっこう皆さん歯に衣着せぬ意見をガンガン書いていらして、「すごい勇気だな~~」と驚くことが多くあります。
宝塚に限らずどんなジャンルでも、人気ブロガーとしてたくさんの読者さんを持つブロガーさんって、ものすごい鋼メンタルじゃないと続けられない、とよく言われます。
誰かを傷つけることなんてどこにも書いてないのに、重箱の隅の隅まで何の落ち度もないのに、読者数の母数が増えれば増えるほど謎クレームみたいなコメントをどうしても入れられてしまうわけです。セリ美も経験者ですからその現象はよく分かります。
↓↓有名なこれ、言い得て妙ですよね。
批判なんて、しようと思えばどんなものにでもできてしまいますからね。
どんなに真っ当なことを書いていても、攻撃してくる人っていうのは絶対に現れるものです。
オリンピックの話に戻りますけど、羽生くんが製氷作業のお手伝いをしたら「あざとい」「狡猾」なんてびっくりするような批判が一部から出たというじゃないですか。
お手伝い行為が「あざとい」なら、オリンピックを手伝ってくれるボランティアの皆さんもみんな「あざとい」だし、世界中のボランティアさんたちが全員「狡猾」になってしまいますねえ。
自分の闇から湧いてくる悪意を生きるエネルギーに変換して、人の頑張りや精気を吸血鬼みたいに吸い取って生きてる人種、セリ美は身内にたくさんいますので、そういう連中が「それっ!獲物がいたぞ!」っつって羽生くんに飛びかかってるんだろうなあということが目に浮かびます。
聡明な羽生くんなので、どうかそんな餓鬼みたいな連中のしょーもない攻撃など安倍晴明みたいに華麗に振り払って、毎日を元気に楽しく生きてほしいです。
そしてブロガーの話に戻りますけど、とあるブロガーさんがクレームばっかり入れてくる人に腰を据えてじっくり「なぜそんなことをするんですか?」と冷静に訊いてみたら、答えはこうだったそうです。
「目立つようなことをするから」
ただそれだけの理由なんですね。
大阪のメンタルクリニックでの放火事件の犯人も、自宅から出てきたメモに「どうせ自殺するなら死ぬ前に目立ってやろう」というような記載があったそうですね。
羽生くんを引きずり下ろしたい連中も根幹に「目立ってる奴らが妬ましい」という思いがあるんだろうなあと推察します。
人間の、「目立ちたい」とか「目立ってる人が妬ましい」という感情って何なんでしょうねえ。
きっと、若年期や青年期に、すごく叶えたかったのに叶えられなかった欲望、もしくは心がボロボロになるまで傷つけられた過去があったのかなと想像します。
親に愛されたかったのに思うように愛されなかったとか、大好きだった友達や異性から酷い仕打ちを受けたとか、いじめに遭ったとか。
「自分はこんなに可哀想な人生を送らされてるのに、コイツらは日の当たるところでみんなに愛されて妬ましい」という気持ちから、吸血鬼になってしまったのでしょうかねえ。
サイコパスのように、生まれつきの加害者っていうのもごく一部いるとは思うんですが、多くの加害者は元被害者なんだろうと思うんですよね。
我が子を虐待してしまう母も、実は虐待されて育っていた、とか。
自分が小さい頃に受けた傷を、「この痛み、誰かにも味わわせないと気が済まない」というダークサイドに堕ちてしまう人と、「こんな悲しみは誰にも味わわせたくない」というヒーローサイドにレベルアップできる人に二分されますね。
この分かれ道を決める要因って、何なんでしょうねえ。
理性の強さ?周囲の助け?努力?
…全部、かな。
人生の岐路、分かれ道、なんてよく比喩で言いますが、この分かれ道って、左右に分かれているんじゃなくて、上下に分かれているんじゃないかとセリ美はいつも思っています。
ヒーローサイドは昇り階段だから、「うわーしんどそう」って思って、ダークサイドは下り階段だから楽なんです。
ダークサイドに行ったって結局その深い悲しみが癒えることなんてないのに、苦しい時には昇るエネルギーが無いから下に流れてしまうほうが楽なんですよね。
見るからに大変そうだけど、面倒くさそうだけど、でも1段ずつ昇った先には絶対に「昇って良かった~!!」っていう新しい景色がある。
でも、「この暗い下り階段の先には何も無いんだ」なんて解ってる人はほんの一握り。
だから楽なほうの下り階段に流されてしまう人のほうが圧倒的に多いんだと思います。
「今は昇る気力が無いからとりあえず下ろう…」ってどんどん下って行けば行くほど、昇り階段からどんどん遠ざかって、気が付けばもう取り返しのつかないところまで来てしまう。
それこそが人間という生き物のいちばんの弱点だとセリ美は思っています。
ほら、よく言うじゃないですか。
結婚してすぐは旦那の世話焼きも嬉しい作業だから何でもやってあげちゃって、そうすると男は単純だから「やってもらえるもの」って思うようになっちゃって、途中で「私も忙しいしもうちょっとやってもらえないかな」って旦那に言っても「疲れてるから」とか「やり方が分からない」とか「俺がやっても子供が満足しない」とかで不機嫌になられて、奥さん側ももう言うのも面倒くさくなって「自分でやったほうが早いし揉めなくて済む」ってそのとき楽なほうを選んじゃって、お互い中年になった時には一人ではなんの家事もできないおっさんが出来上がっていた、みたいな。
奥さんが具合悪くて寝込んでるのに「俺のメシは?」って訊いてくる、みたいな。
っしょーもな!!!!!!
勝手に買えよ!!!!!
なんなら奥さんの分も食べやすいもの買ってくるとかしろよ!!!!!
こんな風に人間ってそのとき自分が楽なほうを自然と選んでしまうんですよね。
でも、その先を考えれば、その選択が正しいわけがないのに、自分も疲れてるからつい「もういいや」ってなっちゃう。
「もういいや」の先に「時が解決」なんて待ってないんですけどね。
まぁそんなことで、人間って嫌なことや辛いことに直面した時に自然と下り階段を選ぶ性質があるわけで、どんどん下り階段を選んでしまってついに人生が全然楽しくなくなっちゃって、あとは階段のてっぺんで光り輝いてる成功者を自分のいるところまで引きずり下ろすことを生きる目的にしちゃうわけですね。
そういう心理構造で、羽生くんみたいなキラキラした若い成功者、スーパースター、圧倒的な善を見ると、その善と精気を吸い取ってやろうと暗闇で目を光らせる餓鬼がどうしても発生してしまうわけですが、セリ美の周囲にもそういう連中はいましたし、こうして有難いことにそれなりに読んでいただけてるブログを書いてると、「セリ美とかいう目立ってる奴、どうにかして失脚させたい」と目を光らせてくる人が自然発生してしまうことももう受け入れているので、とにかく「階段下からの石投げ攻撃など華麗によけて、自分の挑戦に全力を注ぐ」と決めています。
でも、「妬む気持ち」って決して悪い面ばかりじゃない、とも思っています。
セリ美と同じ分野、文章を書く人の中で絶賛されている人を見るとやっぱり嫉妬します。
ツイッターでめっちゃバズってるツイ職人さん見ると悔しい気持ちも湧きます。
でも、その嫉妬心を「もっと、もっと私も頑張らなくっちゃ!!」というエネルギーに変換しているので、嫉妬の気持ちも否定せずに大切に持っておこうと思っています。
これまでに、セリ美茶の開催、メディアからの取材、地域誌への掲載など、ボン乃セリ美としていろいろな挑戦をしてきましたが、今はまだコロナのこともあるのであんまり能動的な挑戦ができないので、今のセリ美の挑戦は「健全な生活習慣の構築」なんですね。
ライターっていうのはどうしても夜間の静かな時のほうが執筆がはかどるので、数年間ずっと昼夜逆転生活でした。
でも昼夜逆転って思っていた以上に体に負担がかかりまして、自律神経がたぶんどうにかなっちゃったんですね。
いろんな体の不調が出始めて、こりゃいかんと思ったけど、習慣ってなかなか直らないじゃないですか。
ついお菓子食べちゃうとか、つい必要以上に耳かきしちゃうとか、深夜2時までスカステ見ちゃうとか、贔屓の写真爆買いしちゃうとか。
なにかすごく大きなきっかけが無いと根性だけでは習慣って変わらない、っていうことで、一念発起してマンション購入&引越しを決めたわけですね。
そんで紆余曲折あってようやく今の家に出合い、この環境なら朝の散歩も絶対に続けられるという確信があり、散歩はもう日課になりましたし、その散歩道にあるおキツネさんとの仕事も自分で見つけられた。
それで生活環境が整ったら仕事の風向きもなんか良くなって、割のいい仕事をいま頑張っている、というところです。
フリーライターなんて安定などあり得ないですけどね。
仕事の挑戦、私生活での挑戦、いろんな挑戦のカタチがありますけど、やっぱりどうせ生きるなら、一度しかない人生、何かに挑戦することを常に自分に課して、その成果物によってどんどん成長していく自分でいたいものです。
ということで前説が長くなりましたが(毎度のことですわ)、仕事もそっちのけで今日も本題に入りましょう。
我々にとって挑戦、と聞けば音楽学校の受験ですよね。
今年の受験生はそろそろラストスパートに入り、面接のレッスンなんかも大詰めでいま緊張感を高めている時期かなと思います。
今年でセリ美も研24になり、こうしてブログをやっているおかげでいろいろな出会いを頂いてたくさんの素敵なヅカ友さんと仲良くさせてもらっていますが、そうなると中には「娘が音楽学校を受験するの」っていうヅカ友さんなんかともチラホラ出会います。
以前は、「受験資格があって羨ましいな~セリ美が中学生だったらどうしてたかな~(妄想に突入)」くらいに思ってたんですが、お嬢さんが受験に挑むというヅカ友さんを何人も見てきて、当事者になってみるともうそれはそれは恐ろしいことなんだと知りました。
たった4回だけしか与えられていないチャンスの中で、全国40位以内に入らないといけない、もし一次でソッコー落ちたらとても恥ずかしい、応援してくれる人がいればいるだけその人たちに合わせる顔が無い、なんて謝ったらいいんだろう…というそのプレッシャーって、国民に期待されまくってオリンピックに出たアスリートと変わらない怖さがあると思うんですね。
今回、不運な目に遭った高梨沙羅ちゃんが自分を責めに責めて、国民の皆さんにずいぶんと謝罪して、みんなに「もう謝らないで」って言われてましたけど、その4回のチャンスの中で全国40位に入ることができなかったら、そういう心境になってしまうわけです。
しかも、ラストチャンスならなおさら、周囲の友達は続々と推薦で大学への内定をもらったり、2月にもなれば合格をもらって残りの高校生活を謳歌してたりするわけです。
そんな中、自分だけはとりあえず滑り止めで大学受験をしながら、3月末のその日までプレッシャーと闘わなければいけないという孤独。
中には、大学受験なんてする時間すらもったいない、音校受験にすべての時間とエネルギーを注ぎたい、とあえて退路を断って挑むような根性あるお嬢さんなんかもいらっしゃいます。
さらに言えば、4回の中で初回は最終面接まで行ったのに2回目は二次で落ち、3回目は一次で落ち…みたいな不思議な現象もあるみたいなんですよね。
いちばん実力の低かった初回がいちばん評価が高くて、レッスンを積めば積むほど評価が下がっていく…なんて、普通の受験ではありえないことじゃないですか。
それくらい、音校での合格基準って「運」の要素が強いわけで。
羽生くんが「報われない努力ってあるんだな」って寂しそうに笑ってましたけど、残酷ながら、どんな事象にも運はつきもので。
だからこそ、余計に怖いわけですよね。
偏差値や模試みたいに、タカラジェンヌには「ここまで行けばほぼ叶いますからね」って基準が明確にあるわけじゃないですもんね。
2度目も3度目も不合格をもらって、それでも4年間ずっとモチベーションを切らさずに毎日毎日レッスンをしなければいけない。
同級生のみんなが「帰りにマック寄ってこー」とか、「彼氏できたのおおおおお!!」とか「原宿にパンケーキ食べ行こうよ!」とか「BTSのオンラインミーティング当たったあああああ!!」とかやってるのを尻目に、「じゃあねー」と毎日毎日遅くまでレッスン漬け。
年頃の女の子が友達と遊びたくないわけないですよね。
そういう誘惑もみんな我慢して、模試も偏差値も無いような、運が天国と地獄を左右するような怖い怖い挑戦。
そういう誘惑や怖さを乗り越えて、「私は挑戦します!!」って宣言できる強さを持ってないと、スタートラインにも立てないようなとんでもない挑戦なんですよね、音校受験って。
もうね、なんならセリ美は、受験します!ってスタートラインに立っただけでもう半分タカラジェンヌやん、と思っています。
その覚悟や努力って、現役タカラジェンヌとほぼ同じ心持ちですもんね。
もし落ちても恥ずかしくないように周囲の友達にも誰にも打ち明けずにこっそり受けよう…とか、「私なんて受かるわけないし!あくまで記念受験だから!」って言い訳をしてから受験するでもなく、何からも逃げずに「わたし、やりますっ!!」と挑戦を表明してスクールに通ってライバルたちと切磋琢磨して、みんなの応援をプレッシャーではなくエネルギーに変換して試練の場に立てるって最高にかっこよくてクレバーで、セリ美は心から尊敬しています。
運がかなり左右する挑戦だから、願っていた結果にならないこともきっとある。
20倍なんだから、むしろ受かったほうがラッキーと言えるような挑戦です。
でも、結果よりプロセスのほうが宝だって言うじゃないですか。
音校受験もまさにそれで、受かればラッキーだけど、それよりも「自分はあんな難しいことに全力でチャレンジしたんだ!」っていう経験値は絶対に人生の宝物になるんですね。
あんな難しい挑戦に恐れずに立ち向かっていったんだから、そのあとの人生のあらゆる挑戦や試練でも絶対に乗り越えられるだけの強さになるわけです。
セリ美も毒親からの支配というとても苦しい足かせを、どんな時も諦めずに「絶対に抜け出してやるんだから!!!」といろんな友人の手助けや応援、ミズさまからのパワーチャージによって、乗り越えました。
そのおかげで、いまどんなに苦しい状況になっても、ものすごく腹が据わっています。(苦しいよううって一旦は落ちるけど……)
「あんな地獄を自力で抜け出したんだから、もう何も怖くない」という境地に辿り着くことができました。
足かせをはめられていても絶対に楽なほうに逃げずに、とても大変で面倒くさいけど、昇り階段だけを見て歯を食いしばって一段一段踏みしめてきたおかげだと自負しております。
まさに瀬奈じゅんさんも、スクール開校にあたってこう仰ってますね。
〈理念〉
Jeunesse=青春
受験に挑戦する事に意義があり、どんな結果になろうとその時間が青春の1ページとしてその後の人生のかけがえのない糧になってほしいという願いを込めています。
瀬奈さんはずば抜けた才能とスター性と運によって見事タカラジェンヌになり、トップスターにまでなられたお方ですが、きっと当時同じスクールにいた友人たちの中には合格を手にすることが叶わなかった子もいたでしょう。
そのお友達も、今では受験という大きな挑戦を人生の財産にして立派な人生を送られているはずです。
瀬奈さんはそれを知っているから、「音校受験は素晴らしい宝物になる。受験を検討している皆さんに自分もそのお手伝いがしたい」という思いで、元トップスターさんでは珍しく、スクールを開校されたようです。
瀬奈さんが面接レッスンとかしてくれるならセリ美もぜひ年齢詐称して入校したいんですけどね…
「もっと声張る!!!」とか「さっきも言ったよね?!同じこと何度も言わせない!!」とか叱られたいよね………
もっと言うならミズさんに叱ってほしいんだけどさ……
もう生活態度から喋り方から歩き方から何からすべて叱ってほしいんだ……
ミズさんのあの論理的で隙のない言い方で…
それで最後に「やればできるんだから!また来週がんばろうね!このおなかも引っ込めようね!」って肩に手をポンって置かれて褒められたいの……
(最近ミズさんにツイで度々いいね頂いちゃってこのブログがどうかバレてませんようにってお祈りしてるんだ……この気持ち悪いブログがバレたらもうセリ美は死にます…)
なぜか変態っぽい方向に話が変わってきてますけど、とにかく「宝塚音楽学校を正々堂々と受験する」って、もう最高にクレバーでクールでロックで、セリ美は40代半ばのババアですけど、10代の受験生の少女たちを大尊敬しております。
挑戦するだけでもこんなに怖くて勇気のいることなのに、何度も受験して何年もモチベーションを保って、「最後まで走り抜く」ことがどんなに大変なことか、苦労の多かったセリ美は誰よりも理解していると自負しておりますので、音楽学校受験生の少女たちよ、「こんな怖いことに挑戦するわたし、すげーだろ!!!!」って自信満々で受験を楽しんできてくださいませね!!!!!
がんばれーーーーーー!!!!!!!!!!
もし人生やり直せるなら?って言われたらセリ美はちゃんと勉強がんばって有名大学の文学部入って歌劇編集部受け直すなァ…
そしてジェンヌさんたちをデレデレ見ながら取材するんだ…夢のようよ…


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