さあ、息子の雪組新学期がついに明日始まります!!!
雪組の皆さんは「噂のスーパー転校生がやってくるぞ!!」と超ウェルカムしてくださっているはずです。
噂に聞くと、雪組は組替え生に対してものすごく自然体で出迎えてくれる組風だそうで。
普通、転校生が来たらみんな興味津々でもしばらく遠巻きに様子をうかがったりするじゃないですか、我々日本人って人見知りが多いから。
セリ美も愛知に来た時、そうでした。みんなこっち見てんのにだ~れも声かけてくれないの。
特に宝塚は意外と組ごとに文化が全然違うようで、ウォーミングアップのやり方も、流行ってるお稽古着も、空気感も、上級生下級生の関係性も、組によってかなり違うから、新しく来た生徒さんに対して「どういう感じでお稽古するんだろう…」って固唾を飲んで見守る、みたいな空気になりやすいとか。
でも雪組って敢えてそうしないでくれているのか、まるで昨日までもずっと雪組にいたかのように「あ、おはようございま~す」なんてみんなフツーーーーに対応してくれる文化だそうで。
さすが我がミズさまの雪組だわっっっ!!!!
ミズさまなんて4組を放浪されたわけですものね。
ミズさまが文化の構築に携わった雪組にまさか息子が行くなんてねえ…何度考えても感慨深いものがあります。
今のところ研23のセリ美の軸足は、
宙組7年→雪組5年→ブランク4年→宙組8年→雪組(←いまココ)
という流れで来ています。
花月星にご縁がまわってこない……なぜだ…特に星……なぜだあああ!!!
雪組デビュー作となった夢介では幸運なことに同期の希和ちゃん(希和和希?和希希和?かずきわ?)と組むことが多そうなので、人見知りの息子も割と早めに心がほぐれていったことと思います。
しかも、慣れているスリ稼業!!!
これまで地下鉄内で人様の懐をどんだけまさぐってきたと思ってんだ!!!
天下のベネディクトさんの懐までブロッコリー姿でまさぐってきたんだぞ!!!
そして今回もトップさんによって改心させられる、という和風オーシャンズみたいなことになっていますが、ライナスでは皆無だったロマンス要素はあるのでしょうか?!?!
母はドキドキソワソワで初日の授業参観に行ってまいります…!!!!
しかも夢介のあとは恋の大和路、蒼穹の昴、とショー弾圧の刑に遭いますので、踊る息子を死ぬほど目に焼きつけなくては…!!!!
「こんなに踊れる子を踊らせないなんてそんな愚策があるか!!!」と泣きながら壁に拳を突き立てた日もありましたけど、劇団としては「和希はもうダンスは殿堂入りだから、やってこなかった分野を学びなさい」という「ダンス免許皆伝」という意味だと受け取るようにしています。
でもミズさんもショースターでしたけど、ガチガチの和モノってプレお披露目の星影の人と、和モノショーである風の錦絵くらいだからなあ…
トップ就任前だって源氏物語とか里見八犬伝とか…くらいかな?
雪組の和モノの伝統ももちろん!もちろんものすごく大事だけど、そのときそのときのトップさんや主要メンバーの得意分野に合わせてもいいのになあ、なんて思ったりもしますけどね。
息子はオールマイティー、走攻守揃ってるスーパー舞台人ではあるけど、やっぱり「水を得た和希!」って感じるのは踊ってる時だからなあ。
特に、雪組に行ったからには、同郷であるスーパーダンサー・希良々うみちゃんと死ぬほど踊ってほしいんだけどなァ……
岡山ダンサーズ見たいなァ……
今の雪組にはさききわはもちろん、息子もいるし希良々うみちゃんもいるしあがたもいるしで、とにかくダンサー揃いですから、紫禁城であの重い中国衣装引きずってる場合じゃないやろがい!とか思っちゃってね。
いやいや、文句ばっかり言ってちゃいかんね。
雪組になった途端に3番手格同等のグッズ販売になったりなど、めざましい躍進が始まってるので、有難く拝ませていただきますです。
フォトブックにゲスト出演する娘役さんは誰なんでしょね~~。
さて、もうずいぶんと温めてきたレポがありますので、ようやく報告したいと思います。
いや~コロナ、長いじゃない?
どこまで自粛すればいいのかもうよく分からなくて、特にセリ美は一応こうしてブロガーという公の立場も持ってるし赤パーカー着ちゃって身分も割れやすいしで、劇場通いついでにどこかに寄っちゃったりしたらマズいのか…でも別に緊急事態宣言もまん防も出てないし…みたいな感じで、劇場以外のレポって一応自粛してたんです。
でもまぁ感染者数が激減したわけではないけど全国的にまん防とかも廃止になってるしということで、このタイミングでレポしてみたいと思います。
まずは、間もなく桜の開花が迫っておりますが、桜と言えば桜嵐記。
くーみんの最新作にあたりますが、くーみん、SAPAでちょっと方向が変わったかな…と思い、fffでものすごい難題をこちらにぶん投げてきて、「相変わらずロックだねぇ…」とくーみんの運転する暴走バイクのうしろにしがみついている我々でありますが、桜嵐記では原点回帰のような、美しい美しい悲劇を見せてくれました。
それ以来、楠木親子に興味津々になった人も多いと思います。
もちろんセリ美もその一人でして、加えてそもそも歴女なもんですから、南北朝時代なんていうあんまり注目してこなかった時代に俄然興味がわきましてね。
そうなったらもう四条畷、行きたいですよね。
行きました。
四条畷は、「四条畷通り」なんて大きな通りもありますし、関西人で「四条畷」が読めない人のほうが少ないほどメジャーな名前です。
四条畷市は大阪中心部からそれほど遠くはないので、観劇の前後に行けなくもないかな…とは思ったんですが、う~ん、体力にすごい自信があるとかじゃない限り、やめたほうがいいかな(笑)
ちゃんと聖地巡り用に1日作ったほうがいいですね。
大阪駅・梅田駅からは電車で30分くらいで着きますが…霊験あらたかな神社って山にあるじゃないですか。山っていうことはつまりは超上り坂なわけで…
これが行きの風景です。これを撮ったあたりから緩く坂が始まって、あの軽自動車のあたりからグンと角度が上がります。
本当はこの撮影場所あたりに、「ここから参道だよ~」という目印の大鳥居があるんですが、工事中でした。
なので、今は新しい鳥居になってるんじゃないかなあ。
この道路の先の山の麓に鳥居が小さく写ってるの見えます?あれが境内入口ですが、その先に、神社と言えば、の…大階段が……
はいドーーーーーン。これです。
万年デスクワークの四十路の身体には相当キツかったです……
でもスケジュールを一日たっぷり取れば急ぐ必要もないので、疲れたら休んで、この神聖な空気を吸い込みながらゆっくりゆっくり、一歩一歩、歩を進めます。
コロナ中だからか?それともコロナで廃業されてしまったのか…?左側に古民家が見えますが、お茶屋さんか旅籠かな?閉まっていて残念でした。
でも確かに、人っ子一人写っていません。
本当にだ~~れもいませんでした。平日というのももちろんあるとは思いますが。
なぜか社殿を撮り忘れたセリ美ですが、ちゃんとこの大階段を昇ってお参りしてますからね!(笑)
四条畷神社の由緒はこちら。
桜嵐記で出てきた登場人物の名前がたくさん並んでいて、舞台上で彼らの葛藤や生き様、死に様を見てきた我々には、楠木親子の存在や天皇の存在が余計にリアルに感じられますね。
可愛い陶器のボールがたくさん浮かんでいる手水鉢!
誰も盗んでいかないところが日本らしくていいですね!これ外国だったら一瞬で盗まれてますからね。
境内の中に、こんなものも。山林の名から偶然発見されたとか!ロマン!
元中3年っつったらまさに南北朝時代!!
サラッと置いてありましたけど、なんかすごい遺物ですよねえ!!
あと境内には、伝わっている史実の場面なんかも石像になっていました。
まゆぽんが、白河りりちゃん(たまさんの少年時代)に「わしが死んだあとも、南朝の天皇をお守りして命を捧げるのがお前の使命だ」と告げている場面(桜井の別れ)です。
まゆぽんはこの後の戦(湊川の戦)でたぶん自分は死ぬであろうことがわかっていたので、長男である正行に遺言を遺したんですね。
平和な時代しか知らない我々からすると、死んでまでやらなきゃいけないことなの…?と思ってしまいますが、例えば、捨て奸(すてがまり)という戦術が戦国時代にありました。
捨てがまりとは、まぁトカゲのしっぽ切りとか、捨て駒みたいなことです。
薩摩の国の大名、島津氏が主に用いた戦術だそうですが、戦において、「このままでは負けてしまう」とか、「一旦退却!」という時に、敵が追ってこられないように、退却路に少しずつ兵を残していって敵を足止めさせて時間稼ぎをするというわけですね。
でも、何百人も追ってくる敵に対して数人や数十人しか残さないので、捨てがまりメンバーに選ばれた時点でもう死は確実です。
めっちゃ怖いですよ。
退却路の真ん中に、あぐらをかいて座るんですね。
そこに敵がうおおおおおおと向かってくるわけですが、あぐらで座りながらじっくり鉄砲の狙いを定めて、まずは最前線の兵士たちを狙撃して、それが終わったら立ち上がって槍や刀で突撃して、命終わるそのときまで敵を一人でも殺して果てる、という恐怖の最期。
この退却法を知ったときは、「なんて非人道的な…!鬼畜島津氏め!!!」とセリ美は震え上がったものでしたが、なんと、志願する兵のほうが多かったんですって。
日の丸特攻隊の中にも同じ思いで「天皇バンザーーーーイ!!」と飛び込んでいった若者もいたんだろうな。
もちろん、「嫌だ!家族を残して死ぬなんてそんなのできない!」と思った兵士もいたでしょうし、意見は人それぞれだったとは思いますが。
義やリーダーのために死ねるなら喜んで!!!という価値観、現代人の中でどれだけの人が持っているんだろうと思いますが、でも桜嵐記や星逢を観てあんんんんんんなに泣けるというのは、やっぱり持ってる日本人DNAがそうさせるのかな、なんて思いますね。
まだお嫁さんももらってない、自分の子どもにも会ってない若さで、本当に正行が「南朝のため、父上のため!!」と喜んで四条畷の戦いで死んでいったのかどうか、本人にしか分からないですけどねえ…
正行に限らず、尊い命を犠牲にして「日本を素晴らしい国に!」と戦で死んでいった人々の想いを胸に刻み込むためにセリ美は歴史を学んでいるところが大きいですね。
今の政治家の中にそういう想いのある人が一人でもいるのでしょうか。アイドルあがりの不倫議員を召し抱えている政党が日本の与党だと思うと、不安しかないですけどもね。
政治と宗教の話はタブーにしているので、あまり触れたくはないんですけどね。
まぁとにかく、自分の命を誰のために使うのか、ってたまさんも桜嵐記の最後で自問自答しながら髪を振り乱して戦っていましたね。
セリ美的には、武士として働ける限りは天皇と楠木家のために、そして「ここまでか…」と最期を察知してから命果てるその瞬間までは好きな女を想う自分のために命を使おう、そういう結論になったんだろうな、と思っています。
実際の正行が本当に玉砕覚悟で、死ぬことを分かっていて四条畷の戦いに出陣したわけではなく、あくまで勝算があって出陣した、という説もあるようなので、真実は分かりませんけどもね。
でも、セリ美ならおだちんに寝返っちゃいますね。
湊川の戦で戦死したまゆぽんの首も、本来ならば河原でさらし首にしてその辺のお寺の坊さんがそれをひっそりと持って帰って葬るのが通常ケースだそうなんですが、おだちんはちゃんと首を楠木家に返してあげてるそうなので、非情な大将というわけではなかったようですしね。
だって、北朝が主都の京都で、南朝が吉野の山奥という立地だけ見ても、北朝優位にあるのは明確ですからねえ。
関ケ原の戦いでも各国の武将たちは「西につくか、東につくか…」を予測して、勝つであろうほうを選んで参戦して、実際に「こりゃあ徳川勝つぞい!」って思った西軍の武将たちは結構寝返ってますもんね。
でも難しいですよね~。じゃあ「あなた様に加勢します!」って寝返ったとしても、「こいつは義よりも利を優先する人間なんだな」という評価になるわけですし、そうなれば無事に戦に勝ったとしても、大将からはずっと「信用ならぬ者」として見られるわけですからね。
実際、信長なんかは自分に寝返った武将たちを優遇するどころか「この裏切り者が!」と冷遇したそうですからねえ。
そう思うと、義も利も叶えるためには、真田家のような「兄は東軍に、弟は西軍に」と分ける方法が確実なんでしょうかねえ。
でも生き残った兄の信之も93歳という年齢まで生きますが、大きな武功があるわけでもないし、徳川方で生きることはできたけど真田家の家督争いが複雑化していって、本家の血筋は断絶してたり、父と弟を戦死させただけの甲斐があったのかどうかは分かりませんしねえ。
結局、こうして後世に英雄として語り継がれてるのは弟の幸村ですしね。
こうやって歴史上の人物の生き様をいろいろと学んでいくと、「じゃあ私は自分の命をどう使おう?」って毎回思います。
有難いことに今は自由が確約されていて平和な時代なので、義に使うも良し、利に使うも良し。
自分の価値観も年々変わりますし、出会う人によっても変わっていきますから、とにかく後悔しない生き方を、という基準でやらせてもらってますけどもね。ええ。ええ。
義に使うことも「ああ、いいことしてるなあ!」と清々しい気持ちになれるので、それなりに大事にしています。
おキツネさんへのお花のお供えもそうですし、「2022年の挑戦」として、安城市の史跡ボランティアガイドなんかもやってみようかと最近思っています。
自分なりの説明方法を構築して、間に宝塚への勧誘的なサブリミナル効果なんかも入れつつ、「あの人のガイド面白い!」って喜んでもらえたら嬉しいなあ。
ちなみに、来年の大河ドラマでは家康が主人公ということで、隣の岡崎市は家康の地元ですし、隣のここ安城市にも家康関連の史跡がたくさんありますので、大河ドラマを見て来た観光客向けに50名のボランティアガイドの募集もあったんですけど、市役所の手違いで申し込みできず……残念。
浅草に住んでる時代も、浅草寺の前にお年寄りのボランティアガイドさんがたくさん立っていて、セリ美なんかよりもよっぽど流暢な英語で外国人観光客に話しかけていて、「かっこいいなあ!」なんて思っていました。
ボランティアガイド、今のセリ美の目標のひとつですね。
……四条畷神社のレポしてんのに一体なぜセリ美の目標の話をしてんでしょうね。
なぜか社殿の写真を撮り忘れてますが、しっかりお参りさせてもらって、お守りも買いました。ヅカ友さんたち用のお土産にもいくつか。
で、駅を挟んでちょうど対面にある、正行の墓所へレッツゴー。
MAPの左端にJRの線路がありまして、その更に左端が正行のお墓です。
こうして周辺MAPを見ると他にもいろいろと史跡とか見どころがあるようでしたが、あの大階段を腹の肉というシャンシャンを持って大汗で上がり下がりしたあとにはもう墓所に行くエネルギーしか残っていませんでした…
神社階段上からの眺めです。駅向こうは遠し!!!
帰りはもちろん下り坂のみですから行きほどではないですが、めっちゃ真夏とかだとほんとしんどいです。
梅田から30分だし劇場の行き帰りにちょっと寄って…なんてもんじゃないので、そこだけはご注意くださいね。
この鳥居を寄贈した方の名前が彫られていたんですが…
なんかすごい会社名ですよねえ……
戦時中の会社が奉納したのかしら…
そういえばこのまっすぐな道の道中にえげつない豪邸があって、セリ美の43年の人生の中でトップにあたるとんでもねえお屋敷でした。
でもなんか品のない和洋折衷っていうか、門構えは純和風なのに屋根のてっぺんにシーサーみたいな…?バリ風の装飾があったり…とても不思議なお屋敷があって、でもたぶん個人宅なんですよね…
なんかその記憶が鮮明に残ってます。
ああそういえば道中で気になったものがもうひとつ。
こんなポスターが貼ってあったんですけど…4代目初陣って……ナニ??
神輿経路って書いてあるので、4代目が乗った神輿が町内を練り歩く的なことでしょうかねえ?
そもそも4代目ってなんの4代目…??
ご存知の方いたらお教えくだされませ…
で、てくてく歩いて正行の墓所へ。
なんかね、商店街を抜けて、急に出てきます。商店街ストリートの終わりの丁字路に。
画像のように、普通に住宅街の中にあります。
楠に囲まれた墓所はなかなかの迫力がありました。
なにがすごいって、四条畷の戦いで、まさにここで正行は自害してここに葬られ、簡易的な石碑だけが建てられ、それを知っていた周辺住民がボランティアで楠を2本植えて、それが今まだここにあるっていうそのロマン。
歴史好きとしては、やっぱり史跡とか遺物は現場から動かさないでほしいので、「まさにここです!」っていうのがすごく好きです。
しかも、植えたその2本の楠木が墓石を包み込んで合体して1本になって、今もこの楠の中に当時の墓石が埋まってるって、なんかすごくないですか?!?!
狭い墓所内であんまりに樹が大きすぎて全体像が撮れないんですが、すごいことになってます!
なにか分からないけど、銘文のないこういう石碑もわざわざ置いてあったので、意味のあるものなんだろうなあ…
この土地に正行の遺骸が埋めてあって、そこに植えた楠が墓石を包んで1本に融合して巨大化して今も残るっていうその神聖さになんだか震えるような気持ちでした。
あ、もちろん我らが桜嵐記ポスターもありました。何度見てもいいポスターですねえ。
ポスター見ただけでも泣きそうになるわ。
右側にある歌詞は、もしかして赤坂村の歌か?!と思ったけど違いました(笑)
他にもなんだかいろいろと情報が。
近隣の皆さんが何百年も脈々と大切に管理されてる感じがしたのも良かったですね。
この下に正行が眠っていて、そこに根を張ってまるで「南北朝がひとつになって平和な時代が来ますように」と言っているかのように大きな1本になった楠。
なんだかものすごいご利益がありそうなので、落ち葉を拾って、さっき四条畷神社で買ったお守りに入れ、リュックにつけました。
「セリ美も満足できる死を迎えられますよーに!」という意味のお守り、かな。
やっぱり史跡巡り、いいですねえ。
人生観を改めて見直すことができて、こうして素敵なお土産が数百円で買える!最高!!
今年は吉野山の桜をぜひ見てみたいと思っていて、計画中です。
楠木3兄弟が今生の名残と思いながら眺めて戦に旅立ったあの桜を、この目で!!!!
また、レポしますね。
そしてもうひとつ神社シリーズ。
まあやの出身地である蕨市にセリ美はたまたま定期的な用事がありまして、今年の初詣でまあやがインスタにアップしていた和樂備神社(わらびじんじゃ)にも行ってきました~!
その場でスマホアプリで手書きしたので雑でスミマセン……
まあやがセリ美に髪型を寄せてくれて嬉しい!!(違う)
まあやが音楽学校受験の際に行った神社ということで、なんだかすっごくご利益ありそう!!
ここでもお守りを!と思って社務所に行ったら、旅行安全祈願のお守りがあったので、遠征ライフを送るセリ美にぴったりだ!と思って頂いてきました。
まあやの強力なパワーがセリ美を遠征でのトラブルから守ってくれそうですね!!
そして、蕨市役所に行ってまあや表紙の市報を頂いてきました。
これは1月号で、最新は2月号でパンフレットケースに出てなかったので、受付のオネーサンに「あのう…まあやさん表紙の市報…アリマスカ…??」ともじもじ訊いたら「ありますよ!」と3部も出してくれました。オネーサンありがとう!!!!
まあや、市長とお正月対談してましたよ!!
まあやなんていう生命力の塊みたいなものすごい舞台人を輩出できたのは蕨の誇りだね!!!
「みんな、オラに元気を分けてくれ!」なんて言ってますけど、あなたより元気な人はいませんからーーーっていつも思ってます。
繊細な心が無ければあんな素晴らしいお芝居はできませんから、まあやだって傷ついたり元気なくすことだって当たり前のようにあるだろうけど、人間の真の強さは「這い上がり力」だと思うので、「でもオラ、がんばる!!!!」って自分の足で這い上がってこれるあなたは最高に元気だし、その元気玉もらえるからこそ我々はまあやの舞台が観たいって思うんだ!!!
退団後はまだ舞台観れてないけど、近いうちに絶対に行くからねーー!!!
できればコンサートやってほしいーーーーー!!!!
さて、心を授業参観モードに切り替えたいと思います。
授業参観が終われば今度はミズさまの下僕モードに切り替えなきゃいけないので、スイッチングがもう大変よ。
吉野山の桜ももうすぐ開花宣言だろうし、史跡ボランティアガイドも始めるし、楽しみがいっぱいだね!!
「自分の機嫌は自分で取る」これとても大事ですね。
それでは次回は授業参観レポでお会いしましょう!!!!
さぁ、息子に恥かかせないように白髪染めしなくっちゃ…!!

雪組の皆さんは「噂のスーパー転校生がやってくるぞ!!」と超ウェルカムしてくださっているはずです。
噂に聞くと、雪組は組替え生に対してものすごく自然体で出迎えてくれる組風だそうで。
普通、転校生が来たらみんな興味津々でもしばらく遠巻きに様子をうかがったりするじゃないですか、我々日本人って人見知りが多いから。
セリ美も愛知に来た時、そうでした。みんなこっち見てんのにだ~れも声かけてくれないの。
特に宝塚は意外と組ごとに文化が全然違うようで、ウォーミングアップのやり方も、流行ってるお稽古着も、空気感も、上級生下級生の関係性も、組によってかなり違うから、新しく来た生徒さんに対して「どういう感じでお稽古するんだろう…」って固唾を飲んで見守る、みたいな空気になりやすいとか。
でも雪組って敢えてそうしないでくれているのか、まるで昨日までもずっと雪組にいたかのように「あ、おはようございま~す」なんてみんなフツーーーーに対応してくれる文化だそうで。
さすが我がミズさまの雪組だわっっっ!!!!
ミズさまなんて4組を放浪されたわけですものね。
ミズさまが文化の構築に携わった雪組にまさか息子が行くなんてねえ…何度考えても感慨深いものがあります。
今のところ研23のセリ美の軸足は、
宙組7年→雪組5年→ブランク4年→宙組8年→雪組(←いまココ)
という流れで来ています。
花月星にご縁がまわってこない……なぜだ…特に星……なぜだあああ!!!
雪組デビュー作となった夢介では幸運なことに同期の希和ちゃん(希和和希?和希希和?かずきわ?)と組むことが多そうなので、人見知りの息子も割と早めに心がほぐれていったことと思います。
しかも、慣れているスリ稼業!!!
これまで地下鉄内で人様の懐をどんだけまさぐってきたと思ってんだ!!!
天下のベネディクトさんの懐までブロッコリー姿でまさぐってきたんだぞ!!!
そして今回もトップさんによって改心させられる、という和風オーシャンズみたいなことになっていますが、ライナスでは皆無だったロマンス要素はあるのでしょうか?!?!
母はドキドキソワソワで初日の授業参観に行ってまいります…!!!!
しかも夢介のあとは恋の大和路、蒼穹の昴、とショー弾圧の刑に遭いますので、踊る息子を死ぬほど目に焼きつけなくては…!!!!
「こんなに踊れる子を踊らせないなんてそんな愚策があるか!!!」と泣きながら壁に拳を突き立てた日もありましたけど、劇団としては「和希はもうダンスは殿堂入りだから、やってこなかった分野を学びなさい」という「ダンス免許皆伝」という意味だと受け取るようにしています。
でもミズさんもショースターでしたけど、ガチガチの和モノってプレお披露目の星影の人と、和モノショーである風の錦絵くらいだからなあ…
トップ就任前だって源氏物語とか里見八犬伝とか…くらいかな?
雪組の和モノの伝統ももちろん!もちろんものすごく大事だけど、そのときそのときのトップさんや主要メンバーの得意分野に合わせてもいいのになあ、なんて思ったりもしますけどね。
息子はオールマイティー、走攻守揃ってるスーパー舞台人ではあるけど、やっぱり「水を得た和希!」って感じるのは踊ってる時だからなあ。
特に、雪組に行ったからには、同郷であるスーパーダンサー・希良々うみちゃんと死ぬほど踊ってほしいんだけどなァ……
岡山ダンサーズ見たいなァ……
今の雪組にはさききわはもちろん、息子もいるし希良々うみちゃんもいるしあがたもいるしで、とにかくダンサー揃いですから、紫禁城であの重い中国衣装引きずってる場合じゃないやろがい!とか思っちゃってね。
いやいや、文句ばっかり言ってちゃいかんね。
雪組になった途端に3番手格同等のグッズ販売になったりなど、めざましい躍進が始まってるので、有難く拝ませていただきますです。
フォトブックにゲスト出演する娘役さんは誰なんでしょね~~。
さて、もうずいぶんと温めてきたレポがありますので、ようやく報告したいと思います。
いや~コロナ、長いじゃない?
どこまで自粛すればいいのかもうよく分からなくて、特にセリ美は一応こうしてブロガーという公の立場も持ってるし赤パーカー着ちゃって身分も割れやすいしで、劇場通いついでにどこかに寄っちゃったりしたらマズいのか…でも別に緊急事態宣言もまん防も出てないし…みたいな感じで、劇場以外のレポって一応自粛してたんです。
でもまぁ感染者数が激減したわけではないけど全国的にまん防とかも廃止になってるしということで、このタイミングでレポしてみたいと思います。
まずは、間もなく桜の開花が迫っておりますが、桜と言えば桜嵐記。
くーみんの最新作にあたりますが、くーみん、SAPAでちょっと方向が変わったかな…と思い、fffでものすごい難題をこちらにぶん投げてきて、「相変わらずロックだねぇ…」とくーみんの運転する暴走バイクのうしろにしがみついている我々でありますが、桜嵐記では原点回帰のような、美しい美しい悲劇を見せてくれました。
それ以来、楠木親子に興味津々になった人も多いと思います。
もちろんセリ美もその一人でして、加えてそもそも歴女なもんですから、南北朝時代なんていうあんまり注目してこなかった時代に俄然興味がわきましてね。
そうなったらもう四条畷、行きたいですよね。
行きました。
四条畷は、「四条畷通り」なんて大きな通りもありますし、関西人で「四条畷」が読めない人のほうが少ないほどメジャーな名前です。
四条畷市は大阪中心部からそれほど遠くはないので、観劇の前後に行けなくもないかな…とは思ったんですが、う~ん、体力にすごい自信があるとかじゃない限り、やめたほうがいいかな(笑)
ちゃんと聖地巡り用に1日作ったほうがいいですね。
大阪駅・梅田駅からは電車で30分くらいで着きますが…霊験あらたかな神社って山にあるじゃないですか。山っていうことはつまりは超上り坂なわけで…
これが行きの風景です。これを撮ったあたりから緩く坂が始まって、あの軽自動車のあたりからグンと角度が上がります。
本当はこの撮影場所あたりに、「ここから参道だよ~」という目印の大鳥居があるんですが、工事中でした。
なので、今は新しい鳥居になってるんじゃないかなあ。
この道路の先の山の麓に鳥居が小さく写ってるの見えます?あれが境内入口ですが、その先に、神社と言えば、の…大階段が……
はいドーーーーーン。これです。
万年デスクワークの四十路の身体には相当キツかったです……
でもスケジュールを一日たっぷり取れば急ぐ必要もないので、疲れたら休んで、この神聖な空気を吸い込みながらゆっくりゆっくり、一歩一歩、歩を進めます。
コロナ中だからか?それともコロナで廃業されてしまったのか…?左側に古民家が見えますが、お茶屋さんか旅籠かな?閉まっていて残念でした。
でも確かに、人っ子一人写っていません。
本当にだ~~れもいませんでした。平日というのももちろんあるとは思いますが。
なぜか社殿を撮り忘れたセリ美ですが、ちゃんとこの大階段を昇ってお参りしてますからね!(笑)
四条畷神社の由緒はこちら。
桜嵐記で出てきた登場人物の名前がたくさん並んでいて、舞台上で彼らの葛藤や生き様、死に様を見てきた我々には、楠木親子の存在や天皇の存在が余計にリアルに感じられますね。
可愛い陶器のボールがたくさん浮かんでいる手水鉢!
誰も盗んでいかないところが日本らしくていいですね!これ外国だったら一瞬で盗まれてますからね。
境内の中に、こんなものも。山林の名から偶然発見されたとか!ロマン!
元中3年っつったらまさに南北朝時代!!
サラッと置いてありましたけど、なんかすごい遺物ですよねえ!!
あと境内には、伝わっている史実の場面なんかも石像になっていました。
まゆぽんが、白河りりちゃん(たまさんの少年時代)に「わしが死んだあとも、南朝の天皇をお守りして命を捧げるのがお前の使命だ」と告げている場面(桜井の別れ)です。
まゆぽんはこの後の戦(湊川の戦)でたぶん自分は死ぬであろうことがわかっていたので、長男である正行に遺言を遺したんですね。
平和な時代しか知らない我々からすると、死んでまでやらなきゃいけないことなの…?と思ってしまいますが、例えば、捨て奸(すてがまり)という戦術が戦国時代にありました。
捨てがまりとは、まぁトカゲのしっぽ切りとか、捨て駒みたいなことです。
薩摩の国の大名、島津氏が主に用いた戦術だそうですが、戦において、「このままでは負けてしまう」とか、「一旦退却!」という時に、敵が追ってこられないように、退却路に少しずつ兵を残していって敵を足止めさせて時間稼ぎをするというわけですね。
でも、何百人も追ってくる敵に対して数人や数十人しか残さないので、捨てがまりメンバーに選ばれた時点でもう死は確実です。
めっちゃ怖いですよ。
退却路の真ん中に、あぐらをかいて座るんですね。
そこに敵がうおおおおおおと向かってくるわけですが、あぐらで座りながらじっくり鉄砲の狙いを定めて、まずは最前線の兵士たちを狙撃して、それが終わったら立ち上がって槍や刀で突撃して、命終わるそのときまで敵を一人でも殺して果てる、という恐怖の最期。
この退却法を知ったときは、「なんて非人道的な…!鬼畜島津氏め!!!」とセリ美は震え上がったものでしたが、なんと、志願する兵のほうが多かったんですって。
日の丸特攻隊の中にも同じ思いで「天皇バンザーーーーイ!!」と飛び込んでいった若者もいたんだろうな。
もちろん、「嫌だ!家族を残して死ぬなんてそんなのできない!」と思った兵士もいたでしょうし、意見は人それぞれだったとは思いますが。
義やリーダーのために死ねるなら喜んで!!!という価値観、現代人の中でどれだけの人が持っているんだろうと思いますが、でも桜嵐記や星逢を観てあんんんんんんなに泣けるというのは、やっぱり持ってる日本人DNAがそうさせるのかな、なんて思いますね。
まだお嫁さんももらってない、自分の子どもにも会ってない若さで、本当に正行が「南朝のため、父上のため!!」と喜んで四条畷の戦いで死んでいったのかどうか、本人にしか分からないですけどねえ…
正行に限らず、尊い命を犠牲にして「日本を素晴らしい国に!」と戦で死んでいった人々の想いを胸に刻み込むためにセリ美は歴史を学んでいるところが大きいですね。
今の政治家の中にそういう想いのある人が一人でもいるのでしょうか。アイドルあがりの不倫議員を召し抱えている政党が日本の与党だと思うと、不安しかないですけどもね。
政治と宗教の話はタブーにしているので、あまり触れたくはないんですけどね。
まぁとにかく、自分の命を誰のために使うのか、ってたまさんも桜嵐記の最後で自問自答しながら髪を振り乱して戦っていましたね。
セリ美的には、武士として働ける限りは天皇と楠木家のために、そして「ここまでか…」と最期を察知してから命果てるその瞬間までは好きな女を想う自分のために命を使おう、そういう結論になったんだろうな、と思っています。
実際の正行が本当に玉砕覚悟で、死ぬことを分かっていて四条畷の戦いに出陣したわけではなく、あくまで勝算があって出陣した、という説もあるようなので、真実は分かりませんけどもね。
でも、セリ美ならおだちんに寝返っちゃいますね。
湊川の戦で戦死したまゆぽんの首も、本来ならば河原でさらし首にしてその辺のお寺の坊さんがそれをひっそりと持って帰って葬るのが通常ケースだそうなんですが、おだちんはちゃんと首を楠木家に返してあげてるそうなので、非情な大将というわけではなかったようですしね。
だって、北朝が主都の京都で、南朝が吉野の山奥という立地だけ見ても、北朝優位にあるのは明確ですからねえ。
関ケ原の戦いでも各国の武将たちは「西につくか、東につくか…」を予測して、勝つであろうほうを選んで参戦して、実際に「こりゃあ徳川勝つぞい!」って思った西軍の武将たちは結構寝返ってますもんね。
でも難しいですよね~。じゃあ「あなた様に加勢します!」って寝返ったとしても、「こいつは義よりも利を優先する人間なんだな」という評価になるわけですし、そうなれば無事に戦に勝ったとしても、大将からはずっと「信用ならぬ者」として見られるわけですからね。
実際、信長なんかは自分に寝返った武将たちを優遇するどころか「この裏切り者が!」と冷遇したそうですからねえ。
そう思うと、義も利も叶えるためには、真田家のような「兄は東軍に、弟は西軍に」と分ける方法が確実なんでしょうかねえ。
でも生き残った兄の信之も93歳という年齢まで生きますが、大きな武功があるわけでもないし、徳川方で生きることはできたけど真田家の家督争いが複雑化していって、本家の血筋は断絶してたり、父と弟を戦死させただけの甲斐があったのかどうかは分かりませんしねえ。
結局、こうして後世に英雄として語り継がれてるのは弟の幸村ですしね。
こうやって歴史上の人物の生き様をいろいろと学んでいくと、「じゃあ私は自分の命をどう使おう?」って毎回思います。
有難いことに今は自由が確約されていて平和な時代なので、義に使うも良し、利に使うも良し。
自分の価値観も年々変わりますし、出会う人によっても変わっていきますから、とにかく後悔しない生き方を、という基準でやらせてもらってますけどもね。ええ。ええ。
義に使うことも「ああ、いいことしてるなあ!」と清々しい気持ちになれるので、それなりに大事にしています。
おキツネさんへのお花のお供えもそうですし、「2022年の挑戦」として、安城市の史跡ボランティアガイドなんかもやってみようかと最近思っています。
自分なりの説明方法を構築して、間に宝塚への勧誘的なサブリミナル効果なんかも入れつつ、「あの人のガイド面白い!」って喜んでもらえたら嬉しいなあ。
ちなみに、来年の大河ドラマでは家康が主人公ということで、隣の岡崎市は家康の地元ですし、隣のここ安城市にも家康関連の史跡がたくさんありますので、大河ドラマを見て来た観光客向けに50名のボランティアガイドの募集もあったんですけど、市役所の手違いで申し込みできず……残念。
浅草に住んでる時代も、浅草寺の前にお年寄りのボランティアガイドさんがたくさん立っていて、セリ美なんかよりもよっぽど流暢な英語で外国人観光客に話しかけていて、「かっこいいなあ!」なんて思っていました。
ボランティアガイド、今のセリ美の目標のひとつですね。
……四条畷神社のレポしてんのに一体なぜセリ美の目標の話をしてんでしょうね。
なぜか社殿の写真を撮り忘れてますが、しっかりお参りさせてもらって、お守りも買いました。ヅカ友さんたち用のお土産にもいくつか。
で、駅を挟んでちょうど対面にある、正行の墓所へレッツゴー。
MAPの左端にJRの線路がありまして、その更に左端が正行のお墓です。
こうして周辺MAPを見ると他にもいろいろと史跡とか見どころがあるようでしたが、あの大階段を腹の肉というシャンシャンを持って大汗で上がり下がりしたあとにはもう墓所に行くエネルギーしか残っていませんでした…
神社階段上からの眺めです。駅向こうは遠し!!!
帰りはもちろん下り坂のみですから行きほどではないですが、めっちゃ真夏とかだとほんとしんどいです。
梅田から30分だし劇場の行き帰りにちょっと寄って…なんてもんじゃないので、そこだけはご注意くださいね。
この鳥居を寄贈した方の名前が彫られていたんですが…
なんかすごい会社名ですよねえ……
戦時中の会社が奉納したのかしら…
そういえばこのまっすぐな道の道中にえげつない豪邸があって、セリ美の43年の人生の中でトップにあたるとんでもねえお屋敷でした。
でもなんか品のない和洋折衷っていうか、門構えは純和風なのに屋根のてっぺんにシーサーみたいな…?バリ風の装飾があったり…とても不思議なお屋敷があって、でもたぶん個人宅なんですよね…
なんかその記憶が鮮明に残ってます。
ああそういえば道中で気になったものがもうひとつ。
こんなポスターが貼ってあったんですけど…4代目初陣って……ナニ??
神輿経路って書いてあるので、4代目が乗った神輿が町内を練り歩く的なことでしょうかねえ?
そもそも4代目ってなんの4代目…??
ご存知の方いたらお教えくだされませ…
で、てくてく歩いて正行の墓所へ。
なんかね、商店街を抜けて、急に出てきます。商店街ストリートの終わりの丁字路に。
画像のように、普通に住宅街の中にあります。
楠に囲まれた墓所はなかなかの迫力がありました。
「小楠公(しょうなんこう)」というのは正行のこと。「大楠公(だいなんこう)」はパパ。
えっ、じゃあ正時と正儀は…?がんばって戦ったのに…
えっ、じゃあ正時と正儀は…?がんばって戦ったのに…
なにがすごいって、四条畷の戦いで、まさにここで正行は自害してここに葬られ、簡易的な石碑だけが建てられ、それを知っていた周辺住民がボランティアで楠を2本植えて、それが今まだここにあるっていうそのロマン。
歴史好きとしては、やっぱり史跡とか遺物は現場から動かさないでほしいので、「まさにここです!」っていうのがすごく好きです。
しかも、植えたその2本の楠木が墓石を包み込んで合体して1本になって、今もこの楠の中に当時の墓石が埋まってるって、なんかすごくないですか?!?!
狭い墓所内であんまりに樹が大きすぎて全体像が撮れないんですが、すごいことになってます!
なにか分からないけど、銘文のないこういう石碑もわざわざ置いてあったので、意味のあるものなんだろうなあ…
この土地に正行の遺骸が埋めてあって、そこに植えた楠が墓石を包んで1本に融合して巨大化して今も残るっていうその神聖さになんだか震えるような気持ちでした。
あ、もちろん我らが桜嵐記ポスターもありました。何度見てもいいポスターですねえ。
ポスター見ただけでも泣きそうになるわ。
右側にある歌詞は、もしかして赤坂村の歌か?!と思ったけど違いました(笑)
他にもなんだかいろいろと情報が。
近隣の皆さんが何百年も脈々と大切に管理されてる感じがしたのも良かったですね。
この下に正行が眠っていて、そこに根を張ってまるで「南北朝がひとつになって平和な時代が来ますように」と言っているかのように大きな1本になった楠。
なんだかものすごいご利益がありそうなので、落ち葉を拾って、さっき四条畷神社で買ったお守りに入れ、リュックにつけました。
「セリ美も満足できる死を迎えられますよーに!」という意味のお守り、かな。
やっぱり史跡巡り、いいですねえ。
人生観を改めて見直すことができて、こうして素敵なお土産が数百円で買える!最高!!
今年は吉野山の桜をぜひ見てみたいと思っていて、計画中です。
楠木3兄弟が今生の名残と思いながら眺めて戦に旅立ったあの桜を、この目で!!!!
また、レポしますね。
そしてもうひとつ神社シリーズ。
まあやの出身地である蕨市にセリ美はたまたま定期的な用事がありまして、今年の初詣でまあやがインスタにアップしていた和樂備神社(わらびじんじゃ)にも行ってきました~!
その場でスマホアプリで手書きしたので雑でスミマセン……
まあやがセリ美に髪型を寄せてくれて嬉しい!!(違う)
まあやが音楽学校受験の際に行った神社ということで、なんだかすっごくご利益ありそう!!
ここでもお守りを!と思って社務所に行ったら、旅行安全祈願のお守りがあったので、遠征ライフを送るセリ美にぴったりだ!と思って頂いてきました。
まあやの強力なパワーがセリ美を遠征でのトラブルから守ってくれそうですね!!
そして、蕨市役所に行ってまあや表紙の市報を頂いてきました。
ボン乃セリ美@bonnoserimiこういうものをもらいに来るファン活動 https://t.co/8GhNCHFDeo2022/02/28 11:14:33
これは1月号で、最新は2月号でパンフレットケースに出てなかったので、受付のオネーサンに「あのう…まあやさん表紙の市報…アリマスカ…??」ともじもじ訊いたら「ありますよ!」と3部も出してくれました。オネーサンありがとう!!!!
まあや、市長とお正月対談してましたよ!!
まあやなんていう生命力の塊みたいなものすごい舞台人を輩出できたのは蕨の誇りだね!!!
「みんな、オラに元気を分けてくれ!」なんて言ってますけど、あなたより元気な人はいませんからーーーっていつも思ってます。
繊細な心が無ければあんな素晴らしいお芝居はできませんから、まあやだって傷ついたり元気なくすことだって当たり前のようにあるだろうけど、人間の真の強さは「這い上がり力」だと思うので、「でもオラ、がんばる!!!!」って自分の足で這い上がってこれるあなたは最高に元気だし、その元気玉もらえるからこそ我々はまあやの舞台が観たいって思うんだ!!!
退団後はまだ舞台観れてないけど、近いうちに絶対に行くからねーー!!!
できればコンサートやってほしいーーーーー!!!!
さて、心を授業参観モードに切り替えたいと思います。
授業参観が終われば今度はミズさまの下僕モードに切り替えなきゃいけないので、スイッチングがもう大変よ。
吉野山の桜ももうすぐ開花宣言だろうし、史跡ボランティアガイドも始めるし、楽しみがいっぱいだね!!
「自分の機嫌は自分で取る」これとても大事ですね。
それでは次回は授業参観レポでお会いしましょう!!!!
さぁ、息子に恥かかせないように白髪染めしなくっちゃ…!!


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