物価の上昇、激しいですね。
「玉ねぎ1個100円」は5度見くらいしました。

お菓子などもどんどん上がり、食べ盛りのお子さんがいる家庭は頭が痛いだろうなあ…


ガソリン価格と違って食品などの値上げは一旦上がったらもうなかなか下がることはないので、収入が増える見込みがないのに物価だけ上がり続けるというジリ貧時代がこの国に到来しているなあと思う今日この頃です。





さて、トップスターというのはいろいろな条件が完璧に重なって誕生するものですね。
  • 一般女性より背が高い
  • 顔がいい
  • 声がいい
  • スタイルがいい
  • 芸事の経験・素地がある
  • 応援してくれる家族がいる
  • 応援できる資金を持っている家族がいる
  • 芝居勘がいい
  • 上昇志向が強い
  • 折れない強い心を持っている
  • 女性軍団の中で上手くやっていける
  • 演出家やPに自己アピールができる
  • 相性のいい娘役が同時代にいる
  • 同期や前後の期にスターが多すぎない
  • 作品や役に恵まれる
  • 優秀なスタッフが会にいる
  • 資金を提供してくれる企業や個人がついてくれる
等々等々、とにかくすごい量の条件がすべてピタッ!!とハマってようやく辿り着く場所ですよね。


それと同じように、国の繁栄というのもいろんな条件が組み合わさって変化していくものだな、と思います。

今の日本というのは、戦争を知っている人がほとんどいなくなり、多くの人が食べるものや住むところに困らず、我々のように趣味にかける余裕のある人生を手にすることができるようになっています。

ウクライナや発展途上国などの、「観劇に命かける!贔屓を愛し抜く!」なんて言ってられない現状を考えると、日本がいまそのような泰平を手に入れることができたのも、日本国内だけの政治手腕に限らず、世界的な情勢や運ももちろん関係してはいますけども。



縄文、弥生、飛鳥奈良、平安、鎌倉、南北朝、安土、江戸、明治維新、世界大戦、戦後復興、経済発展、バブル崩壊~という日本の歴史を見れば、日本はどのようにして繁栄していったのか、どうしていったら国民みんなが割とハッピーで暮らしていけるのか、学のある政治家たちは知っているはずなのに、なぜ今、日本は繁栄どころか衰退していっているのでしょうかねえ。



ということで、今日はちょっと宝塚とは関係のないお話になってしまいますので、ヅカネタをご所望の方は申し訳ないです。

セリ美の独り言ではありますが、ご興味のある方だけ進んでいただけたらと思います。



とはいえ、説教臭い話や政治思想などを語るわけではなく、セリ美の身近なところから感じる「戦争」について語っておきたいな、という感じです。

政治に関する議論とか、いまの首相がどうだとか外交手腕がどうだとか、ロシアとの関わり方がどうだとか、政党の相関図がどうだとか、国家とか宗教とか、そういう次元の大きな話は正解が無いのでね。

知識人ぶってそういう話で大風呂敷広げるのは好きじゃなくて、それよりも自分に降りかかっている戦争の影響みたいなリアルな実体験を話しておくことのほうが価値があるような気がします。



皆さんのおじいさまおばあさまもそういう人が多かったと思いますが、戦争経験者って、語りたがらないじゃないですか。
心根の強い方は「この貴重な証言を残さずに死んではいけない!」と使命感を持って、語る仕事を続けておられますが、多くの人は何も語らないまま、人生を全うされていきます。

自分の見たもの・体感したものを語るのも語らないのもそれぞれ個人の自由ですからね。
嫌なことは記憶の奥のほうへ追いやって、いま目の前にいる可愛い孫やひ孫たちと笑っていたい、そういう信念で残りの人生を全うしたいというのも当然の想いですよね。


実際、セリ美の祖父母も戦争に関することは全く語りませんでした。
確か祖父は中国へ出征したと聞いていますが、本人から直接聞いたわけでもないですし、こうしてセリ美が「戦争って何だろう」っていう自我が目覚める前に祖父母は他界してますので、セリ美も特に質問したことは無いし、本人たちからも何も聞かされなかったという状況です。



セリ美は年々、歴史を学ぶことが好きになっています。
桜嵐記だって、「楠木親子ってそうだったんだ…」って興味深く思った方、多いと思うんですが、ああして作品として学ぶと歴史上の人物がすごく身近に感じますし、「もっと学びたい!」って思いますよね。


セリ美が歴史を「面白い!!」と思ったきっかけって天は赤い河のほとりなんですよ。社会人になってすぐの頃だったかなあ?
母に勉強を強いられたせいで勉強があまり好きじゃなかったので、大学受験は英語と国語の2教科受験を選んだほどでね。歴史なんて全く好きじゃなかったんですけど、天河で世界史に目覚めました。
高校生で目覚めてれば3教科受験でもっといい大学行けたのに!!!!

だから高校の授業で歴史漫画を取り扱うことって絶対いいと思うんですけどね~~



でも高校生が読むにはちょっとR指定か…



現代人の女の子が紀元前1200年のヒッタイトにタイムワープしちゃうっていうファンタジーな設定ではありますが、なんか急に紀元前のヒッタイト人が身近に感じちゃってね。
そのままの勢いでトルコに遺跡見に行っちゃいましたもんね。3度も。
篠原先生はほんとに偉大です。ヅカファンになってくれて嬉しい!!!



ミズさまに対してもそうですが、一旦夢中になったら離さないタイプなので、そこを入口にしてセリ美の歴史好き人生が始まりました。


ヒッタイトが入口ということで、数十年は世界史専攻でやってましたけども、だんだん日本史にも手を広げ始めまして。
愛知県に引っ越してきてからかな?やっぱり尾張・三河って江戸時代が開くまでの政治の本場ですからいろんな遺跡があるし、徳川の威信を感じる場所・場面もいまだに残ってるんですよね。


例えば、岡崎市って岡崎城ってのがあるんですけど、


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徳川家康が生まれたお城でしてね、戦国時代にはとても重要な拠点だったんですが、徳川の威信のおかげで城下町は発展して、商家もずいぶん賑わってたんじゃないかなあ。
その恩恵の中にたぶん今の岡崎信用金庫もあって、いや~~まさに殿様商売ですもんね!

はぁ?200万円の自動車ローン?そんなはした金にしかならんローンなんか組まねえよ!
ってなもんです。
自動車ローンが通らなくてビックリしました。


今のマンションを買う時にその話を不動産屋さんにしたら「あああ~~岡崎信用金庫ってそうなんですよね~殿様商売ですごい強気なんですよ~」と。

城下町時代から代々続く大きな会社がお金を預けてるから庶民のはした金ローンに金なんか貸さねえよ、ってことですね。


なんかそういうところに「おおおお天下の徳川あああああ」って感じますよね。
東京に住んでた頃はそういう経験したことなかったので、ローン通らなかったのはムカついたけど、なんかすごく歴史を身近に感じたんですよね。


岡崎信用金庫は口座解約してやったけど。




それで「せっかく愛知に住んでるなら戦国時代も学んでみたい!」って思うようになって、そこから明治維新やら桜嵐記での南北朝時代やらでどんどん肉付けされて、それぞれの時代時代がようやく繋がって見えてきた。点と点が線になってきた、というところでしょうかね、今。



歴史の面白さって、時代が古くなればなるほど記録が少なくなるので想像で補わなければならないけど、その余白にこそロマンがあるよね!って思えるところ。
まさにヒッタイトとか卑弥呼とかね。いくらでも想像できちゃうもんね。

そして、逆に時代が新しくなればなるほど詳細な記録が残ってるから、いろんな人物がいろいろ入り組んでいて複雑だけど知れば知るほど深くて、遺跡がまだたくさん残ってるからリアルに感じるよね!ってところが面白さですね。



日本の長い歴史から見れば戦国時代や幕末なんて近代のほうですから、資料は割と残ってるわけで、学べども学べども覚えども覚えども全然進まなくて、「調べることいっぱいあるなあ!」と燃えてきます。

特に幕末なんて明治維新が1868年、今からたった150年前のことですから、ヘタしたら自分の知ってる身内に関係する場所や出来事なんかも出てきたりしてね。


セリ美の実家は浅草の中流家庭なので別に身内に偉人がいるとかいうわけではないけど、幕末あたりを学べば学ぶほど、なんとなく当時の空気、風潮、人びとの価値観をリアルに感じることが増えてきます。

その話を今日はしてみたいなと思って相変わらず長い長い導入文になりました。






セリ美が戦争の後遺症を感じる場面、それは母親です。


今までにも何度か書いてますけど、セリ美母は結構な毒親で、とにかく母親としての素質に欠ける人でした。まだ生きてますけど。もう会うこともないので過去形になってしまった。

何が特に猛毒だったのかって、一言で言ってしまえば、娘であるセリ美にとにかく嫉妬する人でした。


うちの母に限らずこの種類の毒って他の機能不全家庭にもよくあるらしいんですが、娘を自分の娘として見られなくて、一人の女として見てしまうんですよね。

自分が経験できなかった幸せを娘が享受していると思うと、「許せない」という思いが湧きあがってくるようで、更にタチが悪いのは、その嫉妬心に気付いていないことで。

自分はどこからどう見ても完璧な母親であると信じて疑ってないので、親子関係がなんだかうまくいかないのは100%娘のせいだと信じ切っている。

それで「全部お前のせいだ」と娘への攻撃を更に強めていく、という悪循環なわけです。




例えば、塾や習い事とか。
「私は習い事なんて何もさせてもらえなかったのにあんたは塾にまで行かせてもらって何様なんだ」

例えば、大学進学とか。
「私は大学なんて行かせてもらえなかったのに、あんたは親の金で行かせてもらってる」

例えば、仕事とか。
「私は親の言いなりになって強制的に家業で働くしか選択肢が無かったのに、あんたは好きに自分で仕事を選ぶことができる」

例えば、住む家とか。
「私は親の古い家を相続するしか選択肢が無かったのに、あんたは自分で好きなところに住める」


そして最強に引くのが、「娘のほうが自分より友達が多くて能力が高いから」ということに嫉妬していることですね。



こんなどうしようもないことにいちいち嫉妬して、でも嫉妬からのイライラだと気付いてないので、「なんか知らんけどあんたの存在が腹立つ」みたいなことになり、セリ美を毎日睨みつけたり無視したり罵ったり、セリ美が入浴や洗濯をすると怒ったり、怒りがピークに達すると物で殴ってくる(自分の手が痛いから)というDVと呼ばれるものになっていくわけです。

洗面器で殴られた時は洗面器が割れちゃって、割れたことすらセリ美のせいにして怒られたなぁ。
火のついたお線香を体に押し当ててくるのがいちばんのピークだったかな~。
セリ美、小学1年生ですよ。想像するだけで泣けてきますよね。

この場面はいまだにたま~~に悪夢として出てきます。



更にもっともっとタチが悪いのは、セリ美の兄だけを溺愛してしまうこと。

当たり前ですが兄は男性なので、自分とは違う生き物であると認識していて、嫉妬の対象にはならないみたいなんですね。

そうすると兄を使ってセリ美のことを更に攻撃してくるわけですね。

これ見よがしに兄と仲良くしてみたり、兄に大金を渡したり、リビングで兄と母でキャッキャ喋ってたのにセリ美が帰宅すると急に話をやめてシーーーンとしたり、2階にいるセリ美に聞こえるような声の大きさでセリ美の悪口を兄に吹き込んだり、「家族旅行しましょ♡」と言って旅行手配と全行程のプラン立てをセリ美に丸投げしてきて、いざ現地に行ったらセリ美を無視して兄と2人で旅行しているかのように振舞ったり。



はーーーーーー可哀想!!!
セリ美、可哀想!!!シンデレラみたい!!

この、「自分が可哀想!」って思えることがとても重要で大切なことのように思うので、もう思いっきり自分に同情しています。

でもそのおかげで精神を壊すことなく、歪んだ性格にもならず、今日まで生きてこれたんだと自負しています。



でもこんなんだから自殺肯定派になったわけですね。
世の中にはこういう生き地獄って本当にあるので、「ゼッタイ死んじゃダメ!」なんて言えやしないよ。
毎日拷問にかけられてるようなものですから。

セリ美は自分で「この母親、頭おかしいわ」って気付くことができたので逃げられましたが、もっと囲い込まれて洗脳されて、気付けない人のほうが多いと思うんです。「自分が全部悪いんだ」って。
今日も明日も明後日も、24時間365日ずっとずっと毎日拷問だけど、ここから出られない。そうなったらもう自分で舌噛むしか選択肢は無いですからね。




まぁそんな頭のおかしい毒母のもとで育ったセリ美ですが、自分なりにいつも原因を追求してみるんです。
母が壊れてしまったのには、必ず理由があるはず、と。
この作業もセルフカウンセリングになってるような気がして、続けています。






そして何十年も研究を続け、最近ようやく辿り着いた答えが

「戦争の後遺症」

でした。



母がセリ美に嫉妬するということは、自分は幸せに生きてこれなかったから嫉妬するわけですよね。
自分は満たされた人生を送れなかった。金銭的にも精神的にも、とても不自由だったのだと思います。

セリ美は精神的には不自由でしたが、少なくともお金に困る人生は送ってこなかったので、そこが母の嫉妬の始まりのような気がします。




母は自分で志願して私立大妻中学校に進学しました。ジェンヌさんでも結構たくさんいますよね、大妻出身者。美園さくらちゃんとか、しどりゅーとか。
都内の女子校では偏差値も高いですし、なにより「お嬢様学校」と呼ばれる部類の学校です。
今でもそうなのかなあ?少なくとも、セリ美のティーン時代も「大妻と言えばお嬢様学校」でした。


母の両親(セリ美の祖父母)はまさに戦争の時代を生きた人で、その頃東京はたぶん焼け野原で、庶民は家も仕事もみんな失って、みんなゼロから、いやマイナスからのスタートだったのだと思います。


ちょっと時系列がはっきりしないんですけど、たぶん祖父は戦争から生きて帰ってきて、でも長男だからなんとか親を養わなければいけない、ということで誰かのツテがあったのかなあ?文房具屋さんを始めました。
どこかから安く文房具を仕入れてきて、売り歩くみたいなスタートだったのかなあ?

焼け野原の東京で文房具なんか売れたんかなあ?と思いますが、どうやら祖父は割と商売のセンスがあったようで、少しずつ軌道に乗ってきて、そろそろ結婚しないと…ということで、神奈川の湯河原にいたセリ美の祖母とお見合い結婚をして、娘二人が産まれます。

それがセリ美の母と叔母です。


祖母はどうやら割と良家の子女だったようで、字も綺麗だったし、文学に精通していたとのことなので、もしかしたら農家ではなく武家の系統の家柄だったのかもしれないですね。
料理がからきし出来なかったので、もし実家で料理の手伝いをさせられるような環境ならそんなことないですもんね。
料理などする必要のない家柄だったのかなと想像します。


祖父の実家は足袋職人だったと聞いたので、武家の娘を嫁に貰うような家柄か?と思いますが、湯河原から東京へ嫁に出してひと旗上げるぞ!という野心が祖母の実家の狙いだったのかもしれません。



家族くらいはギリギリ養えるようになったと言えど、終戦直後の東京下町はまだまだみんな貧しくて、治安も全然良くならないし、いろんなことが混沌としてて、やっとのことで構えた文房具店の建物が火事で全焼してしまったり、雇っていた従業員に売上金全部持ち逃げされちゃったり、それらが原因で祖父と祖母が毎日怒鳴り合いの喧嘩をしてたり、いろんな不運に襲われたのだそう。


戦争のせいでみんなが疲れていてイライラしていて、でもそれでも家族で助け合って生きていける人もたくさんいたと思う。

でも、うちの祖父母はそのような理性を持った人たちではなかった。
戦争の最前線にいて友達や同僚の死をたくさん見てきてトラウマをいっぱい抱えた気難しい下っ端軍人の祖父と、「私は学もあるし家柄もいい。なのに、なんでこんな粗野な貧乏人と結婚させられたんだ!!」という鼻っ柱の強い祖母とではまるでウマが合わなかったようです。


祖父母の激しい喧嘩を毎日見させられてビクビクしながら育った母と叔母には、きっと大きなストレスがそこで植え付けられたのだろうと推測します。

姉妹2人はみんなで仲良く楽しく暮らしていきたいのに、両親はいつも取っ組み合いの喧嘩をしている。
自分らの喧嘩に夢中ということはきっと子供たちの気持ちになど寄り添うこともほとんど無かったのでしょう。
分別ある大人なら、「せめて子供の前で喧嘩はやめよう」ってなりますもんね。


母の思い描く「親とは」という像は自分の親を見て決まりますから、「親は子供の気持ちになど寄り添ったりする必要はない」と刷り込まれたのでしょうね。


ここでもう少し母の頭が良ければ「貧しくても、親と仲良く楽しく暮らしていきたかった」という自分の本音に気付けて、「自分が親になったら子供にこんな思いは絶対にさせない」と学べたのでしょうけどね。
残念ながら母は親の欠点を見抜ける目と理性を持っていなかったので、このダメ祖父母のマネしちゃいけないところをそっくり刷り込まれてしまいました。


唯一、同じ境遇で育ってきた叔母とも、「私たちだけでも仲良くやっていこうね」とはならず、母は仲良くするどころか叔母のことを嫌悪(憎悪かな)しているので、この姉妹間にも「お前だけは絶対に許さない」みたいな状況があったのでしょう。

叔母は口が立つタイプなので、うまく両親の機嫌を取って両親からの愛を独占ようとしていた動きが想像できます。

でも叔母も叔母で母のことを嫌っているので、たぶん母も叔母に負けじと両親の目を自分だけに向けさせるような姑息なことをしていたのでしょう。



たぶんその筆頭に、大妻中学校への進学があります。
勉強が嫌いだった叔母との差をつけるためにたぶん母は「勉強で勝ってやる」という気持ちがあったのでしょうね。
庶民のほとんどが公立中学に行く時代だというのに、貧しい経済状況にもかかわらずお嬢様が通うような私立に進学したいと母が希望したことは、叔母の憎しみを増長させたように思います。

家計を圧迫させてまでなぜお姉ちゃんが私立に行くの?!しかもそんなお嬢様学校に!うちは貧乏なのにバカじゃないの!!と思いますよね、そりゃ。


でも祖母は勉学を良しとする家の出ですから、きっと祖母が「家計が苦しくなっても行かせてやりたい」と主張したのだろうと想像します。



そして念願かなって大妻中学校へ入学した母ですが、やっぱりそれは間違いだった。
母の叶わぬ夢を膨らませてしまっただけだった。

プライドの高い母のことですから、学内ではもちろん成績優秀、運動も抜群、お裁縫も器用で顔も美人で学級委員で、大変優秀な生徒だったようですし、実家は財閥ですとか政治家ですとかの周囲の良家の子女たちからも尊敬の念を集め、今まで出会ったことも無かったそんなハイソな人種との交流も大変気分が良かったのだろうと思いますが、さすがに大学まで行かせてやるお金は出してもらえなかった。

自分は誰よりも勉強ができて先生からの信頼も厚い。まわりの友達もみんな当たり前のように大学に進学するのに、自分は高校を出たらすぐに実家の文房具屋で有無を言わさず汗水流して働かされる宿命。

その宿命をどんなに呪ったか、母から何度も何度も聞かされました。



どうしても勉強を続けたい母と、みんなで我慢して6年間も私立のお金を出してやったんだ!今すぐに店で働いて学費分しっかり稼げ!と譲らない実家。

その折衷案として、母は「花嫁修業にもなるから」という辛うじての言い分で仕方なく服部調理師専門学校に通うことだけを許されます。


思うに、親の言いなりになって文房具屋で朝から晩までみっちり働かされることだけは
どうしてもどうしても避けたくて、たいして興味も無かった調理専門学校なんかに行ったのだろうと推測します。

そりゃそうですよね。
自分は誰よりも勉強ができて誰よりも進学すべき人間なのに、周囲の友達みんな大学に進学するのに自分だけが諦めなきゃいけなくて、友達にも「え?大学行かないの?なんで?!」なんて言われて、「うちにはお金が無いから」なんて言えないし、まだ18歳なのに明日からあの取っ組み合い喧嘩の両親と24時間365日一緒で怒鳴られながら働かされるなんて、絶対嫌ですよねえ。

だから専門学校に行くという理由を作ってでも両親から離れる時間が欲しかったのでしょう。


そうして多少の自由を得た母は、そこからついに「勉強のできるおとなしいいい子ちゃん」からの脱出をはかります。

髪をド金髪に脱色し、夜な夜なディスコに繰り出し、教習所で知り合った親友とドライブに行って車が廃車になるほどの事故を起こしたり、もうハチャメチャに変貌します。

でも、ド金髪になってしまった不良娘に「金髪似合うねえ~」なんて褒めていたという祖母もだいぶぶっ飛んでますけどもね。


そんなパーティー三昧の中で知り合った、セリ美の父と24歳で結婚。翌年に兄が産まれ、その2年後についにセリ美がこの世にスポーーーーン!と出てきますが、セリ美がお腹の中にいる間にスピード離婚します。


…離婚理由?

わかんないんですよねえ~
相変わらず山のようなプライドの母は離婚なんていう人生のミスはもはや無かったことにして記憶から抹消してますから、理由なんて語るはずもなく。

推測するに、実家から、商売から逃げたくて、派手なパーティーに出入りしているような性格も素性もよく知らん男と勢いで結婚したからだろうなと思います。



地元で有名なほど母は美人だったのできっとしっかり選べば素晴らしい男性と結婚できただろうけどねえ。
いや…あの性格じゃあ誰であろうとあかんな。
独身を貫くべきだったよ、あの人は。

間違っても母になんてゼッタイなっちゃいけなかった。



そしてこの結婚も更に叔母との関係が悪化する要因となりました。

実家を継ぐのは母だったなずなのに、24歳で早々に結婚して「じゃあね~あとはよろしく~~」と家を出ていってしまったので、急に「うちを継ぐのはお前だ」とお鉢がまわってきてしまった叔母。

優秀な姉の影に隠れて平和にやってたのに、突然すべての責任を背負わされ、そりゃ「冗談じゃねえ!」ってなりますよねえ。

でも家長の言うことは絶対服従なので、「しょうがない…婿取って商売継ぐしかないのか…」と覚悟を決めて姉の代わりに毎日怒鳴られながら文房具屋を手伝っていたら、あっという間に姉は出戻ってきた。しかもコブつき。しかも一人はまだ腹の中。





胎児セリ美




叔母が「姉ちゃんよ、勝手すぎねえか?!?!?!?!」と思うのは当然ですわな。

そんでなんやかんやあって、叔母のほうはそのあと「こんな家にいられっか!」って駆け落ちしちゃって。
結婚式も家族の顔合わせももちろんせず。駆け落ちですから。

でも姉と同じく、ソッコー離婚して帰ってきちゃった。1人コブ付きで。


いや~~闇でしかないですよね~~~




つまり。

結局、全部親が悪いんですよ。


親に愛されたくて、こっち向いてほしくて、そのためにはきょうだいすらも蹴落としてきたのにやっぱり愛してもらえなくて、愛してもくれないくせに無理やり仕事させられて、こんな家もう嫌だと親から逃げ出そうと無理やり結婚したけどソッコー離婚して戻ってきちゃって。
親の呪縛から抜け出せない姉妹。
これぞ毒親と子供の典型的共依存。




いや、何が言いたいかって、もちろん祖父母もめっちゃ有罪だけど、もっと元を辿れば、祖父と祖母を親の資格が無いような人格に育ててしまった戦争が諸悪の根源なんですよね。




歴史を勉強してて、ハッとすることがたまにあります。


例えば、白虎隊の生き残り、飯沼貞吉さんのお母様のエピソード。

白虎隊と言えば、明治維新の決め手となった戊辰戦争の中で、幕府側についていた会津藩が薩長を中心とする新政府軍に攻め入られたときに、兵力が足りなくなった会津藩はまだ10代の若い兵士たちで構成された白虎隊までも最前線に送り込み、敗戦を悟った白虎隊士たちが飯盛山で集団自決したというとても苦しい史実が有名です。


この集団自決の際に、自分も意を決して仲間と共にここで命果てようと喉に刀を突き刺した飯沼貞吉さんは、急所を免れたのか、即死することができませんでした。
この時、飯沼さんは15歳。どこを突けば即死できるのかすらよく分からなかったのだと思います。

そこにちょうど会津藩士の奥様が息子を探しに通りかかり、まだ息のある飯沼さんを見つけ、救出すべく、医者の所までおぶっていって一命をとりとめたというのが飯沼さんの戊辰戦争での経験です。



この戦争に出征する際に、飯沼さんのお母様が飯沼さんに告げた言葉でセリ美はハッとしました。

15歳の飯沼さんは武士としていろいろな教育を受けてきたものの、本物の戦争に赴くのは当然初めてでした。

会津の戦局がどんどん怪しくなってきて、ついに白虎隊にも出撃命令が下された時に、飯沼さんのお母様はこう言いました。



この家を出ていくからには、おめおめと生きて再び帰るような情けないことは絶対にしてはいけない。今日の旅立ちは武士の子としてとてもめでたいことなのだから、喜んで出ていきなさい。そしておばあ様に会えるのももうきっと最後になるから、お別れを言ってきなさい。



武家の奥様というのはそこまでの覚悟をしてたのか…というのと同時に、可愛い息子に「さあ!喜んで死んでこい!」なんて、どこまで本音なのかは分かりませんけども、いまもしセリ美に本当に息子がいたならば、「どれだけ卑怯なことをしてもいいからとにかく生きて帰ってきてくれ!!!藩のために死ぬより家族のために生きて!!」と正反対のことを言うだろうな、と。

何十年も生きて、その間に楽しいこともいろいろあって、いろんな経験ができたならまだしも、たった15年しか生きてない子に「さぁ死ぬのがお前のお役目だ!今こそ役に立てるぞ!」ってねえ…
15歳じゃ藩主への忠誠心すらまだ芽生えてないというのに…


いや、息子が怖がらないようにこうして言ってやるのがむしろ母の愛なのかなあ…




とか、同じ会津藩の家老で西郷頼母(さいごうたのも)という人がいますが、こちらも戦局が難しくなってきて、籠城戦に持ち込まれそうになった時に、藩の足手まといにならないようにということで、西郷頼母の母、妻、娘たち、使用人など、西郷頼母邸で女性21人がお互いに刺し違えて集団自決した事件なんかもありますが、まだ2歳、4歳、8歳なんていう小さな娘もたくさんいて、大人たちは一体どんな思いで可愛い我が子を殺したのかなとか。



だからもう、当時の女性陣も、平和しか知らない我々とは180度価値観が違うわけですよ。
我が子の命よりも藩の存続が大事、我が子の命より大人のプライドが大事っていう。
生まれながらにしてそうなったわけではなくて、戦争の真っ只中に生きているからそういう価値観になったわけであってね。

武家は戦争の無い時は住むところも着るものも食べるものもあるし、農民に比べたら「いいご身分で~」ってな感じかもしれませんけど、いざとなったら、という覚悟は持っていたのでしょうね。

いわば戦争に洗脳されていたわけですね。




そうまでして夫と藩の立場を守った女性陣の覚悟とは対照的に、西郷頼母のほうは戦局を知ったら長男1人を連れて城から逃走していて、でもその長男も数年後に病死して頼母自身はうまく生き延びて74歳まで天寿を全うしていたり。
逃走したのは、藩主の松平容保から進言されたからという説もあるようですけどもね。

でも頼母は他にも結構いろいろ失態をやらかしていて、そのせいで会津藩が生き残る道を失ったとも言えるので、娘たちを殺してまで生きながらえたその命をどう思っていたのかな、とか。



ちなみに、仲間たちと一緒に死ねなかった飯沼貞吉さんは、戦後に引き取ってもらった家で何度か自殺をはかっているそうな。引き取り先のご主人に「生きて国のために働け」と説得されてからは改心したようですが。
やっぱり「自分だけ生き延びてしまった罪悪感」に押しつぶされそうに生きていたんですね。

そしてやはり決して白虎隊での出来事は生前に語らなかったそうです。ご他界後に親族の方が貞吉さんの日記を見つけて、そこで初めて白虎隊でのことが詳細に分かったそうです。





セリ美祖父母はさすがに戊辰戦争の時代の人ではありませんが、「黒船やべえぞ!外国に攻め入られても耐えうる強靭な国家にしなけりゃやられちまう!」という目的で明治維新が行われたのに結局日本は敗戦国になってしまいましたし、戦争に負けた国の兵士として祖父が中国でどう扱われ、国を守って戦ったはずの功労者なのに帰国した兵士たちにはとても冷たかった日本で何を思って戦後を生きて来たのか、祖母がどういう両親に育てられてどういう価値観で敗戦後に嫁いで祖父とともに取っ組み合いの喧嘩をしながらヒィヒィ言って娘を私学に通わせながらも貧しく生きてきたのかということを思うと、やっぱり戦争による洗脳・思想・価値観がセリ美母・叔母への教育失敗に繋がっていると思えてなりません。


もちろん、こんな状況にあっても家族仲良く手を取り合って賢く平和に生きてこられた優秀な家族もいると思います。

この苦しい状況に流されるまま、貧しい懐と気持ちのせいでイライラを募らせ垂れ流して家族に八つ当たりするしかできなかった弱い心の祖父母やセリ美母にも大きな罪はあると思います。


でもやっぱり元を辿れば諸悪の根源は戦争なんだよなあ。
もう終戦して77年も経っているのに、その後遺症が2代後のセリ美にまでこうして降りかかって、3次災害としてセリ美の人生の大半を台無しにしたんだなと思うとやっぱり戦争の罪はあまりに重い。

いや、そんなのセリ美どころじゃなくもっともっとしんどい戦争2次被害3次被害を受けてる人もいま現実にまだまだいると思います。



親からのDVってなんか割と近代の社会問題みたいなイメージですけど、辿っていけばその要因も結局は戦争に行きつくのか…っていうのが最近の発見でした。

こういう、「ああそうか、これも戦争のせいなんだ…罪深いな」っていうリアルな実体験をしてない人が「言うこと聞かないなら討って出ちゃおー」ってすぐ言うわけですよね。



とはいえ、まぁどんな国も戦争や犠牲者無しに国家改革とか発展は成し得てない、っていうのもまた真実だからねえ…難しいですけどね。

明治維新も、結局は幕府関係者暗殺という恐怖のテロ行為を続けてた薩長が無理やり勝ち取ったという側面も否めないしね。そのテロ思想を広めたのが吉田松陰だったり、でも吉田松陰がもたらした学問とかの功績は評価に値するわけだし。
いろいろ表裏一体ですよね。

イスラム教付近はいつだって治安悪いので、戦争の悲しみなんて国民全員が知ってるはずなのに、過激なことをやめない人は常にいるしね。




国の改革に平和な方法なんてない、というのが真実であったとしても、しがない文房具屋の娘であるセリ美にもこうして「ああこれが戦争の後遺症なのか」という身近な出来事が降りかかっているのは結構オドロキでした。

セリ美の人生に戦争が関わってるなんてね。


歴史ってどこか小説のような、ただのひとつの学問のような、遠いものだという感覚で学んでいたので、「ああ維新も世界大戦も自分のことなんだ」と思うことが最近増えてきたって話でした。


皆さんも日常や家庭でリアルな戦争を実感した体験、ありますか?


戦争の是非を問うなんて大それたことはしなくても、そういう実体験を語り継いでいくことがやっぱり大切なのかなと思ったので今回長々と綴ってみました。


先日、セリ美卒業宣言をしたので、このブログもセリ美の伝記みたいなものだよなと思って大切に書いていこうと決意を新たにしている最近であります。




まぁ、毎月10日前後はいちばん苦しい仕事の〆切があるのでこういうコラムを書くことで現実逃避している面も否めませんけどもね。ええ。ええ。
テスト勉強中に部屋の模様替え始めちゃう的な。





さて、セリ美は水曜に大注目のバイオームが迫っておりますので、それに向けて明日は東京に前乗りでございます。

でも地獄のブリリアなんだよな~~。
ロクモで一回だけ行ったけどその時は1階だったから処刑されずに済んでね。
今回はついに戦慄の2階席…

おーーーこわ。


それも含めてまたレポしますね!!




それでは~~~~









バイオーム、なんか嫌な予感がするんだよねえ…くーみんが遠くに行っちゃう感じで…
いや実際に留学で遠くに行っちゃうんだけどさ…