腹に魔法の石を隠してるセリ美です、どうも。



胆石っちゅうのは胆のう内で変なところに引っかからなければ痛みは全く無いもので、今はいつもと変わらぬ煎餅生活が送れておりまする。

皆さまにご心配をおかけしてしまってかたじけない。



身体が強くないので健康にはかなり気を使った生活を送っているんですが、生活習慣とは無関係の病気になってしまうという可哀想なセリ美。


歯だっていつも

口腔洗浄機→普通の歯ブラシ→細い歯ブラシ→フロス→マウスウォッシュ→フッ素塗布

と、20分くらいかけてケアしてるのに原因不明の痛みは続いたまま。

ああ可哀想なセリ美。




でも、先日の夜間救急でレントゲン撮って「これは…あんまりよくない影が見えますね」とか言われちゃって「言いにくいのですが…ステージ4です」とか宣告されちゃったとしても多分それほどショックは受けなかったと思います。

この人生に悔いなしなのでね!!!



明日、改めての診察があるのでそこで胆石の治療方法が決まります。

手術ってしたことないからな~その辺の恐怖はありますが、病室内からブログをお送りすることができるのはちょっと楽しみだったりします。

手術になるのか、投薬で済むのか。

また報告しますね。






さて、ヅカTwitter界隈では、くーみんのインタビューでちょっとザワついているようです。

まるでBADDYのように「邪魔だ!どけ!!」とヅカファンに飛び蹴りを食らわしてくるような、挑戦状のようなインタビューでした。

相変わらずロックだな~!と笑ってしまいましたけども。



否定と破壊と挑戦。

これぞロック魂。



「現状維持は退化の始まり」なんてミズさまの金言もありますけども、やっぱりすべての物事は進化あってこそだし、進化するには破壊と挑戦あってこそだし。

旧態依然というのは今の日本の政治界隈を見ても分かるように、やっぱり良くはないわけで。


くーみんなりに数年間宝塚界隈を見続けて、宝塚歌劇団とそれを取り巻くファン層を俯瞰で観察して、なんかぶっ壊したくなったのでしょうね(笑)
生まれながらのロッカーなのでね。
X JAPANのYOSHIKIさんがよくドラムセットとかをぶん投げて壊してましたけど、あんな感じかな(笑)
ロックって破壊と近しい価値観を内包してますもんね。



まるでヅカファンを否定したかのように見えるあのインタビューにショックを受けた人も少なからずいたでしょう。


セリ美が思ったことは、「ヅカファン出身というわけでもないのに、劇団内部にいてよくそんなことに気付いたなあ!」でした。


ヅカファンが何を求めてどういう気持ちで劇場に通っているのか、一体どこでくーみんは感じ取ったのでしょうね。


くーみんが感じた、「贔屓のスターが出ていればそれでいい」という気持ちで劇場通いをしている人がいるとか、「劇場とは、贔屓との一方的な人間関係構築の場ではない」というのは、決して的外れではないと思います。


確かにセリ美もそのように感じることがあります。



でも、そういう層は本当にごくごく一部で、くーみんが苦言を呈すほどの割合ではないので、そんなところにわざわざ目を向けんでも…という気持ちもありました。



セリ美もそうですけど、ちゃんと芸術として演目を評価したり楽しんだりしている人のほうが圧倒的に多くて、だからこそくーみんがあんなに高く高く評価されたわけですしねえ。

でもきっと演出家として「贔屓が出てればなんでもいい」という価値観で劇場通いをしているファンが少なからずいる現実を知って、「ふざけんな!」という反骨心が芽生えちゃったのかな。

くーみんの視界の端のほうに入る、くーみんにとって悪目立ちしちゃってるだけのごく一部の層に引っ張られちゃってる感じはしました。



でも、創造する側のくーみんのそのプライドが傷つく気持ちもセリ美はおこがましいながらも理解しているつもりです。


例えば、セリ美はライターなので、文章を書くことが仕事なわけで、このブログもセリ美にしか書けない文章を楽しんでもらうためのものなんですが、いかんせん描く絵が独特なせいか、「イラストレーター」みたいに捉えられちゃうことが割と多いんですね。


文章はあまり読まずに「絵が好き」って思ってくださってる方も割といらっしゃるようで、「文章も読んでほしいナ…」って気持ちを抱くことはあります。

イラストのほうはあくまで「オマケ」なので、描くのはあんまり好きでも得意でもないけど、絵じゃないと伝わらない感覚もあるのでなんとか苦労しつつやってる感じです。


なので、くーみんが感じた「贔屓が出てればなんでもいいんかい!」っていう怒りや悲しみは、精魂込めて作った文章を読み飛ばされちゃうようなこの感覚なのかな~、なんて。




あとはきっと宝塚独特のスター制度によってものすごい制約を課せられて、その息苦しさに対する反発、反骨、怒り、みたいなものもあったように思います。

宝塚は良くも悪くも「実力主義ではない」ので、演出家として納得できない決定はそりゃあ多々あったでしょう。

くーみんと同じようにかつて一大シンパがいたオギーなんかもそういう理由があって退団した面もあるでしょう。


突き抜けた才能を持った若い演出家にとっては、やっぱりその理不尽な制約って我慢ならないものがあるのだろうなあ。





それと同時に、ヅカファンだけに限らず、日本人の性格にピッタリ合ってしまった「推し活」ってやつが芸術をダメにする!という気持ちもあるのでしょう。

たくさんいる表現者の中からお気に入りのスターを見つけて、自分の時間とお金とエネルギーのほとんどをその人に費やすことが「自分の価値」になってしまっているこの現代への危機感って感じ?

「他者ありきの自分の価値」への危機感とか、しかもその他者は自分のことを認識していない一方通行な関係性なのに本人はそれを一方通行だと自覚していない危機感とか、そこに現代日本人の縮図を見たのかなって気もします。



身内殺しとかストーカー殺人とか無差別殺人とか、いろんなむごいことが頻発していますが、ほとんどの事件は人間関係の歪みや一方通行の感情が根本にあるわけでね。

ほとんどの事件は健全な人間関係が構築できなかった故の結末なので、「みんなしっかりしろよ!!日本やべえぞ!!」ってことを、自分なりの「演劇」という手法で世直しをするくらいの意気込みで、退路を断ちまくって荒野の先頭に立って「お前らそれでいいのかよ!」って叫んでる桃太郎侍なのかもしれません。



まぁそんな大それたことではないにしろ、「推し活」という文化の定着により、芸術への感度がどんどん低くなっていく日本人の感性を鍛え直す!お前らここに並べ!って端からビンタする勢いなのかもしれません(笑)

猪木ファンのように、セリ美は喜んで両頬を差し出しますけどもね。




人間の心理って本当に不思議なもので、宝塚に限らず、確かに変わったファン心理を持っている人は実際に存在します。


以前、二胡だったかな?なんかの演奏会に行った時に、隣に60代くらいのおばちゃんが座ってたんですね。
その人は開演してすぐに手を高く掲げて盛大な拍手を送っていたので、「ああ、コアなファンなのかな」なんて思っていたのですが、なんと演奏が始まるやいなや、寝たんです。

1曲終わってみんなが拍手をするとフッと目覚めて、また手を高く掲げて盛大な拍手を送る。

それで次の曲が始まるとまたすぐに寝る。
演奏が終わって拍手が鳴るとまた目覚めて盛大な拍手。


そして最後の曲は二胡界でもいちばん有名な曲なのかなあ?
すごく盛り上がる曲を演奏してくれたんですが、その時はようやく起きてたんですね。
「あ、最後くらいは起きてるわ」と思っていたら、今度は持っていたビニール袋をガサガサシャカシャカと大きな音を出して荷物を整理し始めて、「うわーーうるせええええ」と思ってさすがに注意しようかと思ったんですがセリ美もまだ若くて勇気が出ずに我慢したんです。今だったら全然言っちゃいますが。

曲の最後までずーーっとシャカシャカガサガサ荷物整理をしていて、ジャン!と曲が終わった途端にビニール袋から手を離して、スタオベして大喝采を送ってるんですよ。なんなら「最高!!」とかって叫んでました。



「いつもぐっすり眠れる素晴らしい曲をありがとう!不眠の私もここでだけは眠れるの!」というファンだったのかもしれないですが、曲中に大きな音を出しての荷物整理は本当によく分からなかったです。

1曲もまともに聴いてないのにスタオベで「最高!」って叫ぶ心理、何なんでしょうか。




そしてこの現象は他の業界でもたまに目撃します。

「贔屓の為に生きてます!」っていうくらいの大ファンで、販売されているグッズも何万円もかけて全種類購入したり、ライブも遠征は当たり前、なんなら全通当たり前、みたいなことをしてるのに、「ご贔屓さん、あのときの髪型、よく似合ってたよねえ」なんて話しかけると、「どんな髪型してたっけ?」「え、ほら髪色が明るくて前髪が長くて…」「そんな髪型してたっけ?」と、全然覚えていない。

「ご贔屓さん、首のところにホクロあるよね。あれがいいね」なんて言っても「ホクロ…?あったっけ?」みたいな返答。

二胡おばちゃんと同じように、全然見てないんですよね。



宝塚でも、ファンクラブにも入ってグッズもほぼ全部買ってお茶会も東西必ず行って入り出もほぼ毎日参加して…みたいなガチ活動してると思いきや、「今回の公演は何回観るの?」と訊くと「3回かな」「(え……)」みたいな人がたまにいます(笑)

観劇よりも贔屓の近くにいることのほうが大事で、自分を認識してもらうことが目的なのかな、という感じの。



たぶん、この皆さんは「贔屓をこんなに愛している自分が好き」とか、「スターさんに覚えてもらってる私!自分の存在意義を感じる!」ということがファン活動の主軸なのだろうと思います。


日本人はオタ気質の人が多いとはいえ、例えば撮り鉄と乗り鉄は全然違う、みたいにファン活動というのは細分化されているので、これが正道のファン活動でこれは邪道、みたいなことではなく、各々の人生が潤っているならそれがそれぞれの正解なのでセリ美は全然否定する気持ちはないです。

こんな生きづらい世の中、自分なりの推し活で生きる気力が湧いてくるならそれでオールオッケーじゃないですか。経済も回るし。



でもきっとくーみんが「くそう!」と思ったのは、やっぱり自分が命を削って創った作品は二の次三の次にされて、
「贔屓をこんなに愛している自分が好き」「スターさんに覚えてもらってる私!自分の存在意義を感じる!」っていう層がいることを宝塚時代に強く感じたからなのかな、と。


それで「芸術をないがしろにされている!こんな古い体質の劇団で安穏と作品作りしてる場合じゃない!世直しに出なくては!」とあての無い旅に出たくなったのかなと感じました。


で、この「くそう!」をインタビューで素直に語ってしまった、と。
宝塚時代はこういう発言も我慢してきたんでしょうからね。



くーみんのこの荒療治がどういう結果になるのか、くーみん自身もきっと未知ではあると思いますが、「右に倣え」の国民性の強いこの保守国で、織田信長のような「なんかすげえ人出てきたぞ!」っていうロックなくーみん、セリ美は益々興味深くなりました。



くーみんが宝塚に入ったきっかけとして、「女性だけの変な劇団がある」と興味を持った、とむかし語っていましたが、セリ美的には「すべてをなぎ倒しながら、そこに立っている人を片っ端からビンタしながら荒野を突き進む変な演出家がいる」という感じですね。

もう最高に興味深いです。最高にロックです。






とりあえず、来年やる予定の変なポスターの変なオペラ、観に行ってきます。
有難いことに名古屋だしね。



operaposter_2023





あ、名古屋といえば息子がロバートキャパ以来の名古屋ですね。


名古屋初上陸の皆さんもいらっしゃると思うので、ツイッターで名古屋メシ情報・観光情報を少しずつあげていきたいと思っとります。










とはいえセリ美も愛知に来てまだ10年も経ってないし名古屋はあまり好きな街ではないので全然詳しくはないですけどね。

知る限りの情報は流してみたいと思いまーす。







「名古屋メシ」ってよく言うけど美味しいって思ったものはほとんど無いな…