セリ美の現在の職業は「フリーライター」ということになるのですが、ライターとしての活動はまだ3年ほどになります。
特に有名大学の文学科を卒業してるとか出版社勤務経験とか、そういうものは一切ないです。
そもそも自分が、「文章を書くのが好きだ」と自覚したのも非常に遅く、共通の趣味を持つ友人に十数年ほど前、ほとんど毎日のように長々としたメールを送っていたら、その友人から
「そんなに書くのが好きならブログでも書いてみたら」
と言われたのが文章を書き始めるきっかけでした。
たぶん毎日毎日長文メールが来てうんざりしていたのでしょう…ごめんなさいね友人…
そんなことで2006年あたりから趣味ブログを始めました。
最初は私の書くものなど一体誰が好きで読みに来るんだろうと思っていましたが、少数ではありますが奇特な皆さんが足を運んでくださいました。
昨日ご紹介した納税ファン活動家のNさんもその一人です。
そこから 「セリ美=文章書く人」 みたいなアイデンティティーが生まれ、今度はそれを知った別の友人が
「文章書く仕事あるんじゃない?探してみたらー?」
なんてことを言い、文章書くとはいえきちんとした日本語を学んだこともなければスキルもない私が書くものなどお金になるかいな!んなアホな!と思って話半分に聞いていたのですが、試しに在宅ライターで探してみたら、たしかにたくさん求人がありました。
まだ報酬の相場も分からない頃だったので、これなら私にも書けそうかな~なんて求人に応募し、よくある「美容系ウェブ記事」「エンタメ記事」を請け負って書いていましたが、正直言って専門知識が必要な仕事でもないので単価はびっくりするほど安かったです。
時給換算したら多分時給100円とかです。
いや、もっとテキトーにいい加減に書いていればそんなことにはならないのですが、私はちょっと完璧主義なところがありまして、お金をもらうからにはそれなりのクオリティーを目指したいとか、スキルが無くて自信がないゆえに、もしちょっとでも内容や書き方に指導が入ったらすごくショックだなーと思い、一切注文が入らないように完璧にこなしてしまっていたのも時給100円の原因なんですけどね。
そんなこんなで正社員の皆さんよりもずっと長い労働時間を割いても、所詮在宅ワークということで月収5~6万とかにしかならないような有様でした。主婦なのでそれでも生活していけるのは有難いことですけどね。
常に「なんかいい仕事ないかな~」とクラウドサービスをチェックしていた時に、なんとついに出合った「宝塚ライター募集」の文字!!
もう、運命の出合いでした。
宝塚情報を発信するウェブサイトの記事作成のお仕事だったのですが、そのサイト自体まだ駆け出しだったせいか、私が書くようになってからめきめきと更新頻度が上がり、内容もヅカオタ目線になり、アクセス数もかなり増えていたようでした。
まぁ様退団に関するレポ記事は「朝夏まなと 退団」でGoogle検索すればセリ美が書いたものが上位3位を占めている、なんてこともありました。
観劇歴20年ということも手伝ってか、セリ美にはたくさんの依頼が舞い込むようになり、相変わらず執筆時間は1日10時間以上・週休0日みたいな日々でしたが、宝塚のことを書いていればいいだけなんてセリ美にとってはほぼ遊びみたいなものでした。
報酬は正社員のような金額には至りませんが、これまで請け負ってきたライティング依頼の2倍に。
忙しいながらも、ついに天職に出合えた!!という喜びを毎日実感でき、こんな人生がこれからも待っているだなんてセリ美ついに人生勝ち組だな!と、決して大げさではなく、生きる喜びをこれほど感じたことは初めてでした。
しかし、クライアントがまさかの実質上の廃業でウェブサイトはいきなり配信停止となり、もう依頼を出せないという事態に。
まぁそもそもライターなんてのは何の保障もない仕事でして、いわば芸能人などと同じように、求められなければ1円にもならない危うい商売です。
リアル人生ゲームにおいて「ふりだしに戻る」で一気にスタートラインに戻されてしまった、というわけですね。
それでも、ボン乃セリ美というこのキャラが誕生したのはそのサイトのおかげなので、今となっては良い思い出、ですかね。
ライターとして独立すること、さらには好きなことを書いて食べていくということはなかなか難しいことです。
そもそも私は好きなジャンルでないと働けないという難儀な性格でして、興味のない仕事に対しては1ミリの労働意欲も湧いてきません。
そんなことで、以前になんとグラフ誌の求人募集に応募したこともあります。
今でもたまに公式で見ますよね。採用情報。
キャトルでの販売員とか殿堂での受付業務とか、いろいろ。
あれ見る度に色めき立つ人、多いのではないでしょうか。
もう今の生活すべて捨ててキャトルでアルバイトしながら宝塚市民になろうかしら…なんて気がつけばSUUMOの宝塚市の物件情報検索してたりしてね。
その中でごくごくたまーに出る、グラフとか歌劇の編集者募集。
あれに29歳の時、応募しました。
今となってはそれもいい思い出です。
採用試験は2次試験まであり、1次試験が小論文、2次試験が一般常識テストとまた小論文、個人面接、グループ面接だったかな。
当時私は実家の家業を手伝っていたため、もし合格したとしても転職などできる環境ではなかったのですが、まぁいわゆる記念受験ですよね。29歳で受かるわけもないしね、と。
1次試験の小論文のテーマは…なんだったかな…
確か「宝塚の魅力とは」みたいな、すっげーざっくりしたテーマでした。
今の試験で出されるお題はもっと難しいみたいですね。
「途中下車」みたいな。宝塚と全然絡めなくてもいいようなので、逆に難しいですよね。
当時、まだブログというものを書き始めたばかりで正しい日本語すら使いこなせていたかった私は、もう本当に知恵熱が出るかと思うほど練りに練って小論文を仕上げました。
編集社になど勤めたこともない私は、祈るほどにもならないような、「どうせダメに決まってるだろ(苦笑)」みたいな気持ちで合否を待っていましたが、意外にも合格通知が。
この時の胸の高鳴りはもう一生忘れられないです。宝塚歌劇団からの封書にもやたらときめきました。
そして、いざ2次試験へ。
私が就職活動をしていた時はまだ「一般常識テスト」なんてものはなかったので、一般常識ってなんだよ!!と思いながら、本屋さんでそれっぽいテキストを買って夜な夜な勉強をしました。受験勉強なんて高3の大学受験以来だったので懐かしかったなあ。
2次試験会場はムラにある編集部内でした。
もうね、そこがこの受験イベントのピークだよね。
だって、あの楽屋口のドアの向こうに行けるんだぜ!!!!
いつも生徒さん達を見送ったり迎えたりする、妖精のみが通過できるあの聖域に私も入っていっていいんだぜ!!!!
あれはもうセリ美人生ピークの高揚と緊張だったね。
受付で「ぼぼぼボン乃せせせせセリ美でぃしっっ」と噛みながら編集部受験者であることと名前を伝え、廊下の奥へ足を踏み入れる…
少し湾曲した廊下を歩いていくと、シルバーのエレベーターが。
受付の守衛さんに4階だか5階だかに行けと指令を出され、エレベーターのボタンを押して待つ。
ど、どうしよう…ジェンヌさんがいま来たらどうしよう…
という期待とは裏腹に、誰も来ずにエレベーター到着。
落胆を感じたが、いやいやタカラジェンヌ全員が触って使用しているこのエレベーターに乗れるなんてもう人生で二度とないぞ!!と再び鼻息が荒くなり、意味もなくいろんなところを触りながらエレベーターにライドオン。

試験へ向かう緊張がピークに達している中、途中の階で停まるエレベーター…
だっ
だれか
乗ってくる…
開くドア…
「あのオーディションでさぁー」
ともちんやああああああああああ
セリ美、大パニック。(心の中で)
他にも数名がエレベーターに乗り込んできた。
たぶんセリ美は少し失禁していたように思うが、平静を装って開ボタンを押して皆さんのライドオンを待つ。
「すいませーん」
「ありがとうございまーす」
と妖精たちが次々に乗ってくる…ともちん以外に誰がいたのかもう確認することすらできなかった。
もうね、そこから記憶がないです。たぶん立ちながら失神してました。
妖精とあんな狭い空間で密閉されて、そりゃ息なんかできるかいな!!
エレベーター内でも何かのオーディションのついての話の続きをしていたが、セリ美は失神していたので当然内容は覚えていない。
そして再び途中階に停まり、
「すいませーん」
「ありがとうございまーす」
と妖精たちは去っていった…
私はようやく意識を取り戻し、当然ながら変態のように妖精の残り香をくんかくんかと嗅ぎまくりながら行先階へようやく到着した。
つづく。

特に有名大学の文学科を卒業してるとか出版社勤務経験とか、そういうものは一切ないです。
そもそも自分が、「文章を書くのが好きだ」と自覚したのも非常に遅く、共通の趣味を持つ友人に十数年ほど前、ほとんど毎日のように長々としたメールを送っていたら、その友人から
「そんなに書くのが好きならブログでも書いてみたら」
と言われたのが文章を書き始めるきっかけでした。
たぶん毎日毎日長文メールが来てうんざりしていたのでしょう…ごめんなさいね友人…
そんなことで2006年あたりから趣味ブログを始めました。
最初は私の書くものなど一体誰が好きで読みに来るんだろうと思っていましたが、少数ではありますが奇特な皆さんが足を運んでくださいました。
昨日ご紹介した納税ファン活動家のNさんもその一人です。
そこから 「セリ美=文章書く人」 みたいなアイデンティティーが生まれ、今度はそれを知った別の友人が
「文章書く仕事あるんじゃない?探してみたらー?」
なんてことを言い、文章書くとはいえきちんとした日本語を学んだこともなければスキルもない私が書くものなどお金になるかいな!んなアホな!と思って話半分に聞いていたのですが、試しに在宅ライターで探してみたら、たしかにたくさん求人がありました。
まだ報酬の相場も分からない頃だったので、これなら私にも書けそうかな~なんて求人に応募し、よくある「美容系ウェブ記事」「エンタメ記事」を請け負って書いていましたが、正直言って専門知識が必要な仕事でもないので単価はびっくりするほど安かったです。
時給換算したら多分時給100円とかです。
いや、もっとテキトーにいい加減に書いていればそんなことにはならないのですが、私はちょっと完璧主義なところがありまして、お金をもらうからにはそれなりのクオリティーを目指したいとか、スキルが無くて自信がないゆえに、もしちょっとでも内容や書き方に指導が入ったらすごくショックだなーと思い、一切注文が入らないように完璧にこなしてしまっていたのも時給100円の原因なんですけどね。
そんなこんなで正社員の皆さんよりもずっと長い労働時間を割いても、所詮在宅ワークということで月収5~6万とかにしかならないような有様でした。主婦なのでそれでも生活していけるのは有難いことですけどね。
常に「なんかいい仕事ないかな~」とクラウドサービスをチェックしていた時に、なんとついに出合った「宝塚ライター募集」の文字!!
もう、運命の出合いでした。
宝塚情報を発信するウェブサイトの記事作成のお仕事だったのですが、そのサイト自体まだ駆け出しだったせいか、私が書くようになってからめきめきと更新頻度が上がり、内容もヅカオタ目線になり、アクセス数もかなり増えていたようでした。
まぁ様退団に関するレポ記事は「朝夏まなと 退団」でGoogle検索すればセリ美が書いたものが上位3位を占めている、なんてこともありました。
観劇歴20年ということも手伝ってか、セリ美にはたくさんの依頼が舞い込むようになり、相変わらず執筆時間は1日10時間以上・週休0日みたいな日々でしたが、宝塚のことを書いていればいいだけなんてセリ美にとってはほぼ遊びみたいなものでした。
報酬は正社員のような金額には至りませんが、これまで請け負ってきたライティング依頼の2倍に。
忙しいながらも、ついに天職に出合えた!!という喜びを毎日実感でき、こんな人生がこれからも待っているだなんてセリ美ついに人生勝ち組だな!と、決して大げさではなく、生きる喜びをこれほど感じたことは初めてでした。
しかし、クライアントがまさかの実質上の廃業でウェブサイトはいきなり配信停止となり、もう依頼を出せないという事態に。
まぁそもそもライターなんてのは何の保障もない仕事でして、いわば芸能人などと同じように、求められなければ1円にもならない危うい商売です。
リアル人生ゲームにおいて「ふりだしに戻る」で一気にスタートラインに戻されてしまった、というわけですね。
それでも、ボン乃セリ美というこのキャラが誕生したのはそのサイトのおかげなので、今となっては良い思い出、ですかね。
ライターとして独立すること、さらには好きなことを書いて食べていくということはなかなか難しいことです。
そもそも私は好きなジャンルでないと働けないという難儀な性格でして、興味のない仕事に対しては1ミリの労働意欲も湧いてきません。
そんなことで、以前になんとグラフ誌の求人募集に応募したこともあります。
今でもたまに公式で見ますよね。採用情報。
キャトルでの販売員とか殿堂での受付業務とか、いろいろ。
あれ見る度に色めき立つ人、多いのではないでしょうか。
もう今の生活すべて捨ててキャトルでアルバイトしながら宝塚市民になろうかしら…なんて気がつけばSUUMOの宝塚市の物件情報検索してたりしてね。
その中でごくごくたまーに出る、グラフとか歌劇の編集者募集。
あれに29歳の時、応募しました。
今となってはそれもいい思い出です。
採用試験は2次試験まであり、1次試験が小論文、2次試験が一般常識テストとまた小論文、個人面接、グループ面接だったかな。
当時私は実家の家業を手伝っていたため、もし合格したとしても転職などできる環境ではなかったのですが、まぁいわゆる記念受験ですよね。29歳で受かるわけもないしね、と。
1次試験の小論文のテーマは…なんだったかな…
確か「宝塚の魅力とは」みたいな、すっげーざっくりしたテーマでした。
今の試験で出されるお題はもっと難しいみたいですね。
「途中下車」みたいな。宝塚と全然絡めなくてもいいようなので、逆に難しいですよね。
当時、まだブログというものを書き始めたばかりで正しい日本語すら使いこなせていたかった私は、もう本当に知恵熱が出るかと思うほど練りに練って小論文を仕上げました。
編集社になど勤めたこともない私は、祈るほどにもならないような、「どうせダメに決まってるだろ(苦笑)」みたいな気持ちで合否を待っていましたが、意外にも合格通知が。
この時の胸の高鳴りはもう一生忘れられないです。宝塚歌劇団からの封書にもやたらときめきました。
そして、いざ2次試験へ。
私が就職活動をしていた時はまだ「一般常識テスト」なんてものはなかったので、一般常識ってなんだよ!!と思いながら、本屋さんでそれっぽいテキストを買って夜な夜な勉強をしました。受験勉強なんて高3の大学受験以来だったので懐かしかったなあ。
2次試験会場はムラにある編集部内でした。
もうね、そこがこの受験イベントのピークだよね。
だって、あの楽屋口のドアの向こうに行けるんだぜ!!!!
いつも生徒さん達を見送ったり迎えたりする、妖精のみが通過できるあの聖域に私も入っていっていいんだぜ!!!!
あれはもうセリ美人生ピークの高揚と緊張だったね。
受付で「ぼぼぼボン乃せせせせセリ美でぃしっっ」と噛みながら編集部受験者であることと名前を伝え、廊下の奥へ足を踏み入れる…
少し湾曲した廊下を歩いていくと、シルバーのエレベーターが。
受付の守衛さんに4階だか5階だかに行けと指令を出され、エレベーターのボタンを押して待つ。
ど、どうしよう…ジェンヌさんがいま来たらどうしよう…
という期待とは裏腹に、誰も来ずにエレベーター到着。
落胆を感じたが、いやいやタカラジェンヌ全員が触って使用しているこのエレベーターに乗れるなんてもう人生で二度とないぞ!!と再び鼻息が荒くなり、意味もなくいろんなところを触りながらエレベーターにライドオン。

試験へ向かう緊張がピークに達している中、途中の階で停まるエレベーター…
だっ
だれか
乗ってくる…
開くドア…
「あのオーディションでさぁー」
悠未ひろは圧倒的身長で圧倒的にダンディーなので死ぬ。足の長さがやばい。(語彙力) pic.twitter.com/nkaGtZPD79
— aya.chあやちゃん@1/3屈強な黒人 (@hime_65) 2017年3月20日
ともちんやああああああああああ
セリ美、大パニック。(心の中で)
他にも数名がエレベーターに乗り込んできた。
たぶんセリ美は少し失禁していたように思うが、平静を装って開ボタンを押して皆さんのライドオンを待つ。
「すいませーん」
「ありがとうございまーす」
と妖精たちが次々に乗ってくる…ともちん以外に誰がいたのかもう確認することすらできなかった。
もうね、そこから記憶がないです。たぶん立ちながら失神してました。
妖精とあんな狭い空間で密閉されて、そりゃ息なんかできるかいな!!
エレベーター内でも何かのオーディションのついての話の続きをしていたが、セリ美は失神していたので当然内容は覚えていない。
そして再び途中階に停まり、
「すいませーん」
「ありがとうございまーす」
と妖精たちは去っていった…
私はようやく意識を取り戻し、当然ながら変態のように妖精の残り香をくんかくんかと嗅ぎまくりながら行先階へようやく到着した。
つづく。

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