前回のブログで、「大人は子供たちへの影響をもっと自覚したほうがいい、自分も含めて」ということを書きましたが、そういえば先日スーパーに買い物に行った際に、持ち帰り用の氷を詰めるコーナーでセリ美が氷をビニール袋に詰めてましてね、あずきバー用に。
そしたら小学校中学年&低学年の兄弟がそのコーナーに来たんです。


スコップは2つあったので、氷が欲しいなら空いてるほうのスコップを使うだろうに特に何もせずセリ美の華麗な詰めをずっと見ていて、子供という存在が苦手なセリ美は「見せもんじゃねえぞガキめらが」という思いで2人の存在を無視してひたすら氷詰めてたんです。氷詰めるにもコツがありますからね、空気が入らないようにするための。なにせ「おひとりさま1袋まで」ですから。できるだけたくさん詰めるようにこっちも集中してるわけです。


それでセリ美が詰め終わろうとしたときにお兄ちゃんのほうが少し動いたので、あれ?氷が欲しかったのか?と気付いたセリ美は「スコップもう1個あるぞホラ」と指さして教えてあげたんです。
そしたら兄のほうが蚊の鳴くような声で「あ……」と言ってスコップを持ったんですが、今度は袋が無い。
袋は子供の背では届かない場所にあったので、セリ美は1枚取って「はい」と渡してあげたらまた兄が蚊の鳴くような声で「あ、あr……」と言ったのが聞こえたけどセリ美は無言でその場を立ち去りました。

あっしは子供が苦手なもんでなあ、ぶっきらぼうで申し訳ねえなお兄ちゃんたち。



兄があんなに蚊状態だったのは、たぶんセリ美のようにぶっきらぼうに接する大人(おばさん)が周囲にいなくてびっくりしたんだろうと思うんです。声も低いしね。
きっと彼らが今まで接してきている大人たち(主に女性陣)は高い声で「どうしたのぉ~?あ、氷?スコップここにあるよ~。袋はこれ使ってね~入れ方分かるぅ~?」とか言うんだろうね。

いや全然それが正解なんですが、セリ美のぶっきらぼうなほうが良くないと思うんですが、でもぶっきらぼうな人もいるからな?みんながみんな優しく接してくれると思うなよ?っていう社会のリアルに触れることってものすごく大事だと思うんです。


「昔は近所にカミナリオヤジってのがいてな…」なんて話がよく出ますけど、本当にそうで、セリ美の近所にも怒鳴りつけるまではいかないけど「それはダメだぞ!」としっかり怒ってくれるおじさんはいました。
かといって優しく見守ってくれるようなまともな大人もあんまりいなかったからこんなにやさぐれた性格になっちゃったんだろうけどさ。


「子供を怖がらせたり萎縮させたりしちゃ可哀想だよね」ってことで今の大人たちが必要以上に甘々に接することで、ネガティブな事態に免疫のない子供たちが爆誕し続けてる気がするんです。

社会に出たらネガティブな事態ばっかじゃないですか。みんな卑怯だし自己中だし。会社内全員が仏のように善人で仕事も鬼のようにできるなんて環境があるわけないじゃないですか。
どんなに嫌でも、そういう人たちと一緒に労働して生きてくお金を稼がなきゃいけないわけじゃないですか。だから幼少期からいろんなタイプの大人を知っておいたほうが予行練習になる。



これからも「あのババア怖かったな~」って子供たちに陰口叩かれるような役割を担い続けたいと思います。

あ、子供にだけ言い方がぶっきらぼうではあるけど、老若男女問わず人にはちゃんと親切な行動をとるように心がけて生きてるのでどうぞご安心ください。




さて、最近、演出家に対して思うことがぐるぐるしています。


セリ美のヅカファン第1シーズンはミズさまを中心に世界が回っておりますので、正直言って作品の内容とか質とかはもうどうでもいいっていうか、ミズさまがそこにおわしますればそれで完結してるんです。ミズさまはどんなお衣装だろうと役柄だろうと、存在しておられるだけで完全体ですので、作品なんてものは二の次だったわけです。

もちろん好きだった作品とそうでもない作品はありますよ。
でも、「退屈~」とか「寝ちゃったわ~」とか「なんそれ!このトンチキなんそれ!」みたいなのは無かったんです。生ミズさまがそこにおわすっていらっしゃるのに寝るとか暇とかいう概念は存在しませんからねえ。



ヅカファン第1シーズンは完全一匹狼でやってましたので、自分以外の感想を知る機会もなかったしね。
今になって「『君を愛してる』とかつまんなかったじゃん~」と言われたりして、「え!?君を愛してるってつまんなかったんだ?!!?ミズさまのスーツ姿とギャルソン姿に酔いしれるのに精一杯でそんなこと考えたこともなかった!!」ってなることがたまにあります。

とにかく「ミズさまがおわすってくださる幸せ」で脳内が支配されているので。



そしてこれはショーにもあてはまります。衣装がどうとか振り付けがどうとか音楽がどうとか、そんなこと考えてる余地は無いです。
だって当時はヤフオクでバンバン落札して「3列目以前にしか座らない」っていう自分ルールでやってたので、こっちは殺られるか生還するかの命がけで観劇に挑んでるわけですし。実際に殺られて医務室に運ばれてますし。(今年もベルばら50で医務室アゲインやりましたけども)




で、ミズさまを見送らせていただいたあと、10年の燃え尽き症候群を患い、ヅカファン第2シーズンに突入し、現在に至るわけですが。

唯一絶対神であるミズさまがおわしまさない宝塚の観方というのは明らかに変わりました。


各生徒さんの特技を見極めたり、舞台作品としての質を自己流で評価してみたり、振付家の先生たちの特長を観察してみたり。


そうすると、先生への好き嫌いってのがめちゃくちゃ出てきちゃいまして。
それって、結構ストレス溜まる観方なんですよね……

それもあって、今は宝塚を遠くから眺めるスタンスになったってのもかなりあります。


でも、セリ美が憧れる3大師匠のひとりである、みうらじゅん氏が先日ラジオで「インド映画についてどう思いますか」という質問を受けて、映画好きであるみうらじゅん氏が


「お前の好みに完璧にマッチした作品があると思うなよ?」


という名言を放ったんです。
もう耳が痛すぎて鼓膜破れました。

これは「インド映画ってすぐ歌い出すからイミフ」みたいな文句を言ってる人が多いことを受けての発言だったと記憶しています。



みうら氏自身が作品を生み出す側だからというのも大いにあると思いますが、でも確かに作っている側の気持ちを考えれば、もうちょっと優しい目で見たりとか、ヅカファン研27を名乗っているなら、どんな作品でもドンと受け止めることも研27の腕の見せ所なのではないか、という気持ちにもなりました。


そりゃね、同じS席8,800円なら桜嵐記とか万華鏡とか「あと5000回観ます!!!」っていう作品のほうがいいに決まってますし、「お客様からお金もらえるレベルに到達してから出直してこい」みたいなものも、無くはないです。

でも所属演出家全員がくーみんや栗田先生のような才能を持ってないことは仕方ないし、男役・娘役という妖精たちが創り出す唯一無二のステージが宝塚だというなら、作品だって宝塚ならではの楽しみ方があるよな、という考え方が最近備わってきました。
これは、ミズさんの出演舞台を追って外部作品をずいぶんいろいろ観てきた影響もあると思います。



そういう意味では、ゴールデン リバティーは決して悪くなかったと思っています。

ベルばら50で、歴代ペガ子にまたがってきた歴代のオスカル達がペガ子にまつわる思い出でMC中にひとしきり盛り上がっていましたが、大道具さん渾身の超大作っていうのが稀にありましてね、それがゴールデン リバティーの機関車だったと思いますね。

機関車が砂浜に突っ込んできたりとか、自由の女神をボルダリングしちゃうガンマンとかに、「んなわきゃーない」なんていうタモさん的ツッコミが入る余地は無いんです。あ、タモさんもセリ美の3大師匠の一人です。
大スターである鳳月 杏がギャルソン姿になったり伝説の強盗だったりした挙句に小国の王女と駆け落ちする様を見て「ガンマンに撃ち抜かれたのは王女だけじゃないぜ……」と血反吐はきながら花の道をみんなで紅に染めて帰ればいいんですよ、何も考えずに。




という考え方が備わってきた半面、先日植田景子先生がインスタで「『最近は宝塚らしい作品が少ない』という声をOGからよく聞くので、自分も宝塚らしさを忘れずに物作りをしたい」と語っていたことも強く印象に残っている。


「〇〇らしい」って難しいですよね。


「男らしさ」「女らしさ」なんてものは必要ない!!っていうことで
多様性だのダイバーシティだのといま言っているわけでしょう?
「〇〇らしさ」っていうのは型に嵌めてしまう側面もありますよね。

じゃあ名作BADDYは宝塚らしいのか?っていったら真逆だしね。トップが喫煙者だし。2番手スターはまさに「多様性」だし。
斬新すぎて古参ファンが「ついていけない…」と久美子の暴走バイクから振り落とされてましたけど、しがみついていたファンにとっては最高にファンキーでクレイジーで哲学的でアーティスティックだった。


景子先生が言ってるところの「宝塚らしい」ってのは、柴田先生の大恋愛モノとか、正塚先生の「男の友情」とかのことなのかな?



ショーに関しては、セリ美と全く趣味が合わない野口が作るものっていつもレビューじゃなくてコンサートで、楽曲も「こんな名曲どっから引っ張り出してきた?!」みたいなセンスはまだ見たことがない。
息子の退団公演『FROZEN HOLIDAY』での「人生のメリーゴーランド」は、「野口!!!こんないい曲知ってんじゃないか!そうだよ!そういうことだよ!!」と思ったらそこだけ三井先生の選曲だったいうほど本当にセンスが合わず、王道のレビューを作ってくれる中村 暁先生とかは本当に楽しみ。Dream Chaser大好き。5000回観たかった。

コンサート師である野口よりも、レビュー作家である中村 暁先生。
そういう意味で「宝塚らしい」というなら、確かにそうだと思う。宝塚らしい作品が観たい。

じゃあ万華鏡が「宝塚らしい」のか?と言われれば、しょっぱなから花魁が出てきちゃう時点で「宝塚らしい」ではないだろう。でも5000回観たいと思った。




そんなこんなで、いま「名作」「いい演出家」って何だろう?という迷宮に入り込んでいます。
いや別に「好きか嫌いか」ってだけの話なんですけどね。


今までは大野先生ってもうどれもこれもみんな退屈で、ちなつさんのお披露目が大野先生って聞いた日にゃあ膝をつきましたけども、いざ観てみたら「悪くないやんwww」みたいなテンションになりました。
突然のサーカスとかフラダンスとか、発想がぶっ飛びすぎてて、これはこれで才能では?という感想に落ち着きました。



とはいえ、いま産休に入られているという栗田先生の復帰を肩ぐるんぐるん回して待っていたりするんですが。

きわみのバウでデビューする平松先生も気になりますねえ。
なんか、くーみんもしゅこ先生も栗田先生も、才能ある女性演出家はみんなバウデビューが和モノなんですよね~。
あんまりハードル上げちゃいけないけどね。


希波くんのバウデビューも、女性か男性か分からないですがバウデビューする先生ですね。

本来なら中堅どころとして大活躍してくれていたはずのオギーやくーみんなどの才能ある演出家がごっそりいなくなっちゃった穴埋め、若い先生たちに託すよ!!!


「贔屓が素敵ならなんでもいい」

このルールにだけ則っていればいいんだから!!!







さて、今年の更新はこれが最後かな?

今年は本当に、近年まれに見るほどいろんなことがありました。


アンケート企画はもちろんのこと、それによっていろんな人たちに出会えたこと、新聞にまで載っちゃったこと、ギターを始めたこと、本格的に女子プロレス団体のスタッフとしてお手伝いを始めたこと、母校の100周年式典でるう組長とお話しできたこと。

挑戦に次ぐ挑戦の2024年でした。年明けにはギター教室の移籍も控えています。


でも、出会いの分だけ傷つくこともありますからね。リア充とはかけ離れています、相変わらず。いやなことめっちゃあります。
それでも、恐れずに、日和らずに、来年も果敢に挑んでいきたいと思っています。ミズさまのように!!!!


目下目論んでいる挑戦は、ギターの発表会に出ることと、母校のために何か始めること。
このふたつが叶ったらいいな~。
家族関連でかなり大きな挑戦も控えています。またそれは年明けに語れたらいいな。


あとは、キキちゃんを無事に見送ることと、ずんちゃんの晴れ姿を見守ることかな。
ちなつさんで血反吐はくことも忘れずに。業平よ、かかってこい……!!





それでは皆さん、贔屓と共にあらんことを。

良いお年を~!!!







つい先日もクライアントと殴り合いの闘いしてきて疲れた~~圧勝したけど。ほんと嫌なことばっかり。ライターなめんなよ。